悩んだときこそ夏目漱石! 没後100年、今なお人を惹きつけるその言葉の魅力って?

悩んだときこそ夏目漱石! 没後100年、今なお人を惹きつけるその言葉の魅力って?

2016年は、夏目漱石の没後100年にあたります。漱石といえば、「吾輩は猫である」「坊っちゃん」をはじめ、近代日本を代表する作品を生み出した作家。今なお教科書や本を通して、私たちは彼の言葉に触れています。

「坊っちゃん」や「吾輩は猫である」のような、ユーモラスで明快な作品が印象に残る漱石ですが、「こころ」に代表される、陰鬱さや苦悩といった人間の負の部分にスポットライトをあてた小説も今なお、人々の心を揺さぶります。

■ダメ男たちばかりが出てくる「坊っちゃん」に漱石の本性を見る。

その視点で他の作品を見ると、「坊っちゃん」に出てくる男性の登場人物は主人公を除いて「ダメ男」ばかり。政治学者の姜尚中さんは、漱石についても「コミュニケーションに不向きな、淋しい人間だった」(『漱石のことば』P23より引用)と推測しています。

だからこそ今なお、漱石は多くの人の心を打つのでしょう。姜尚中さん自身も、自分の出自や軽い吃音などに悩み、コンプレックスに凝り固まった「残念な青春」をおくってきた過去を持っています。

そんな姜さんが、漱石の著作物から148の人生の糧になる名言をひいたのが、『漱石のことば』(集英社刊)です。

■「恋は罪悪」は時代遅れ?

『こころ』(本書では『心』)で、先生が繰り返し言う思わせぶりなセリフ。それが「恋は罪悪」です。

「とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。さうして神聖なものですよ。」(『心より』)

当時はまだ恋愛というものが今ほど自由ではなかった頃。罪悪であり、神聖なものという言葉は、時代遅れのように響くかもしれません。しかし、この感覚は自由である今こそ、必要ではないでしょうか。

■自分自身で動かないと何も起こらない。

自分のテリトリーにこもっていては、何も広がりません。そんなことを教えてくれるのがこの言葉です。

「活きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちや、助からない。外へ出て風を入れるさ。」(『三四郎』より)

つまらない授業に顔を出していた三四郎に、与次郎がかけたのがこの言葉。生きた頭にとって重要な学びは、生きた世界にあるものです。大学で教鞭をとってきた姜さんは、「耳の痛い言葉」だとつづっています。

また、自分の力で成し遂げることの大切さに気づかせてくれる、こんな言葉も。

「敲(たた)いても駄目だ。独りで開けて入れ」(『門』より)

生きる苦しみに堪えず、宗教を頼った『門』の主人公、宗助。しかし、信仰の門は頼るだけで信じない者には開かれません。他力本願も、自力本願があって、初めて有り難みがわかるのかもしれない、と姜さんは言います。

生きることについて、答えなんていくら探しても見つかりません。どんなに強い身体をもっても、精神が揺らぐことはあります。漱石はそんな人間の本性を見抜き、作品の中で描いているのです。本書は、悩んでいるとき、迷っているとき、そっと開きたくなる一冊です。

(新刊JP編集部)

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