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グローバリストを信じるな

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内田樹の研究室

今回は内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』からご寄稿いただきました。

グローバリストを信じるな

Againの定例経営会議で箱根湯本に集まり、平川くん、兄ちゃん、石川くんと日本の行く末について話し合った。
EUの先行き、日本のデフォルトの可能性から、TPPが“空洞化したアメリカ産業の最後の抵抗”という話になる。
いったいアメリカは自由貿易によって日本に何を輸出して、どういうメリットを得るつもりなのか?
この中心的な論点について、メディアは実はほとんど言及していない。
「TPPに参加しないと、“世界の孤児”になる」とか「バスに乗り遅れるな」というような、“自己利益(というよりは自己利益の喪失)”にフォーカスした言葉が飛び交うだけで、「なぜアメリカがこれほど強硬に日本のTPP参加を要求するのか?」という、アメリカの行動の内在的なロジックを冷静に解析した記事をメディアで見る機会はほとんどない。
まさか、アメリカが自国の国益はさておき日本の国益を守るために完全な市場開放を日本に求めているのだと思っている国民はいないと思うが、メディアの社説を徴する限り、論説委員たちはその数少ない例外らしい。
TPP参加は日本の国益のためだ、と推進派の人々は言う。
だが、それではアメリカが日本に市場開放を求め理由を説明したことにはならない。
アメリカが他国に市場開放を求めるのは、自国の国益がそれによって増大するという見通しが立つからである。
そして、貿易において、一国が輸出によって大きな貿易黒字を得る場合、その相手国は輸入超過となって貿易赤字が増えることになっている。
ふつうはそうである。
貿易では(グローバリストの好きな)Win-Win はない。
片一方が黒字なら、片一方は赤字になる。
アメリカは自国の貿易収支が黒字になることをめざして他国に市場開放を求めている。
それは“売りたいもの”があるからで、“買いたいもの”があるからではない。
アメリカが自国の貿易黒字を達成すれば、相手国は貿易赤字を抱え込むことになる。
だから、「アメリカの求めに応じて、日本が市場開放することは、日本の国益を増大することになる」という命題を有意味なものにするためには、「アメリカの国益を最大限に配慮することが、結果的には、日本の国益を最大化することになる」という命題をそこに媒介命題としてはめ込むしかない。
だが、「アメリカの国益を最大限に配慮することが、結果的には、日本の国益を最大化することになる」という命題は汎通的に真であるわけではない。
そう思っている人は少なからずいるが、それはあくまで個人的な“信念”であって、一般的真理ではない。
もちろん私はそのような“風が吹けば桶屋がもうかる”式の推論にまるで根拠がないと言っているわけではない。
経験的に“そういうこと”が繰り返しあったからこそ、彼ら(松下政経塾系政治家とか財界人とか官僚とかメディア知識人のかたがた)はそのような推論になじんでいるのである。
私とて経験則の有効性を否定するものではない。
でも、その場合には、「この政治的選択は原理的には合理性がないが、経験的にはわりと合理性がこれまではあったので、これからも妥当するかも……」というくらいの、節度ある語り口を採用すべきだと思う。
「バスに云々」のような、人を情緒的に不安にしておいて、その虚を衝いてガセネタをつかませるあくどいセールスマンのような安手の語り口は採るべきではないと私は思う。
誤解して欲しくないのだが、私は市場開放や自由貿易に“原理的に”反対しているのではない。
その点については、ぜひご理解を頂きたい。
ただ、市場開放や自由貿易は“主義”として採用すべきものではなく、国民経済に資する範囲で“按配”すべきものだという下村治の立場に与するのである。
貿易政策の得失については、「これでいいのだ」と包括的に断定したりしないで、個別的に吟味した方がいいと申し上げているだけである。
とりあえず私たちが知っているのは“アメリカは必死だ”ということである。
ここでTPPに日本を巻き込むことができるかどうかが“アメリカ経済の生命線”であるかのような悲壮な覚悟でアメリカは日本に迫っている。
別に、日本の国運を案じて悲愴になっているわけではない。
アメリカの行く末を案じて悲愴になっているのである。
アメリカの貿易について考える場合に、私たちがまず前提として理解すべきことは、“アメリカには、日本に売る工業製品がない”ということである。
アメリカの製造業は壊滅してしまったからである。
“ものつくり”という点について言えば、もうアメリカには世界のどんな国に対しても国際競争力のある“もの”を輸出する力がない。
自動車も家電も衣料品も、なにもない。
一応作ってはいるけれど、クオリティについての信頼性が低く、割高なので、買い手がつかないのである。
“もの”でまだ国際競争力があるのは、農産物だけである。残りは“ノウハウ”、つまり“頭のなかみ”である。
