藤原ヒロシ × 宮本彩菜『Nothing Much Better To Do』対談インタビュー

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2016年からビクターエンタテインメントが「デラックス・エディション」シリーズを始動。その第1作品としてリリースされたのが、1994年に藤原ヒロシが作り上げた名盤『Nothing Much Better To Do』である。リミックスやプロデュースワーク、あるいはDJの現場でハウス、ダブ、ブレイクビーツといった海外のストリート/クラブミュージックから派生したサウンドを、時差のない同時的なカルチャーを彩るための息吹としていち早く日本に持ち込んだ藤原ヒロシ。そんな彼が生楽曲を軸に豊潤なメロウネスをたたえた東京発のアーバンミュージックをクリエイトしたのが、『Nothing Much Better To Do』だった。当時、このアルバムは渋谷系と呼ばれるムーヴメントと共振しつつも、東京の中心で独立した光輝を放っていた。今回のリイシューに際して、オリジナルマスターテープよりリマスタリングされ、そのエバーグリーンな求心力はさらに洗練され、味わい深いものになっている。『Nothing Much Better To Do』は“ストリート”や“アーバン”という概念の再構築であり、新解釈がクローズアップされている現行の東京のカルチャーシーンにも普遍的に響くだろう。

このリリースを記念して、NeoLでは藤原ヒロシの対談企画を実施。お相手は、モデルの宮本彩菜。1991年に大阪で生まれた彼女は、2013年から活動を始め、雑誌や広告などでモデルとして活躍する一方で、YouTubeやInstagramでは彼女自身が制作している動画や音楽にも注目が集まっている。

初対面の2人のクロストークは、内容も含めてじつにフレッシュだった。

 

——宮本さんはこれまで藤原さんの音楽を耳にしたことはありますか?

宮本「撮影現場で流れていて聴いたことがありました。あらためて今日の対談が決まって聴かせていただいて。繊細な音楽というか……勝手な印象ですけど、音楽に人柄が出ているんだろうなって思いましたね」

藤原「今日は僕の音楽の話はしなくていいですよ(笑)」

——いやいや、せっかくですから(笑)。宮本さんは1991年生まれですよね?

宮本「そうです」

——藤原さんが『Nothing Much Better To Do』をリリースしたのが1994年で。

藤原「じゃあ当時3歳とか、か(笑)」

宮本「そうですね(笑)」

——でも、本当にエバーグリーンなアルバムだと思います。

藤原「リリース当時もそんなに売れるアルバムだとは思ってなかったし、決してキャッチーな音楽ではないと思っていて。ただ、これはズルいんだけど、貶しづらいアルバムだと思うんですよ。『ダサい』って言っちゃいけない空気感があるというか。映画でもたまにあるじゃないですか、『これいいね』って軽く言っておいたほうがいい作品みたいな(笑)」

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——そのニュアンスもわからないでもないんですけど、このアルバムは東京発のアーバンポップのスタンダードとも言えるわけで。当時の藤原さんにも生楽器を使った普遍的な音楽作品をクリエイトしたいという思いがあったのではないかと。

藤原「ちょっとはそういう感覚もありましたね。それまで人のプロデュースやリミックスも含めて、ヒップホップであったり、ダブであったり、ハウスであったり、いろんな作品を作ってきたなかで、10年後に聴いても恥ずかしくない作品を作りたいなという思いはありました。きっと今の大衆音楽でも10年後に聴いたら恥ずかしい曲がいっぱいあると思うんですけど、そういう作品にはしたくないなと。ちなみに宮本さんも音楽を作ってるんですか?」

宮本「いや、音楽を作ってると言っても、私のはただの遊びです(笑)。だから、藤原さんがどういうふうに音楽を作ってるのか、どういう気持でこのアルバムを作ったのかは気になっていて」

藤原「気をつけないと10年後に恥ずかしい思いをしますよ(笑)」

宮本「恥ずかしいかもしれないですね。でも、遊びだし、今しか作れない曲を作るのがいいかなとも思います」

藤原「うん、その感覚はすごく大切」

宮本「私は音階とかも理解してないし、知識がないからこそ挑戦できることがあるのかなって思うんですよね。友だちと一緒にただ自分たちが聴いて気持ちいい音楽を作りたいという遊びなんですよね」

藤原「もともとどういう音楽が好きなんですか?」

宮本「姉が、アメリカンポップスが好きで。ブリトニー・スピアーズとかディスティニー・チャイルドとかのMVをMTVで毎日のように観ていて。お姉ちゃんと一緒にダンスをまねしたりしていたんです。それで、高校生のときにダンスを始めたんですけど。それから音楽に対する興味は強くなりましたね」

藤原「日本のポップスはあまり聴いてこなかったの?」

宮本「小学生のときはモーニング娘。とか聴いてましたね。お姉ちゃんから洋楽の影響を受けるまでは」

藤原「最近は洋楽に影響を受ける人って少なくなってますよね。僕らが若いころは邦楽を聴くことがダサいという風潮があったんですけど。そういう感覚はなくなっちゃった気がする」

——「なくなっちゃった」という感じですか?

