「違和感がある」はマズい
今回は奥山真司さんのブログ『地政学を英国で学んだ』からご寄稿いただきました。
※この記事は9月5日に書かれたものです。
「違和感がある」はマズい
今日の横浜北部は朝から晴れております。朝晩は過ごしやすくなってきましたが、今日は暑くなるとか。
さて、久々に私のコメント的なことを書きます。
昨夜もTwitterのほうで書いたのですが、最近「違和感がある」というコメントが気になってしかたがない。
この言葉はもちろん以前からよく使われていたのですが、とくにネット上では去年の原発事故あたりを境にして「誰々さんのコメントに違和感がある」という形でよく使われております。
しかも日本では立派な新聞やテレビに出ているコメンテーターまでがこのような「違和感がある」とコメントしていて、私もそれについて「違和感」なくスルーしておりました。
ところが最近になって、このコメントが非常にマズいものであることに気づいたのです。
ご存知のように、私は去年までイギリスに留学していたわけですが、それまでは向こうの人間と議論などをする時は、「違和感がある」という言葉など使ったことがないですし、実際そのようなことを議論で使う人間もおりません。
ところがなぜか日本ではそれなりに知性がある人でも「違和感がある」と堂々とメディアで言っても許される傾向があるわけです。これは非常に問題。
というのも、この「違和感がある」というコメントというのは、向こうでは単なる感情を表現しただけの言葉であり、まったく論理的だとみなされないからです。
では論理的で知性の高い人物は議論の時にどうすればいいのかというと、「なぜ違和感があるのか」を説明しなければならないわけです。そしてそれを説明できなければ、単なる「無能」と見なされてしまいます。
「それはお前だけの思い込みだろ」という人もいるかも知れないので、日本人でおなじく留学をしたことのある先輩ということで、現在日本サッカー協会の副会長をしている田嶋幸三氏が私と同じようなことをある雑誌のインタビューでコメントしております。
彼はドイツにコーチ留学した経験をもち、Jリーグでコーチの養成プログラムを手がけた経験をもっているのですが、リーグの創成時に日本人監督が次々と自信を失ってやめていく様子を間近で見ていたそうです。
で、その辞めてしまった日本人監督たちにその理由を聞きにいくと、ある一つの共通項が浮かび上がってきたとか。以下が田嶋氏の実際のコメント。
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当時、ジーコやリネカーといった外国の有名選手がたくさんいたのですが、彼らから「監督はなぜあの場面であの選手を代えたのか」「この練習は何のためにやるのか」といった質問が出たわけです。しかし多くの日本人監督は答えられなかった。
(中略)
Jリーグの前身のサッカーは企業スポーツでした。監督、コーチと選手は上司と部下の関係で、そんなことを聞いてくる選手なんて一人もいなかった。ですから突然「どうして交代させたのか?」と尋ねられても答えられませんよ。
答えられない監督に対し「この人は無能なんじゃないか」と。口には出さなくても伝わるんですよね。それで、いたたまれなくなって自分で辞表を出すというケースが多かったんですよね。
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これはどういうことかというと、それまでの日本のサッカーには「自分の頭で論理的に判断して説明する」という文化や習慣が、指導者であるコーチたちにまで根付いていなかったということなんですな。
これに気づいた田嶋氏は、サッカーを教える前にやらなければならない教育としてディベート能力を含むエリート教育を導入して「JFAアカデミー福島」を創設。その後の若手の世界的な活躍はご存知の通り。
ところがこのような話はサッカーだけではありません。海外で働く一般的な日本人が向こうの人間と議論をする場合にも同じで、「論理的に説明できない人物は無能」というのは、いわば世界の常識なわけです。
ところが日本国内の知識人たちには、なぜか「違和感がある」というコメントでも許されるという甘い文化が。
もちろん「なぜ違和感があるのか」という説明をくどくどするというのは、「男は黙ってサッポロビール」という文化がある日本では「理屈っぽい」と敬遠されることになります。
ところが世界ではいかにクドイと思われても、首尾一貫した矛盾のない(と聞こえる)説明をすることのほうが「理屈っぽい」と敬遠されることよりも極めて大切になってくるわけです。
こういうことを言うと、「お前は違和感を否定するのか」と言われそうですが、もちろん私は「違和感」を感じることは重要だと思っております。
そこにある現象があって、そこに違和感を感じる感受性というものは大事で、それを私は否定しているわけではありませんし、むしろそれを積極的に持つべきだとおもっております。
しかし問題なのはそこから先です。われわれはその「違和感」を、言葉を使って論理的に説明しないといけないからです。
これからグローバル化して一般の日本人が外国人たちと渡り合っていかなければならないことになると、「違和感がある」という単なる感情の文学的表現だけではダメで、それをうまく説明する能力も必要になってくるわけです。
ましてやメディアに出てくるような知識人が「違和感ある」とか言って平気な状況というのは、ある意味で知性を否定していることに。これは外から見れば「論理的に説明できない無能な人間だ」となってしまうわけです。
ということで、これは日本語で議論をすることに慣れつつある自分にとっても深刻な問題かと。気をつけようと思いました。
執筆: この記事は奥山真司さんのブログ『地政学を英国で学んだ』からご寄稿いただきました。
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