現代中国SFの洗練度の高さに瞠目

現代中国SFの洗練度の高さに瞠目

 ケン・リュウは現代アメリカSFにあって、洗練された抒情性と巧みなストーリーテリングによって多大な人気を集める作家だが、中国SFの紹介者としても旺盛な活躍をつづけている。本書はそのひとつの成果だ。現代中国SFの最前線にいる七人の作家の小説十三篇・エッセイ三篇を、ケン・リュウが選び、英訳したアンソロジーInvisible Planets: Contemporary Chinese Science Fiction in Translation。それを日本語訳したのが、この『折りたたみ北京』だ。

 中華圏のSFは活況を呈している。遡れば、中国SFが大きく動いていると知ったのは、もう25年以上も前のこと。1991年、中国四川省成都市で開催されたワールドSFの会合に参加した柴野拓美さんの口から、中国ではSFを文化事業のひとつとして盛りたてていると聞いたのだ。作品の質という点でも、このあたりで大きなステップがあったらしい。本書に収録されたエッセイ、夏笳(シア・ジア)「中国SFを中国たらしめているものは何か?」のなかに、こう記されている。

 ヨーロッパとアメリカのSFはその想像の原動力と題材を西洋の政治的・経済的な近代化における歴史的経験から得ており、高度に寓意化した形を通じて、人類が自分たちの運命に抱く不安や希望を夢や悪夢へと昇華している。さまざまな設定やイメージ、文化的コード、語りの技法を西洋のSFを通じて取り入れることで、中国SFの作家はしだいに主流文学や他の人気文芸ジャンルに比肩する、ある程度の閉包と自律性を有する文化領域と象徴空間を構築してきた。(略)この意味で一九九〇年代から現在までの中国SFは、グローバリゼーション時代の国家のアレゴリーとして読むことができる。

 ケン・リュウのフィルターを通しているので、このアンソロジーがどれくらい中国SFの全体像を反映しているかはわからない。通して読んだ印象は、1950〜60年代のソフィスティケートされたアメリカSF中道の感触に近い。作家でいうとハリイ・ハリスン、フレデリック・ポール、ロバート・シェクリイ、フィリップ・K・ディックの初期短篇、J・G・バラードのアイデア・ストーリーあたり。

 邦訳版表題に選ばれた郝景芳(ハオ・ジンファン)「折りたたみ北京」はヒューゴー賞を受賞した作品だが、北京が立体パズルのような構造で複層化されており、三つのスペースが時間ごとに交替する。それが過密になった人口を吸収する都市計画であり、また高度に発展する都市機能を維持するシステムなのだ。しかし、スペース間での社会格差は甚大で、しかもスペース間の移動は厳しく制限されているため、下層の第三スペースの人間はその世界を当然のものとして生きていくしかないのだ。

 「折りたたみ」という大仕掛けこそ目を引くが、設定はとくに目新しいものはない。巧みなのは、金のために第三スペースから第一スペースへと手紙を届ける仕事を引き受けた男を主人公に据えたところだ。折りたたみ機構の隙間をくぐる抜ける冒険もハラハラするが、彼の視点で北京の欺瞞的な社会構造がだんだんとわかってくるところ、そして手紙が媒介する悲恋の行方と、作品全体がアイロニーを帯びている。

 郝景芳はもう一篇「見えない惑星」が収録されており、ぼくはこちらのほうが面白かった。宇宙にある奇想天外な生態・習俗の惑星をつぎつぎと紹介していく。ケン・リュウの「選抜宇宙種族の本づくり習性」や、スタニスワフ・レムの《泰平ヨン》の初期短篇が好きなひとは、きっと気に入ると思う。

 陳楸帆(チェン・チウファン)「鼠年」は、全体主義の国家で、変異した鼠とのうんざりする戦いをつづける兵士を描く。敵である鼠は、もともと産業用につくりだされたものが逃げだし野生化したのだ。兵士は割当数の鼠を殺傷すれば除隊できる。しかし小隊ごとに担当地域があり、その境界線を越えてはいけないというルールがある。主人公は大学を出たのに就職先がなくて、鼠殺しの兵士になった。物語にみなぎる救いようのない空気は、パオロ・バチガルピの「第六ポンプ」に、ちょっと似ている。

 劉慈欣(リウ・ツーシン)「神様の介護係」は、人類を創造した神の種族が地球に戻って、あらゆる国の路上をうろついて「創造主への恩返しだと思って、食べ物をめぐんでくださらないか」などと言い立てる。その数なんと二十億人。しかも、神という以外はなにも良いところがない。長い宇宙放浪の末、彼らは知識を失っており、二次方程式も解けない。小松左京さんが大喜びしそうなユーモアSF。

 同じく劉慈欣の「円」は、中国戦国時代、秦の国王の参謀となった荊軻(けいか)が、宇宙の秘密を解くのは数学だと主張し、兵を訓練して計算陣形を編みだす。兵ひとりひとりは計算能力はないが、〈入力〉に対して決められた〈出力〉をおこなう。その兵を三百万人組み合わせて、円周率を計算しようというのだ。アイデア自体はSFファンの悪ノリみたいだが—-実際もう40年くらい前に大阪芸人(岡田斗司夫&武田康廣)が「人海コンピュータ」というネタを披露して大ウケしていた—-、荊軻と国王との奇妙な関係が物語に陰影を与えている。

 夏笳「百鬼夜行街」は、伝奇ファンタジイふうの街が舞台で、降魔除霊、幽霊、黒夜叉といった言葉があたりまえのように使われているが、読み進むうちに、その背後にSFの設定とロジックが立ちあがっていく。飛浩隆『グラン・ヴァカンス』の中国版というと、さすがに褒めすぎだろうか。

(牧眞司)

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