幸せと座布団を運び続けて31年!笑点・山田クンが語る「継続する先に見えるもの」

「山田クン!座布団1枚持ってきて!」

 何をやっても継続できずに、すぐに飽きてしまう。なのに、日曜の夕方、「笑点」だけは子供の頃から見続けている。テレビの向こうには昔も今も変わらずにニコニコしながら座布団を運び続ける”山田クン”。どこかほっとする反面、幸せと座布団を運び続けて31年なんて、どうしたら継続できるのかと不思議に思ってしまう。

 山田クンこと、山田たかおさんの著書「山田クンとざぶとん」(双葉社)や「ボクに運が巡ってくる55の理由」(廣済堂出版)を開けば、その多才さにまず驚かされる。元スーパーアイドルで、落語家として寄席にも出れば、スピルバーグの映画に出演した経験も。運動神経も抜群でプロボクサーの資格を持ち、卓球の腕前も世界ベテラン卓球選手権に出場するほど。なおかつ不動産の才もあり、マンション2棟を所有するオーナーでもある。それというのも、すべては「座布団芸」という、山田たかおさんの代名詞とも言える芸があるからだ。

 3人に1人は、3年以内に仕事をやめてしまうといわれる時代。山田さんはどのように継続力を身につけ、座布団を武器に運を切り開いていったのか。話を聞いた。

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山田たかおさん

東京生まれ。10歳から人気子役として芸能界で活躍。昭和50年、ずうとるびでNHK紅白歌合戦出場。昭和59年から「笑点」の6代目座布団運びを現在まで務める。昭和62年位は、スティーヴン・スピルバーグ監督作品「太陽の帝国」に出演。落語家、プロボクサー、世界ベテラン卓球選手権出場など多彩な一面を持つ。

”冒頭挨拶コンプレックス”を克服するために、落語協会会長に弟子入り

 笑点で座布団運びを始めて今年で31周年になります。それ以前は男性アイドルグループ「ずうとるび」のボーカルをしていました。笑点のコーナー「ちびっ子大喜利」に出演して座布団10枚を獲得したときに、「レコードを出したい」と自ら申し出て、デビューさせてもらったんです。その「ずうとるび」を引退すると、お金も仕事もまったくなくなってしまい、まさにどん底というタイミングで当時のプロデューサーから声をかけていただきました。それまで笑点で座布団運びをしてきた人たちは体格が大きな人ばかりだったので、小さな人が一生懸命運ぶ姿がテレビに映れば面白いんじゃないかという発想だったそうです。

 とはいえ、最初の1年は、とにかくつらかったです。何がつらかったかというと、冒頭での挨拶。話芸の達人たちが次々とテンポよく面白い話をした一番あとに、素人の私が挨拶をしなければなりません。いろいろとネタを準備しても、なにせ順番が最後なものだから、先に言われてしまうことも日常茶飯事でした。ひどいときは、冷や汗をダラダラと流しながら、カメラの前で「あぁ〜、あぁ〜、暑いですね」としか言えなかったこともあります。

 私の前に座布団運びをしていた松崎真さんは、「手をあげて、横断歩道を渡りましょう」という決まり文句を言うだけで済んでいたので、自分も同じように同じ言葉を言い続ければよいと思っていたのに、「毎回、違うことを考えてこい」なんて指示されたものだから、プレッシャーに押しつぶされそうでした。

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 プロデューサーのすすめで、6代目座布団運びに起用された直後からお辞儀の仕方や歩き方を学ぶために日本舞踊は習っていたのですが、挨拶コンプレックスを克服するために落語を一から学びたいと思いました。それで当時の落語協会会長の鈴々舎馬風(れいれいしゃばふう)師匠に「弟子にしてください」と頭を下げて、一門入りすることにしたのです。ところが、笑点のプロデューサーやディレクターに報告する前に、馬風師匠が新聞記者に話してしまったものだから、次の日にはドドーンと一面に「山田隆夫、鈴々舎一門入り!」と掲載されてしまって大騒ぎに。馬風師匠自体がすごい人ですから、なんとかおさまりましたけどね。高座名はおかみさんにつけていただいて、「鈴々舎鈴丸」と申します。なので、私自身、現役の落語家でもあるんですよ。

 落語で真打入りを果たすには、早くても15年かかると言われています。その前の階級に、前座見習い、前座、二ツ目とあるのですが、二ツ目になると羽織が違うんだとか、座る場所も階級で決められているんだとか、前座で漫才やコントをやる人は色物部屋で色をつけるから部屋が違うんだとか、さまざまなことを学びました。そのおかげで、コンプレックスだった挨拶も、徐々に堂々とふるまえるようになりました。 

“ただの座布団運び”を「座布団芸」へと導いた故・5代目円楽師匠

 私が任される以前の笑点の座布団運びといえば、「司会者に言われて渡す。司会者に言われて取る」の繰り返しでした。それまで座布団運びが前に出てくるということは一切ありませんでした。

