“やりたいこと”を死と隣り合わせでもしたいと思いますか?
もし、あなたの友人が自分の夢を追いかけているとしよう。しかし、その友人は自分のやりたいことをやるために、常に死と隣り合わせの環境にい続けている。
そんな友人にあなたは、どんな言葉をかけるだろうか。「危険だからもうやめろ」なのか、「意志は最後まで貫けよ、頑張れ」なのか、おそらくどんな言葉でも、その友人は自分のしたいことを続けるだろう。それができなくなるまで。
“コーヒーハンター”として世界を股にかけて活躍する川島良彰さんは、まさしくそんな半生を送ってきた。コーヒー焙煎卸業を営む家の息子に生まれ、常に身近にコーヒーがあった。コーヒーのことを全て知りたいと子ども心に決意していた川島さんは、18歳のとき、高校卒業を待たずして、コーヒー豆の一大産地として知られる中米の小国、エルサルバドルに留学する。
しかし、エルサルバドルの国を少しでも調べてみると、この国の政情が、いかに長い間不安定だったかよく分かるはずだ。1969年にはワールドカップ予選の試合を機に隣国ホンジュラスと「サッカー戦争」が勃発、1979年には軍事クーデターによって内戦状態となった。
川島さんがエルサルバドルに渡航したのは1975年のこと。駐日エルサルバドル大使のベネケ氏が用意してくれたホームステイ先は、英語、スペイン語もロクに話せない川島さんをあたかかく迎え入れてくれた。
大学では「ホセ」という愛称をつけられるなど馴染んでいたが、川島さんがほんとにやりたかったことはコーヒーの研究だった。
そこで、アポなしで国立コーヒー研究所を訪ね、必死に自分のコーヒーに対する熱意を伝え、そこで研究させて欲しいと頼み込んだ。毎日、研究所所長のもとに通い続け、秘書とも仲良くなった。そして頼み込みを始めて一ヶ月が経ち、ようやく研究所で研究する許可をもらえたのだ(ちなみにここで彼は大学を休学している)。
川島さんにとってコーヒー研究は刺激的だった。まさにやりたいことだったからだ。コーヒー農園の労働者たちには圧倒され「彼らにはとても敵わない」と感じながらも、自分ができることを必死に続けた。
しかし、そんな日々も長くは続かなかった。1979年、エルサルバドルで軍事クーデターが勃発。内戦状態となり、何度も戒厳令が敷かれ、在留邦人の引き上げが始まるが、川島さんはコーヒーの研究を続けるため、エルサルバドルに残ることを決めた。当時、すでに現地に協力隊員として来ていた日本人女性と結婚しており、妻も「留まるべきだ」と励ましてくれた。
日本人メディアの通訳などをしながら生計を立て、研究を続ける毎日を送っていた川島さんにある日のこと危機が訪れる。日本のテレビクルーと地方へ取材に出かけた帰り、検問で軍隊に車を停められてしまう。「絶対にカメラをまわさないこと。絶対に写真を撮らないように」とクルーに念を押し、軍隊の持ち物検査に臨んで車に戻ろうとした瞬間、「カシャッ」という音が響いた。ディレクターがシャッターを切ってしまったのだ。
一行は拘束され、壁に向かって一列に並ばされた。最悪の事態だった。川島さんたちには幾多もの銃口が向けられている。川島さんは隣で震えているディレクターを見て「お前のせいだろ」と思いながら、どうにか事態を打破できないか考え、若い将校に交渉を試みた。穏やかな口調でゆっくりと話かけると、黙って川島さんの言葉を聞いていた将校は「こいつらを解放してやれ」と聞き入れてくれたのだ。
しかし、その後も悲劇は続く。エルサルバドルに来る前からお世話になっていたベネケ氏が何者かに射殺され、さらにホームステイ先の兄貴分が行方不明になってしまう。
大切な人たちの命が次々と奪われていく。
それでも、エルサルバドルにとどまり続けてコーヒーを研究していた川島さんだったが、1981年、研究の実験区が左翼ゲリラの抑圧下に入ったことや、妻の第二子の妊娠をきっかけにロサンゼルスにやむなく疎開することを選ぶ。
ここまでが川島さんが執筆した『私はコーヒーで世界を変えることにした。』(ポプラ社/刊)の約3分の1までの大まかな流れである。その後、川島さんはUCC上島珈琲株式会社に入社し、ジャマイカやインドネシアなど世界各国でコーヒー農園を開発することになるのだが、それは是非とも本書のページを開いて、奮闘ぶりを読んで欲しい。
川島さんには、信条としている生き方があるという。それが「ストリート・スマート」だ。
これはベネケ氏が事あるごとに忠告してくれた「Siempre listo(常に準備をしておきなさい)」という言葉が礎となって生まれたもので、「どんなときでも何とかなる」「どんな状況でも何とかする」という生きるための心構えであり、究極のポジティブ思考だ。いつ殺されるか分からない、いつ死ぬのか分からない、そんな状況の中で、最善を尽くすために準備をしておく。まさに、エルサルバドルの内戦を生き抜いた川島さんならでは発想だ。
ちなみに、20代前半にこうした生活を送っていたため、今でもカフェやレストランに入ると、周囲を見渡せる席に座ってしまうそうだ。これも「準備」の一つで、入り口に背を向けて座ることができないのだ。まるでマンガのキャラクターのようだが、それが川島さんにとってはリアルなのだ。
本書を読めば、「世界を変える」とは途方もないことだと感じるだろう。そして、どんなことがあっても自分の意志を貫き通す覚悟があるのかを問われている気になるだろう。しかし、それでも自分に揺るぎないものがあると思えれば、本書は夢を追いかけながら生きる上での最高の教科書になるのかも知れない。
(新刊JP編集部)
■下北沢「B&B」で川島良彰さんのイベントを開催!
『私はコーヒーで世界を変えることにした。』刊行記念トーク&サイン会、一日限定「B&C(ブック&コーヒー)」が開催されます! 詳細は下記URLにて。
・開催日時 … 2013年7月25日(木)19:30〜21:30 (19:00開場)
・場所 … 本屋B&B(世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F)
・入場料 … 1500yen + 1 drink order
http://bookandbeer.com/blog/event/20130725_bt/
●(新刊JP)記事関連リンク
・自分のしたいことをして生きるために必要なこと
・やりたいことではお金にはならない、じゃあどうする?
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ウェブサイト: http://www.sinkan.jp/
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