「理知なるものを追い求めなければけものに堕する」――丸山健二の「怒れ、ニッポン!」第13回

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※撮影・丸山健二

怒れ、ニッポン!

大半の国民をただ羊のようにおとなしくさせておくだけの秩序ならば、断じて拒否すべきだ。見せ掛けだけの秩序が保たれていることをよしとするのは、あくまでも為政者側の論理であって、我々国民が歓迎すべきものではない。悪しき秩序を排除するには善き混乱が必要不可欠である。忘れないでほしい。

最初は怒りのための怒りであってもいい。的を絞りきれない、漠然とした、やむにやまれぬ怒りで充分だ。この国はどうもおかしい。この政府はどうも変だ。この社会の仕組みはどうも怪しい。という直感と直観こそがしゃちこばった政治思想なんぞよりもはるかに大切で、それが結集して偉大な力となる。

そもそもスポーツの精神の基盤を成しているのは、自立と自律の力をおのれの肉体を鍛えるという孤独な行為を通して培うことにある。それは、この世の仕組みを看破し、どこの誰にも利用されたり騙されたりしない精神を身につけることでもある。それが逆の方向へ進んでいるならば、スポーツではない。

権力や権威に毒され、国威発揚のために悪用されたスポーツは、そうなってしまった芸術と同様、本来の輝きをどんどん失ってゆく。スポーツの秋、芸術の秋という言い回しに組み込まれ、背景に国家の影響力を色濃く留めたそれは、スポーツや芸術にとって必須とも言える純粋性が完全に抜け落ちている。

理念は本能に相対するものであるからにして、その勝負はおのずと圧倒的な敗退という形で決着がつけられてしまう。現実は常に欲望に沿って動くものだからして、理想なんぞは吹けば飛ぶよな軽いものとして扱われやすい。しかし、それを百も承知の上で理知なるものを追い求めなければけものに堕する。

結局、この世を仕切っている最も大きな力とは、残念ながら暴力である。暴力の強弱によって世界は多大な影響を受け、どの国家も暴力を背景にして内外の秩序を保とうとしている。この昔ながらのシステムが揺るがない限りは、人間らしい生き方は夢のまた夢でありつづけ、真の心の安らぎもあり得ない。

芸術の秋とは名ばかりで、この国のそれはお粗末の一語に尽きる。どのジャンルをとってみてもそれらしく見える段階には一応達してはいるのだが、しかし、そのレベルの低さはあまりにもお粗末で、貧弱で、話にならない。芸術祭が聞いて呆れる。いや、お祭騒ぎという意味でならば、当を得ているかも。

(つづく)

丸山健二氏プロフィール1943年12月23日生まれ。小説家。長野県飯山市出身。1966年「夏の流れ」で第56回芥川賞受賞。このときの芥川賞受賞の最年少記録は2004年の綿矢りさ氏受賞まで破られなかった。受賞後長野県へ移住。以降数々の作品が賞の候補作となるが辞退。「孤高の作家」とも呼ばれる。作品執筆の傍ら、350坪の庭の作庭に一人で励む。Twitter:@maruyamakenji

※原稿は丸山健二氏によるツイートより

丸山健二×ガジェット通信

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