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80年代よ再び―『魔界村』で試す「おっさんゲーマーは当時の自分より上手くプレイできるか?」

カプコンアーケードキャビネット_

80年代のゲームセンターは“不良のたまり場”だったか?

「●野ー、『ゲーム50』行こうぜー!」というわけでいきなり始まりました「おっさんゲーマーでもあの頃の自分より上手くプレイできるか?」。

『ゲーム50』ってのは筆者の小学校の近くにあった元コインランドリーのゲームコーナーの名前です。もうありません。そんなこと知りませんよね。ごめんなさい。

当時、ゲームセンター、ゲームコーナーってのはいわゆる“不良のたまり場”と称され、PTAや教育指導の先生が巡回するような場所でありました。その実「そこまで悪かったかなあ?」という印象だったのも事実です。長らくゲーセンに通っていた筆者ですが、幸いカツアゲとかされたりしたことなかったですし。

「ヤンキーがたむろし、空気が悪い」というイメージで語られることが多かったのは、70年代初めに登場したイン●ーダーゲームの影響がとにかく大きいでしょう。お父さんお母さん先生たちはインベーダーしか置いてないゲーセン―通称「インベー●ーハウス」のよろしくないイメージに長らく引きずられてきたとも考えられます。

さて、種類の少なかったゲームタイトルは80年代ごろになると圧倒的に増加。ゲームセンターは徐々に“不良のたまり場”から“ちょっとリスキーな遊び場所”程度の認識へと転じていきます(相変わらずPTAの巡回はありましたけど)。

中学生だった筆者は、限られた小遣いを握りしめデパートのゲームコーナーにある『魔界村』を原くんとプレイしに行くのが日課となっていました。そんなこと知りませんよね。ごめんなさい。

魔界村_

14歳のカタキを41歳で取る

これは『魔界村』やデパートにあったゲームに限ったことではないのですが、当時のゲームたちは、1面から割と本気でプレイヤーに襲い掛かってきました。

予備知識が無ければ「いやこれムリだろー」って場面がほとんどだったと言っても過言ではないタイトルばかりだったのです。なけなしの小遣いを貴重なワンプレイに使うため、他人のプレイを見ながら「俺ならこう動く」「俺ならこう動ける」などと厨二的脳内シミュレーションを繰り返し、自分のプレイに備えたものです。

しかし悲しいかな、決して動体視力も反射神経もよろしくない14歳のオサダ君(筆者)の操る主人公アーサーは、1面のクリアはおろかレッドアリーマー……いや、その前に出てくる緑色の草のアイツ(※編注・グリーンモンスター)でことごとくやられていました。原くんは最終面まで行ってたのに。

緑色の草のアイツ

何度かヤリを持って“村”に立ち向かうも、経済事情とスキルレベルがかみ合わないまま、“村”から僕の足は遠のいていきました。

―あれから28年。「オサダ君」はおじさんとなり、再び『魔界村』の前に居ます。

魔界村タイトルとともに_

しかも80年代全盛だったテーブル筐体ではなく、家庭用ゲーム機です。

PS3で遊べるんですね_
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記者:

「予備校生のような出で立ち」で写真撮影、被写体(スチル・動画)、記者などできる限りなんでも、体張る系。 「防水グッズを持って水をかけられるのが好き」などの特殊な性質がある。 好きなもの: 食べ物の写真、昔ゲーム(の音)、手作りアニメ、昭和、穀物

TwitterID: wosa

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