GoogleとAppleのような情報産業と司法、医療、教育といった制度資本を“金にするノウハウ”だけはまだ“売り物”になる。
でも、正直に言うと、GoogleもAppleも、“なくても困らない”ものである。
あると便利なので私も愛用しているが、ほんとうに必要なのか、と改めて考えるとわからなくなる。
「そうやって温泉宿にまで『iPhone』や『iPad』を持ち込むことで、キミたちの人生は豊かになっていると言えるのかね。そんなものがあるせいで、キミたちはますます忙しくなり、ますます不幸になっているようにしか、オレには見えないのだが」と兄ちゃんに言われて、私も平川くんも返す言葉を失ったのである。
たしかに、そのとおりで、このような高度にリファインされた情報環境があった方がいいのか、なくてもいいのか、考えるとよくわからない。
朝起きてパソコンを起動して、メールを読んで返事を書いているうちに、ふと気づくとが日が暮れ始めていたことに気づいて愕然とするとき、「いったいオレは何をしているのか」と考え込んでしまう。
私が機械を使っているのか、それとも機械が私を使っているのか。『モダンタイムス』的不条理感に捉えられる。
兄ちゃんの話では、最近のサラリーマンたちはオフィスで朝から晩までプレゼン用の資料をパワーポイントとエクセルで作っているそうである。
「仕事の時間の半分をプレゼンの資料作りに使っているのを“働いている”と言ってよいのだろうか?」と兄ちゃんは問う。
情報環境の“改善”によって、私たちの労働は軽減されるよりはむしろ強化された。
それは実感として事実である。
家にいながら仕事ができるようになったせいで、私たちは外で働いているときも家にいるときも働くようになり、そうやって増大する作業をこなすためにますます高度化・高速化した端末を求めるようになり、その高度化した端末のせいで私たちのしなければいけない仕事はますます増大し……
エンドレスである。
アメリカはこのエンドレスの消費サイクルに私たち“ガジェット大好き人間”を巻き込むことによって、巨大な市場を創設することに成功した。
もうアメリカが“売ることのできるもの”は、それくらいしかない。
だから、アメリカの大学と研究開発機関は世界中から“テクニカルなイノベーションができそうな才能”を必死で金でかき集めようとしている。
アメリカの先端研究の大学院に占める中国人、インド人、韓国人の比率は増え続けているが、それは彼らにアメリカで発明をさせて、それを絶対に故国に持ち帰らせず、アメリカのドメスティックなビジネスにするためである。
いつまで続くかわからないが、しばらくはこれで息継ぎできるはずである。
「アメリカの大学は外国人に開放的で素晴らしい」とほめたたえる人がよくいるが、それはあまりにナイーブな反応と言わねばならぬ。
先方だって生き残りをかけて必死なのである。外国人だって、国富を増大させてくれる可能性があるなら、愛想の一つくらい振りまくのは当たり前である。
これが“教育を商売にする方法”である。
アメリカの学校教育には“子どもたちの市民的成熟を促す”という発想はもうほとんどない。
学校はビジネスチャンスを生み出す可能性のある才能をセレクトする機会であり、市民的成熟のためのものではない。
アメリカでは、高付加価値産業だけが生き残り、生産性が低い代わりに大きな雇用を創出していた産業セクターは海外に移転するか、消滅した。
だから、“才能のある若者”以外には雇用のチャンスが減っている(失業率は2010年が9.6%だが、二十代の若者に限ればその倍くらいになるだろう)。
ウォール街でデモをしている若者たちは「まず雇用」を求めている。
これまでアメリカ政府は彼らに「我慢しろ」と言ってきた。
まず、国際競争力のある分野に資金と人材を集中的に投入する。それが成功すれば、アメリカ経済は活性化する。消費も増える。雇用も増える。貧乏人にも“余沢に浴する”チャンスが訪れる。だから、資源を“勝てそうなやつら”に集中しろ、と。
“選択と集中”である。
でも、それを30年ほどやってわかったことは、“選択されて、資源を集中されて、勝った諸君”は、そうやって手に入れた金を貧乏な同胞に還元して、彼らの生活レベルを向上させるためには結局使わなかった、ということである。
それよりは自家用ジェット機買ったり、ケイマン諸島の銀行に預金したり、カリブ海の島を買ったり、フェラーリに乗ったり、ドンペリ抜いたり、アルマーニ着たり(たとえが古くてすみません……)して使ってしまったのである。
選択-集中-成功-富の独占というスパイラルの中で、“選択から漏れ、集中から排除された、その他大勢の皆さん”が絶対的な貧窮化にさらされ、今ウォール街を占拠している。
彼らの運動に「政策的な主張がないから、政治的には無力だろう」と冷たく言い捨てる人々が日米に多いが、それは間違いだと思う。
彼らが政府に何を要求していいかわからないのは、「完全雇用は経済成長に優先する」という(日本の高度成長を理論づけた)下村治のような“常識を語る人”がアメリカでは政府部内にも、議会にも、メディアにもいないからである。
ウォール街を占拠している若者たち自身「成長なんか、しなくてもいい。それより国民全員が飯を食えるようにすることが国民経済の優先課題である」という主張をなしうるだけの理論武装を果たしていないのである。
