ハメットの文体史をたどる作品集『チューリップ』
ハードボイルドと呼ばれる表現の形式には一応通史がある。それ以前のアメリカ小説に潜在していたいくつかの要素を意図的に拾い上げ、小説として完成させた始祖として、ダシール・ハメット(1894〜1961)を置くという見方だ。ハメットは自身がピンカートン探偵社で働き、実際に汚れ仕事を体験したり、仲間から情報を得たりしたことから、社会の裏面に接触することの多いこの仕事の内容を熟知していた。そうした自身の基盤を活かし、『赤い収穫』『デイン家の呪い』などの長篇を含む、一連のコンティネンタル・オプものを書いたのである。また、『マルタの鷹』で登場させたサム・スペードの人物像は、私立探偵キャラクターの典型として後続作家に踏襲されるようになった。
ハメットの作家生活は、〈スマート・セット〉誌1922年10月号に発表したごく短い掌編「最後の一矢」に始まり、未完の中篇「チューリップ」で終わる。「チューリップ」は彼の死後の1966年に初めて公開された。この遺作を表題作として収録した作品集が、『チューリップ』(草思社)だ。編者を務めたのは、ハメット翻訳者として名高い小鷹信光である。小鷹は2012年に自らの旧訳を見直して「改訳決定版」とした『マルタの鷹』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を発表したが、それに続くハメット仕事ということになる。
「チューリップ」に登場するのはバップという初老の作家と、チューリップという名の年上の男だ。二人は第二次世界大戦時にアリューシャン列島で従軍したときからの顔なじみなのである。〈私〉と名乗るバップは、ハメット自身と重なる部分の多い主人公だ。アルコール依存症だった時期があり、そのためか今は小説がなかなか書けずにいるということ、刑務所での服役生活があるということ、などなど。周知のとおり、ハメットは1950年代にアメリカに吹き荒れた「赤狩り」旋風に巻き込まれ、法定侮辱罪で服役している。非米活動調査委員会の公聴会に召還され、共産党員だったことのある人間を密告するように言われてそれを拒絶したためだ。チューリップがバップに対して発するとりとめもない言葉がバップの人間像を際立たせていく。そしてチューリップもまた、ハメットの「第二の自我」というべき人物である。彼の発言は時折脇道へと逸れ、輪郭のはっきりしない過去譚を語りだしたりする。その逍遥の仕方は、紛れもなくハメット自身のものである。
対話小説として見るべき点が多いが、大事なことは本作がハメットの「小説を書けない」という事実についての言及であるということだろう。
—-チューリップが言った。「あんたの言ってることがわからないときがあるんだ、バップ。出来事をありのままに書き、そこからなにを得るかは読者にまかせておけないのか?」
「そう、それも物を書く一つの方法だ。自分があまり深くかかわらないように気をつければ、いろいろな読者に、自分が書いた物のさまざまな意味合いを見つけさせることができる。なぜなら、結果的には、ほとんどすべての物がなにかほかの物の象徴になりうるからだ。その手の物はたくさん読んできたし、気に入ってもいるが、私の流儀とはちがうし、そのふりをしても何の役にも立ちはしない」
こうした文体の制御についてのあくなき欲求、悪く言えば抑圧といってもいい執着は、ハメットの最大の特徴である。すべてを制御しようという姿勢は裏返しに見れば禁欲的でさえあり、おそらくは、それを徹底しすぎたためにハメットは書けなくなったのである。
「チューリップ」を巻頭に置いたことで本の性格が明らかになった。これはダシール・ハメットという作家がいかに自身の「ハードボイルド」な文体を完成していったかという歴史をたどるための作品集であり、「チューリップ」以外は初期の作品が中心で、発表順に配置されている。マッチョな男の一面性を皮肉に描いた「理髪店の主人とその妻」は作家が最初期に発表した都会小説。続く「帰路」は犯罪小説・ハードボイルド小説の書き手を多数生み出した伝説のパルプ・マガジン〈ブラック・マスク〉デビュー作だ。遠くミャンマーの地まで逃亡した相手を追う探偵の話である。続く「休日」はハメットの数少ない自伝的小説、一つ置いて「拳銃が怖い」は2011年になって初めて翻訳された「幻」の作品で、病的に拳銃を怖がる男を主人公にした異色の一編である。
コンティネンタル・オプものは、これまで日本で独自編纂された短篇集には収録されたことがない「暗闇の黒帽子」「裏切りの迷路」「焦げた顔」の3篇が入れられている。「焦げた顔」は長篇『デイン家の呪い』の原型といえる作品であり、上流階級の秘められた暗い部分が事件を引き起こすという構造は、レイモンド・チャンドラーやロス・マクドナルドなどの後続作品にも通底するものがある。
収録作中では「休日」「暗闇の黒帽子」と最後の「闇にまぎれて」が本書のための新稿であるという。「闇にまぎれて」は意外なほど鋭いオチのある話で、ひとつひとつの訳語解釈に時間をかける小鷹の訳文があればこそ楽しめる内容だ。改訳された『マルタの鷹』もそうだったが、小鷹はハメットの文章をもっとも批判的に読んで訳文を作成した日本人だった。小鷹にとってはハメットを解釈することが、そのままハードボイルドという文学の研究と同義だったのである。そうした意味では本書は、小鷹のハメット=ハードボイルド研究の総決算といえる一冊なのである。
巻末にはハメット長短篇の詳細なリストと、小鷹作品の特徴である長いあとがきが付されている。その末尾には「いまとり組んでいる本短篇集が、私のハメット関連の最後の仕事ということになりそうです」との一文がある。どうかそう言わず、この先もずっとハメットについての研究を続けていってもらいたいと思う。小鷹に学びたいことはまだまだいくらでもあるのだ。
(杉江松恋)
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