リア充 vs 非リア充

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リア充 vs 非リア充


今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

リア充 vs 非リア充

リア充と非リア充、これって言い換えれば外向的人間と内向的人間だよね。ただどうも誤解があるような気がする。リア充で外向的な人間こそ素晴らしく、非リア充で内向的な人間は出来損ない。なんとか内向的人間を外向的人間に変えることこそ正義、みたいな(笑)。

非リア充&内向的人間をリア充&外向的人間の尺度で見るから、劣っているようにみえるわけで、しかもそれに引きずられて非リア充&内向的人間自身も、自分は劣っていると考えている人が少なくない。

さらに言えば客観的に見てもリア充&外向的人間の方が得をしているように見えることも多々ある。ただね~それは比較の仕方を間違えているように思うんだよね。

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時計をイメージする。0時が出発点。右回りに進むか左回りに進むかが最初の分かれ目。右回りがリア充&外向的とする。左回りが非リア充&内向的。どちらもどんどん進んでいくと6時の所で出会う。これが人生の成功者の場所。どちらの方向を進んでも、最後まで行き着けば成功者になれる。

リア充方向なら人気芸能人や実業家。非リア充方向ならノーベル賞科学者とか。まあ、たいていの人は残念ながらそこまでは行き着かない。

でもリア充と非リア充の比較だと、リア充は例えば4時ぐらいの位置の人、非リア充は10時ぐらいの位置の人と比較してるんじゃないの?という話。リア充の4時と比較するなら、非リア充は8時ぐらいの人と比較しなきゃダメだろう。

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逆に非リア充の10時と比較するなら、リア充の2時ぐらいの人。この辺りだと外向的な人でも、リア充とは言い切れないんじゃなかろうか。やたら賑やかで確かに話題の中心にいることが多いけど、客観的に見てそれほど幸せとはいえない人っているよね…。まあ本人は前向きだから幸せなんだろうけど。

あ、「心の持ちよう」という話になるとややこしくなるから、今回は立ち入らない。あくまで金銭的な豊かさや社会的影響力など、紛いなりにも客観的に図れる要素でのみの比較。

だから非リア充の8時ごろの人というのは本人はあまり幸せでないつもりでも、以外と客観的に見れば金銭的に豊かだったり、社会的影響力もまんざらでもない状態だと思う。

んでどっちにも馬鹿はいる。0時から出発して、右回りで1時ぐらいの位置で一生を終える人間もいる(変な宗教に引っかかったりw)し、同じく左回りで11時ぐらいの位置で袋小路に入ってしまう人間もいる。

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まあ要するにこれは人間の思考方法が2タイプにわかれるわけだ。で、この差がどこから生じているのかを考えてみる。ここからは俺の偏見(笑)。外向的な人間というのは応用は上手い。用意された積み木を組み上げるのは上手。

内向的人間はどっちかというと細かいところが気になる。足元の小石が気になって、いつまで経っても歩き出さない(笑)。積み木なら一つ一つの積み木を注意深く観察する。木目とか色のムラとか。積み木を分析することに情熱を注ぐ一方で、積み木を組み立てて何か作るというのは、興味が薄い。

これって人間の思考の2本の柱ではないかと思う。プログラミングでも既存のパーツを組み合わせてアプリケーションを作る一方で、すでにあるパーツを洗練させ抽象度を上げていく。優れたプログラマは両方できるが、やはり得意な方向の傾向はあるように思う。

既存のパーツを要領よく組み合わせてバリバリとアプリケーションを作って仕事をどんどん片付けていくタイプもいれば、良い設計とは…?みたいな哲学的なことを考えるのが好きなタイプもいる。アプリケーションよりも基本部分を作るのが好きなプログラマ。で、互いに「俺がいないと、こいつは食っていけないくせに…」と思っているのが面白いw。

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もっと単純化すれば、合成と分解かもしれない。部品を組み立てることに喜びを見出すタイプと、部品そのものを研究対象にするのが楽しいタイプ。もちろんここでいう「好き」というのは、単に好きなだけでなく、その分野で成果を出せる実力が伴う「好き」だ。下手の横好きは論外。

部品を上手に使いこなして組み立てるには部品そのものの研究も必要だし、部品そのものの研究にはそれが使われる場面を知ることも必要。だから両者の領域はかなりオーバーラップしている。でも被っていない部分も多い。

合成というのはわりと見よう見まねと試行錯誤でできると思うのだよね。むしろそれが重要な気がする。一方分解はじっと自分の中を奥深く潜っていくしかない面があるように思う。本質を見抜く作業というのは、本当に必要な情報以外すべて捨てて、ひたすら深く深く潜ることだ。

この液体とこの液体を混ぜると、こういう液体になるという経験則が合成であり、一方そこから法則性を見出し、原子という概念を仮定し分子の構造をモデル化する作業が分解。現在なら原子も電子顕微鏡で見ることができるが、当時はそんなものが本というに存在する確証はなかった。あくまで人間の都合で考えだしたモデルに過ぎなかった。

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この作業の違いが、外向的人間と内向的人間の違いなのだろう。どちらの作業の方を得意とするか。すでに述べたように6時の究極地点に近づくと、結局はどちらも同じになってしまう(というか両方の能力が必要になる)から、成功者だけ見てるとわかりにくいかもしれないけどね。

合成と分解、なぜか両方の作業を同時には習得できない。先にどちらか一方を一定レベルまで習得し、その後徐々に他方も習得するようになり再び近づいていく。時計の3時と9時頃が一番両者が離れている。

これは個人の成長過程でもあるし、同時に人間の種としての方向性でもあるのだろう。どちらか一方ではうまく機能しないのだ。両方のタイプの人間が社会に一定の比率で存在するときに、その文明は栄える。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年04月05日時点のものです。

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