藤原「そうですね。大学(京都精華大学)で教えてる子たちの話を聞くと、洋楽も聴くけど、邦楽も普通に好きという人が多くて。僕が18歳くらいのころは日本のアーティストは知らなかったし、邦楽が好きなのがカッコ悪いと思ってたから」

——そういう差別化はあったほうがいいと思いますか?

藤原「ちょっとあってもいいのかという気がしますね」

——今の東京のインディーズシーンには藤原さんの音楽性とも共鳴するような若い才能がいっぱい出てきてますけどね。あまり知らないですか?

藤原「あんまり知らないですね。イベントで一緒になってCDをもらって聴くくらいで。宮本さんが作る曲の歌詞は日本語なんですか?」

宮本「一応、日本語なんですけど、小さいころから歌詞を聴いて音楽を楽しむという感覚があまりなかったので、歌詞の内容も特に意味はなくて。曲を作ってるときになんとなく聴こえた言葉を繰り返したり。洋楽って無意味な歌詞が多いじゃないですか。あくまで言葉を音として捉えてるというか。その感じが好きだからあまり邦楽を聴いてこなかったのかもしれないですね」

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——ピアノを習ったりしたことは?

宮本「小さいころちょっと習ってましたね。お母さんの姉がピアノの先生で、家に来てくれて教えてくれたんですけど。でも、私は楽譜を読まずに曲を聴いたまま覚えるタイプだったんですよ。だから習ってたという感じではなかったですね(笑)」

藤原「僕もコードはわかりますけど、音符は読めないし、知識を持たないことがいいと思ってる。子どものころ親に無理やりエレクトーン教室に通わされていたんですけど」

——エレクトーンは経験値として大きいですよね。

藤原「そうですね。そんなに長く通ってなかったですけど。エレクトーンって、どちらかと言うとコード感が養われるんですよね。それがよかったのかなとは思います。結局、さっきの話にもあったけど、その歳や時代にしか作れないものはそのとき作ったほうがいいんですよね。たとえ数年後に聴いたときに恥ずかしくてもね。この前もある人とある企画をまたやろうって曲を作りだしたんですけど、やっぱり昔みたいな音には全然ならないんですよ。今は音がざらついていたり、強引にサンプリングしちゃうような発想がなくて。ずっと音楽をやってきて、どこかで洗練され、耳も肥えていって、得るものもあったけど失くしたものもやっぱりあるなと。あのざらついた感じってあのときだけのものだったんだなって思いましたね」

宮本「なるほど。おもしろいですね」

——藤原さんは若くしてロンドンに渡ったり、海外経験から得たものも大きいと思うんですけど。

藤原「うん、大きかったですね。海外には若いころから行ってよかったなと思います。宮本さんはずっと日本ですか?」

宮本「はい」

藤原「純日本人なんですか?」

宮本「父親が韓国人です」

藤原「海外に対する興味は?」

宮本「めちゃくちゃあります! 小学生のころからずっとあって。なんで行かなかったんだろう……。まだニューヨークやパリとか5都市くらいしか行ったことがないんですよ」

藤原「だったら来週あたりに行ったほうがいいですよ」

宮本「来週ですか(笑)。海外に行って何がほしいかというと、人としてのタフさというか。もちろん、現地のカルチャーへの興味もありますけど、それはどこに行っても吸収できる気がするんですよね」

藤原「何年間じゃなくて、1ヶ月くらいでもいいかもしれない。留学とかじゃなくて、海外に住んでる友だちの家に居候するとかね」

——藤原さんはロンドンに行って、いきなり現地のコミュニティに入っていったんですか? たとえばヴィヴィアン・ウエストウッドとの出会いだったり。

藤原「そうですね。わりとすぐにコミュニティに入れましたね。たぶん当時は珍しかったと思うんですよね、日本から来た18歳の男の子自体が。背の低い日本人の男の子がパンクっぽい格好してるというだけでおもしろがってくれたんです。当時はインターネットもないし、事前情報もあまりない状況で現地に行ってみて初めて見るものや聴くものすごくたくさんあって。もう、毎日が楽しくてしょうがなかった。それは田舎から東京に出てきたときもそうでしたね」

宮本「ご出身は三重県ですよね?」

藤原「そうです」

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——当時の東京のカルチャーシーンはどんな感じだったんですか?