 そのきっかけをくれたのは故・五代目三遊亭円楽師匠です。座布団運びを始めて10年が過ぎた頃、「悪口を言われたら、おもいっきり突き落としてしまいなさい。なんでもいいよ。自分の判断で好きにして」と楽屋で言われました。

 落語界で神様のように崇められている人たちを突き落とす。不思議と怖いという気は起きず、そういうチャンスをくれているのだから、がんばろうと思いました。ただ座布団を運んでいるだけではダメだと。何より自分から動かないとテレビは撮ってくれないじゃないですか。あとでカットされても何しても、自分から動かないと。それは思いましたね。

 林家こん平師匠が病気になって、みなが集まったときも、「こん平師匠の代わりに変な芸人は入れるな。入れるなら、山田くんを大喜利に入れればいい」と円楽師匠がおっしゃってくださいました。黙って正座して聞いていたのですが、内心は「座布団運びでいいのに、大喜利なんてダメだ!一番楽な仕事を取られてはダメだ!」とドキマキしていましたよ(笑)。そうやって、要所、要所で私を気にかけてくださっていた円楽師匠が、引退する最後の回の舞台袖で、「山田クン、頼りにしているよ」と声をかけてくださったことは、今でも強く脳裏に焼き付いています。

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 また、笑点はそれまで、司会者が代わるタイミングで座布団運びが交代するのも常でしたが、「伝統は継承するものだ」という桂歌丸師匠の方針で、私の継続が決まりました。それなのに「山田クンもそろそろクビだな」なんてテレビの前で言うものだから、「山田クンをやめさせないで!」と真剣に懇願するファンレターが届いていましたよ。

 それと、これは笑点に限りませんが、プロデューサーが変わると出演者が変わるということもよくあります。けれど、私はどのプロデューサーがきても、好かれます。これも31年間、座布団運びを続けてこられた大きな理由ですね。それなのに、くりぃむしちゅーに「コバンザメ人生」なんてテレビでからかわれて(笑)。「この人、ちょっと弱っているな、こっちの人のほうが元気だな」と思ったら、瞬時にパパパッと飛んでいくのがうまいらしいです(笑)。

悪口を言われたら、「言われるほど目立つ」と考えてニコニコする

 子どもたちから、ファンレターをよくもらうのですが、「みんなからいろんなことを言われても、無視してニコニコしている。そういう姿勢がかっこいい」と書かれてあります。「山田クンをいじめるな」という投書もあります。

 座布団運びを始めた当初は、「ずうとるびの山田がなんで笑点に出ているんだ」とか、「座布団持ちでよく食えているな」とか、嫌味をいう人もいました。けれど、そういう時こそ大事なのは、「気にしない」こと。継続は力なりで、何を言われても、ニコニコしていればいいんです。だって、言われれば言われるほど目立つんですから。自分が黙ってニコニコしていれば、周りが「そんなことを言ったらかわいそうだ」とか、「ひどい」とか、自然とかばってくれて目立つポジションに引き上げてくれるようになります。以前、6代目の円楽師匠が、「サインください」と子どもが差し出してきたカレンダーの私の顔写真がある部分に、バァーッとマジックで「円楽」とサインしたら、その子、「うわぁ、ひどい」と泣いちゃったらしいです(笑)。それで円楽師匠も「山田でもちゃんとファンがついているんだなぁ」なんて言ってましたよ。

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 ニコニコし続けるためにも、夢というのは大事ですね。私は駆け出しの頃から、マイホームを建てて、普通の人が乗れないようなスーパーカーに乗ってやろうという夢を持っていました。まず最初は小さな家から建てて、それが達成したら今度はスーパーカーを買って、最終的にマンション2棟も建てました。無理をするのではなくて、あくまでコツコツと。自分が大きくなったぶんだけ、夢も大きくしていく。するとお金にも気持ちにも余裕が出てきます。そういった余裕は大事です。余裕がないと顔にみんな出てしまうけど、余裕があれば次のことを考えられます。

 5代目円楽師匠がそんな私の姿勢を評価してくれていて、お弟子さんを集めた会合で褒めてくださったことがあったそうです。

「お前たちは一軒家に住んでいるのか。マンションは自分のものか。山田くんを見なさい。なんでお前たちはスピルバーグの映画に出演できないんだ。山田くんは出ているんだよ!死ぬ気になったらできるんだ!西郷隆盛は50歳で死んだんだぁ!」と言ったあとにドーンと机を力いっぱい叩いたといって、その場に居合わせたお弟子さんたちが「あれ、相当手が痛かったと思うよ」とコソッと教えてくれました。

 バラエティなんだから恥ずかしがってはダメ!どんどん前に出る

 番組内で、「ケイコ、これから帰るよ。今日はがぶり寄りだ」なんて、家族の名前を叫ぶのも、誰から何を言われたわけでもなく自分でやり始めました。娘のモモコの誕生日には、「誕生日祝いは何で行くの?電車で行くの?いや、バスデー」なんて言ったこともありましたね。でも、大きくなってから「私のことは言わないでください。学校でネタにされるから」と禁止令が出てしまいましたが。

