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「泣きながら侘しい暮らしをしています」百人一首のあの人たちも来た陸の孤島での逆境生活~ツッコみたくなる源氏物語の残念な男女~

源氏32

「観光で滞在するなら…」百人一首の歌人も訪れた地、須磨

都を離れ、須磨に暮らしはじめた源氏。新しい住まいは海岸よりは少し入った山中にありました。家屋は茅葺き、廊下は葦葺きの簡素な作りで、粗末な垣根が巡らせてあります。かつて熱愛した夕顔の家や紫の上を初めて見つけた北山の家も、こんな感じだった…。恋の記憶が甦ります。

あのときは単に物珍しく思っただけですが、まさかそんな家に自分が暮らすことになろうとは。運命は思いもよらぬものです。「これがただの旅の宿で、観光でしばらく居るだけなら、きっと面白かっただろうな…」。旅行と引っ越しでは大違いです。

須磨は歴史上の有名人とも縁ある場所です。菅原道真が、左遷されて大宰府に行く途中で須磨に立ち寄った際、彼を慕った松が京から飛んできたという伝説があったり、源氏の先輩格とも言えるプレイボーイ、在原業平の兄の行平も、時の帝の怒りに触れて須磨に隠居しています。歌人としても百人一首に名を残す人たちですね。

行平は須磨の暮らしを「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に 藻塩たれつつ侘ぶとこたへよ」と呼んでいます。私はどうしているかと尋ねられたら伝えてほしい、須磨の浦で泣きながら侘しい暮らしをしていると……。今の源氏には、その心境がまさに自分のものになってしまったのです。

目の前には海、あたりは森閑とした山。近所には家もない。にぎやかな京の市中や、華やかな宮中を見慣れた源氏にとって、それはあまりにも寂しい光景でした。

引っ越しも一段落、早速ホームシックに襲われる

源氏に従ってきた家来は、惟光はじめ数人の男たち。特に良清は現在の播磨国の国守の息子とあって顔も聞き、源氏の新しい生活が少しでも暮らしやすいよう、健気に奔走していました。普段はしない雑用などもあれこれ頑張ってくれている姿を見て、源氏は哀れな気がします。

寂しい場所とは言え、播磨はもとより、摂津(大阪)の国守も源氏に対しては好意的で、待遇は悪くありませんでした。おかげで家の中も庭も整えられ、着々と生活感が出てくるのも、なんだか変な夢でも見ているようです。

引っ越しのバタバタが落ち着いたのは、梅雨に入る頃でした。家来たちの頑張りで暮らしはなんとか整ったものの、京にいるときのように話したり、遊んだりして楽しい、趣味の合う友だちはいない…。源氏のホームシックがはじまり、恋しい各方面へ手紙を書きました。特に紫の上と宮への手紙は、感極まってなかなかうまくかけません。

「部屋は出ていったときのままに」源氏ロスに見舞われる紫の上

京に残された人びとも、こぞって源氏を慕って悲しんでいました。源氏ロスですね。特に紫の上は、別れたショックで寝込んでしまい、お付きの女房たちがなだめても効果がなく、しばらく手を焼いていました。

源氏の脱いでいった衣、いつも弾いていた楽器、身の回りの愛用品、香のかおり。紫の上は寂しさのあまり、源氏が部屋を出ていったときのままにしていましたが、まるで故人を悼んでいるようで縁起が悪い。紫の上の乳母は心配して、「源氏が無事に戻り、2人が幸せになれますように」と、お寺に祈祷を頼んだりしています。

出ていく方も辛いですが、取り残される寂しさというのはひとしおです。友達がちょっと遊びに来て、帰ったあとの妙な寂しさは、誰もが経験があると思います。あれだけでも結構寂しいのに、残されたものや思い出とともに寝起きしなければならない紫の上の辛さは、想像以上のものがあったでしょう。

「もし本当に死んだなら、時間とともにあきらめもつくだろうけど、源氏は行こうと思えば行ける須磨にいて、でもいつ帰るかわからない」。そのことが余計に紫の上を苦しめます。中途半端な分、一番不安を感じるパターンかも。

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