藤原「上京したのは82年とかで、DCブームだったんですよ。でも、僕はパンクだったりロンドンのカルチャーが好きで。周りは、女の子はPINK HOUSE、男の子はMEN’S BIGIみたいな感じでした」

——当然、パンクスの藤原さんは浮きますよね?

藤原「まあ、ちょっとは同じようなファッションの人はいましたけどね。東京には地元の伊勢よりはそういうコミュニティがちゃんとあるから、すごく楽しかった。今だったらネットをきっかけに友だちができたりコミュニティに入ったりするのかもしれないけど、当時はその場所に行かないと何も始まらなくて」

——現場に行かないと。

藤原「そうそう」

宮本「その時代が羨ましいとも思いますね。当時のカルチャーはちゃんとバックグラウンドがあるような気がするんですよね。今の時代のファッションもまた20年後にリバイバルしたりするのかもしれないですけど……どうなんですかね」

藤原「今はファッションの傾向でもバーッと広がるスピードが速いですよね」

宮本「速いと思います。昔はもっとじっくりムーヴメントも広がっていったのかなって。70年代のヒッピーの写真とか見ても楽しそうだなって思う。たとえば今流行ってるブランド名を20年後に出したときにそのとき私たちは懐かしんだりするのかなって」

藤原「その懐かしさはあるんじゃないかな」

——藤原さんにとって今の東京はおもしろいですか?

藤原「おもしろいですよ。居心地がいいし」

——その居心地のよさはずっと変わってないですか?

藤原「変わらないですね。ただ、世界中のトレンドとの差がない感じはしますよね。そこはあんまりおもしろくないかも。昔はロンドンやニューヨークに行くのが楽しみで。今はニューヨークに行っても原宿に同じモノが売ってあったりするし。その違いはありますよね。原宿でニューヨークと同じモノを買えるよさもあるとは思うんですけどね。あと、変わらないなと思うのは、東京って世界的な情報とかを気にせずにいろんなものを集められる街だと思うんですよね」

——それを独自にエディットしたり。

藤原「そう。ファッションにしても、中国みたいに単なる偽物を作るんじゃなくて、リスペクトを込めてオマージュすることが許されてる街だと思う。なおかつ良質なモノを作るから」

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——宮本さんは大阪から上京したときに東京はどんな街に映りましたか?

宮本「最初はホームシックで、ずっと実家に帰りたいと思ってましたね。もともとどこかに遊びに行って、カルチャーや仕事の話をして盛り上がるようなタイプじゃないというのもあって。もちろん、街を歩けば刺激的な人がいっぱいいるなとは思いましたけど、ここで死にたいとは思わなかったですね。嫌いではないんですけど」

藤原「いつか大阪に帰りたい?」

宮本「そういうわけでもないんですけど……ただ、東京は自分次第でもっと楽しめる街なのかなとは思います」

——宮本さんは農業もやってるんですよね。それはどこで?

宮本「岩手県です。そこは私にとっての理想郷のような場所ですね」

藤原「農業をするためにそっちに移住しようとは思わないの?」

宮本「いや、できることなら毎日行きたいです! 本当に」

藤原「そこまで思い入れがあるんだ」

宮本「向こうにいると心と体の状態がすごくいいんですよ。『なんてパワフルになれるんだろう!』って思う」

藤原「何人かと引っ越して小さなコミュニティを作ったりしたらおもしろいかもよ」

宮本「できたらいいんですけどね……」

藤原「そうやってその土地を活性化させたらいいじゃないですか」

宮本「ああ、冬は出稼ぎでこっちに来て仕事して。それいいなあ!(笑)」

藤原「それこそ今しかできないことだと思う。10年後だと意味が変わるから」

——農作物は何を作ってるんですか?

宮本「野菜は全般ですね。ピーマン、トマト、キュウリ、ナス、米なす、オクラ、万願寺唐辛子……とにかくいろんなものを作ってます。お米も作ってるし」

——お米も!