「生産性の低い産業分野は淘汰されて当然だ(生産性の低い人間は淘汰されて当然だ)」というグローバリストのロジックは貧困層の中にさえ深く根付いている。
だから、彼らはこの格差の発生を“金持ちたちの強欲(greed)”という属人的な理由で説明することに満足している。
“属人的な理由で説明することに満足している”というのは、それを社会構造の問題としては論じないということである。
“強欲である”というのは“能力に比して不当に多くの富を得ている”という意味である。
問題は個人の倫理性のレベルにあり、国家制度のレベルにはない。
“アメリカはこれでいい”のである。
ただ、一部に“ワルモノ”がいて、国民に還元されるべき富を独占しているので、それは「倫理的に正しくない」と言っているのである。
このような一部の富者だけを利する経済システムは“アメリカの建国理念からの倫理的な逸脱”であって、構造的な問題ではない。だから、建国の父たちが思い描いた“るべきアメリカの姿”に立ち戻れば問題は解決する。
彼らの多くはまだそう思っている。
アメリカのこの頽落(たいらく)はもしかすると“建国の理念のコロラリー”ではないのか……という足元が崩れるような不安はまだアメリカ人のうちに広まっていない。
それが最大の危機であるように私には思われる。
話を続ける。
情報と教育の他、あと、アメリカが商売にしようとしているのは司法と医療である。
これについては、専門家が的確に危険性を指摘しているから、私の方からは特に付け加えることはない。医療については、前にご紹介したYoo先生の『「改革」のための医療経済学』をご一読いただければよろしいかと思う。
そして、アメリカの最大の売り物は農産物である。
驚くべきことに、アメリカが“かたちのあるもの”として売れるのはもはや農産物だけなのである(あと兵器があるが、この話は大ネタなので、また今度)。
農産物はそれは“その供給が止まると、食えなくなる”ものである。
Googleのサービスが停止したり、Appleのガジェットの輸入が止まると悲しむ人は多いだろうが(私も悲しい)、“それで死ぬ”という人はいない(と思う)。
日本列島からアメリカの弁護士がいなくなっても、アメリカ的医療システムが使えなくなっても、誰も困らない。
でも、TPPで日本の農業が壊滅したあとに、アメリカ産の米や小麦や遺伝子組み換え作物の輸入が止まったら、日本人はいきなり飢える。
国際価格が上がったら、どれほど法外な値でも、それを買うしかない。そして、もし日本が債務不履行に陥ったりした場合には、もう“買う金”もなくなる。
NAFTA(North America Free Trade Agreement)締結後、メキシコにアメリカ産の“安いトウモロコシ”が流入して、メキシコのトウモロコシ農家は壊滅した。そのあと、バイオマス燃料の原材料となってトウモロコシの国際価格が高騰したため、メキシコ人は主食を買えなくなってしまった。
基幹的な食料を“外国から買って済ませる”というのはリスクの高い選択である。
アメリカの農産物が自由貿易で入ってくれば、日本の農業は壊滅する。
「生産性を上げる努力をしてこなかったんだから、当然の報いだ」とうそぶくエコノミストは、もし気象変動でカリフォルニア米が凶作になって、金を出しても食料が輸入できないという状況になったときにはどうするつもりなのであろう。同じロジックで「そういうリスクをヘッジする努力をしてこなかったのだから、当然の報いだ」と言うつもりであろうか。
きっと、そう言うだろう。そう言わなければ、話の筋目が通らない。
でも、こういうことを言う人間はだいたい日本が食料危機になったときには、さっさとカナダとかオーストラリアとかに逃げ出して、ピザやパスタなんかたっぷり食ってるのである。
TPPについて私が申し上げたいことはわりと簡単である。
「生産性の低い産業セクターは淘汰されて当然」とか「選択と集中」とか「国際競争力のある分野が牽引し」とか「結果的に雇用が創出され」とか「内向きだからダメなんだ」とか言っている人間は信用しない方がいい、ということである。
そういうことを言うやつらが、日本経済が崩壊するときにはまっさきに逃げ出すからである。
彼らは自分のことを「国際競争に勝ち抜ける」「生産性の高い人間」だと思っているので、「いいから、オレに金と権力と情報を集めろ。オレが勝ち残って、お前らの雇用を何とかしてやるから」と言っているわけである。
だが用心した方がいい。こういう手合いは成功しても、手にした財貨を誰にも分配しないし、失敗したら、後始末を全部“日本列島から出られない人々”に押しつけて、さっさと外国に逃げ出すに決まっているからである
「だから『内向きはダメだ』って前から言ってただろ。オレなんかワイキキとバリに別荘あるし、ハノイとジャカルタに工場もってっから、こういうときに強いわけよ。バカだよ、お前ら。日本列島なんかにしがみつきやがってよ」。
そういうことをいずれ言いそうなやつ(見ればわかると思うけどね)は信用しない方が良いです。
私からの心を込めたご提言である。

執筆: この記事は内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』からご寄稿いただきました。

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