 そのせいか、私の家族の名前を言わなくてもみなさん知っていらっしゃるし、親近感を持ってくださっています。24時間テレビでは、私の家族が来ていると知った笑点メンバーが、ステージ上で「どこだ、どこだ」と探しているときが2番目に高い瞬間視聴率をたたき出していました。そのとき、歌丸師匠が「お!あそこにいた!ケイコちゃんも最近見ないうちにババァになったなぁ」なんて言って、会場が爆笑の渦に包まれたんですよ。

 この前は妻と一緒にバスに乗っていたのですが、おばあさんが来たので席を譲ろうとしたところ「いいんです、いいんです。ところでこの方、ケイコさんですよね。どうぞ、どうぞ」と言われて、逆に譲られてしまいました(笑)。

 家族の名前を笑点で口にし始めた80年代は、今以上に既婚男性が妻や子どものことをのろけるという文化はありませんでした。けれど、恥ずかしいという気持ちはなかったですね。そもそも、バラエティなんだから、恥ずかしがっていてはダメなんです。笑いである以上、どんどん前に出なければなりません。前に出るからこそ、ハプニングが起きて、笑いを取ることができます。とにかく行動しない限り、笑いを起こすことはできないんです。

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 なので、私は24時間テレビになると、どこからでも登場します。そうすると、出演者もお客さんもびっくりする。そうした、ずうとるび時代から育んできた目立ちがたり屋精神は今も健在です。

 あとは、間(ま)とリズムも笑いには大事です。林家たい平クンの頭を叩くのが一秒でも遅れたら面白くなくなるし、逆に速すぎても同様です。この笑いの「間」というのは、音楽の間と同じですね。ズンタタズンタタズン、のどこでつっこむか。音楽をやっていると、そういうリズムが自然とわかるようになります。その間がいいと、人は笑います。最後のオチとなる言葉を言うために大事なのは、間の取り方です。それが悪いと笑いを起こすことはできないでしょう。

 座布団芸を磨くために、スポーツでもプロを目指す

 継続するためには、スポーツも欠かせません。スポーツを通じて体を鍛えたり、集中力を高めることで継続力はつきます。

 笑点の座布団は、通常の座布団の大きさに比べて2倍もあって、綿もピシッと見せるために実は2枚入っているので、総重量は3キロもあります。それを10枚運ぶとなると、30キロ。

 最初の頃は、手先だけであげようとして、よくぎっくり腰になっていました。そういった怪我を防ぐために始めたのがウエイトトレーニングです。座布団の持ち上げる方とウエイトリフティングは、手首と腰を使うコツが一緒なんですね。当時は毎日1~2時間トレーナーについてもらいながら、腹筋を鍛えたり、スクワットをしたりしていました。

 昔は痩せていたので、そのまま着物を着ると紋が見えなくなってしまうため胸部に綿を入れて着付けていましたが、体を鍛えたら胸がパンパンに張るようになったので綿もいらなくなりました。

 ボクシングや卓球は、動体視力を高めるのによいスポーツなので、結果的に集中力がつきます。一瞬で体を引いたり、逆に手を伸ばしたりといった機敏な動きは、座布団運びにも役立ちます。

 私はプロボクサー資格を17歳のときに取得していて、世界ベテラン卓球選手権に出場して公式戦で2勝しています。

 どうせやるなら、スポーツに限らず、なんでも最初からプロを目指すのがいいと思います。プロというのは稼げるし、仕事になりますからね。

そのとき、そのときを勝負と考えながら、幸せと座布団を運ぶ

 楽屋に入り、着物を着ると「山田クンスイッチ」が入ります。31年と言いますけど、あっという間ですよ。変に考えすぎないで、そのとき、そのときを真剣に勝負する。そうすると、周りが本当の仲間として認めてくれるようになります。すると、仕事のみならず、人生のいろいろなことがうまく循環するようになりますよ。

 笑点のメンバーは、私にとって家族のようなものです。みんなが「山田クンが欠けちゃダメだよ。誰もが欠けちゃダメだよ。50周年まで、一緒に頑張ろうね」という気持ちでいてくれています。

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 笑点に出演できたこと自体、私の人生にとっては、すごい宝くじに当たったようなものです。悪いことをしたら出演できなくなりますが、それをしない限りは来年末までスケジュールが埋まっています。ありがたいですよね。ニコニコしながら、自分も番組を楽しんでやっていれば、観ている人も笑顔がすてきですねと言ってくれます。

 まぁ、こちらがいくらニコニコしていても、赤を見ると興奮して襲ってくる猛獣のような人もいますから、油断はできませんけど(笑)。一方で、赤はサンタクロースの色でもあります。サンタって、漢字で書くと山田ですから。だから、「幸せを運ぶ山田」なんです。サンタ・タカオなんですよ。

取材・文 山葵夕子 撮影 ヒダキトモコ

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