宮本「黒米も赤米もすごくおいしいんですよ!」

藤原「じゃあ今年は向こうに引っ越すことを目標にして、現地に小さな仕事のスペースを作って、そこを基点に動くようにしたらいいじゃないですか。今はパソコン一台あったらなんだってできるし」

宮本「大好きなあの場所にいたら最高だろうなって思うんですけど、今の自分が吸収したいのは海外にあるような気がするんですよね。ニューヨークだったり。岩手は何十年後に住む場所だと思っていたから……最終地点がそこなんだなと思うんです。最終的には自然であり野生に還りたいって思うから」

藤原「でも、最終地点がそこにあるなら、なおさら先にその最終地点に行ってみたらいいと思う。そのほうが楽しいと思う。どちらかと言うと、ニューヨークはもっとあとでいいと思うな」

——藤原さんはなぜそう思われますか?

藤原「いや、一番好きでやりたいことがあるなら、それをやるほうが絶対にいい。どのタイミングでもリセットできるじゃないですか。たとえば1年間農業をじっくりやって、もし飽きたらほかのことをやってもいいわけで」

 

——藤原さんはそうやって生きてきた。

藤原「そう。しかも宮本さんは若いからなんのリスクもないじゃないですか。岩手に撮影ができたり音楽を作れるスタジオを作ったっていいわけだし。クライアントも『岩手にいるならいいや』って言う中途半端な人と仕事をするより、『岩手にいてもぜひお願いします!』って言うくらい情熱のある人と仕事をしたほうがいいと思う」

宮本「そうか……考えてみます」

——藤原さんは今、新しくやりたいことはないんですか?

藤原「特にないんですよね」

——興味があることをやり尽くした感じがある?

藤原「それはわからない。何か見つかったらすぐにやりますけどね。僕は、やりたいことはやるタイプなんだけど、やれないことをやりたいとは思わないんです。つねに現実的なんですよね。だから、宇宙に行こうとも思わないし、宇宙ビジネスをやろうとも思わない。僕には不可能だから。目に見える近い距離にあることをやっていきたい。音楽に関しても等身大でやっていきたいですね。宮本さんの作った曲も聴いてみたいですね」

宮本「ぜひ。今、『黄泉』という曲を作っていて。それはけっこうヤバい曲になると思います。夢のなかで黄泉の国に行ったことをモチーフにした曲なんですけど」

藤原「聴きたいですね」

宮本「じゃあ(と言って、iPhoneに入っているデモ音源を藤原に聴かせる)」

藤原「(音源を聴いて)すごくいいじゃん!」

宮本「やった!」

藤原「これ、ちゃんと発表したほうがいいんじゃないですか? iTunesとかでリリースすればいいのに」

宮本「うれしい!」

藤原「もし、今後何かお手伝いできることがあればしますよ」

宮本「ぜひ! ありがとうございます」

 

撮影 依田純子/photo Junko Yoda

取材 三宅正一+桑原亮子/interview Shoichi Miyake(Q2)+Ryoko Kuwahara

文 三宅正一/text  Shoichi Miyake(Q2)

企画・編集 桑原亮子 edit/Ryoko Kuwahara

 

 

 

 

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藤原ヒロシ

80年代よりクラブDJを始め、1985年TINNIE PUNXを高木完とともに結成し、日本のヒップホップ黎明期にダイナミックに活動。90年代からは音楽プロデュース、作曲家、アレンジャーとして活動の幅を広げる。2011年より真心ブラザースの倉持陽一とともにAOEQを結成し新たなバンドスタイルでの演奏活動を行っている。ワールドワイドなストリートカルチャーの牽引者としての顔も持ちファッションの分野でも若者に絶大な影響力を持つ。2014年4月より青山に「ザ・プール青山」をオープン。3月26日には青山から銀座に場所を移し、コンセプトストア「THE PARK・ING GINZA」を出店予定。また、2015年11月より、モノの新旧に拘らず、自らが見たい、読みたい、知りたいと思う情報を集めてグローバルに発信するデジタルメディア”Ring Of Colour”をスタートした。

http://ringofcolour.com/

 

宮本彩菜

1991年大阪府生まれ。 2013年より本格的に活動をスタート。 広告、雑誌等にモデルとして登場する傍ら、 自ら撮影、編集した動画や描いたイラストが注目され、 クリエイターとしても国内外で注目を集めている。

http://sora-inc.net

 

 

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NeoL/ネオエル

都市で暮らす女性のためのカルチャーWebマガジン。最新ファッションや映画、音楽、 占いなど、創作を刺激する情報を発信。アーティスト連載も多数。

ウェブサイト: http://www.neol.jp/

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