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【追跡・消えた『兵庫県民歌』】存在しないはずの楽譜が県立図書館に──新たに浮上した3つの謎

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昨年8月、1947年(昭和22年)に制定されたにも関わらず現在では県から存在を否定され“抹消”同然の扱いとなっている『兵庫県民歌』(作詞・野口猛、作曲・信時潔)について取り上げたところ、各方面から反響があり今年1月1日には地元紙の神戸新聞でもこの「消えた県民歌」の話題が取り上げられた。

失われた『兵庫県民歌』を求めて──1947年制定の県民歌はなぜ「存在しない」ことにされているのか? -ガジェット通信
http://getnews.jp/archives/655664 [リンク]

しかも、この『兵庫県民歌』をめぐっては県から存在を否定されていること以外にも新たな謎が次々と浮上しており、あたかもそれ自体が「戦後史の断面」の様相を呈し始めている。

映画監督・中川信夫の応募作

前回の記事でも述べた通り、この『兵庫県民歌』は官選第32代・民選初代兵庫県知事の岸田幸雄(1893-1987)が日本国憲法公布を記念して制定を提唱し、宮城県や東京都と同様の“復興県民歌”として歌詞の一般公募が実施された。入選者は国民学校教員の野口猛氏(1906-1972)で、東京音楽学校講師の信時潔(1887-1965)が作曲を手掛けている。

最終候補に残った顔触れは34名であったが、この中から入選1名(賞金1万円)以外に佳作(賞金200円)が10名選ばれている。その中でひときわ目を引くのは『東海道四谷怪談』や『地獄』『怪異談 生きてゐる小平次』など怪談映画の第一人者として知られる中川信夫(1905-1984)の名前である。滝沢一と山根貞男の編著になる評伝『映画監督 中川信夫』(リブロポート、1987年)の年譜によれば、この頃の中川は国策映画撮影のため滞在していた上海から引き揚げて来たばかりで失職状態だったため妹の嫁ぎ先であった西宮で質屋の2階に仮住まいし、新聞や雑誌に詩を応募してその賞金で生計を立てていた。1946年(昭和21年)11月には神港夕刊新聞社が県と共同で開催した「新憲法公布記念文芸」で応募作の『地ならし』が入選している。県民歌への応募もこの余勢を駆ってのものであったと思われ、年譜にもしっかり拾われているので県が「県民歌は存在しない」と否定を続けていた間も地下水脈のようにその存在が記録され続けていたことになる。

なお、中川の応募作は芦屋市立美術博物館に審査委員を務めた詩人の富田砕花(1890-1984)旧蔵資料の一部として現在も保管されている。

幻の県民歌と同じ旋律を持つ校歌

神戸市東灘区、阪神青木(おおぎ)駅の近くにある神戸市立本庄小学校は1899年(明治32年)に武庫郡本庄尋常小学校として開校した。最初の校歌は明治期に作られたもので、大正期には2代目の校歌が作られ本庄村立本庄国民学校の時代もこの2代目の校歌が歌われていたが、日本国憲法・地方自治法と合わせて1947年(昭和22年)に施行された学校教育法で本庄小学校となった際に3代目の現校歌を作ることになったらしい。

ところが「作曲者不詳」とされるこの本庄小学校の校歌の旋律は、驚くべきことに信時潔が作曲した『兵庫県民歌』とほとんど同じ旋律である。学校側では筆者の問い合わせに対し「当時の資料が無いのでよくわからない」との回答であったが、この謎を解く鍵は小学校の近くにある神戸深江生活文化資料館にあった。この施設は東灘区深江財産区が開設している郷土博物館で、同館所蔵の『本庄小国民学校沿革史』(手書き資料)に以下の記述が見出される。

十一月二十三日(新嘗祭日) 新装成った復旧の講堂で全一日に大プログラムの学芸会を民主的に実施 急作の校歌に始り校歌に終る
(出典‥『本庄小国民学校沿革史』48-49ページ)

前後関係を整理すると、国民学校から小学校への改称を機に3代目の校歌を作ることになったが作曲をする時間が無いので取り急ぎ5月に発表された『兵庫県民歌』の旋律に当時の校長が歌詞を付けて「急作」の校歌を制定し、新嘗祭(勤労感謝の日)に開催した学芸会で発表した、と言うことらしい。

本庄小学校校歌(神戸市小学校教育研究会音楽部) – MIDI試聴可
http://www2.kobe-c.ed.jp/on-es/?page_id=326 [リンク]

全国一有名な県民歌である長野県の『信濃の国』(作詞・浅井冽、作曲・北村季晴)は長野県師範学校附属小学校の郷土唱歌として作られ、同校の後身となる信州大学教育学部附属長野小学校の校歌ともなっている。その『信濃の国』とは正反対に、制定した県からも存在を否定されている全国一無名な『兵庫県民歌』が旋律だけとは言えこのように形を変え校歌として歌い継がれているのは数奇な縁と言わざるを得ない。

県立図書館から発見された「存在しない」はずの楽譜

明石市にある兵庫県立図書館は1974年(昭和49年)、都道府県立図書館としては全国で一番最後の47番目に開館した。作詞者である野口猛氏のご遺族が県から存在を否定されている現状を憂慮し「楽譜(野口氏が生前に知人へ配ったものの残部が複数枚ある)を寄贈したい」と県立図書館に申し出たところ、担当部署から「既に同じ楽譜を所蔵している」との回答があった。

筆者が担当部署に確認したところ、県立図書館に所蔵されている楽譜はご遺族の手元や芦屋市立美術博物館、それに県庁舎の向かいにある県政資料館(公文書館)にあるものと同じ小磯良平(1903-1988)が表紙画を描いたもので間違いないことがわかった。県立図書館では「『兵庫県民歌』の他にも郷土資料としてかなり多くの楽譜を所蔵しているが、それらは整理が進んでおらず蔵書としてはデータベースに登録されていない」と言うことである。合わせて「いつ頃からかははっきりしないが、部署内ではこの楽譜の存在は知られていたと思う」とも述べたので、筆者が「2004年(平成16年)の館報『くすの木』62号に掲載されている『心に残った兵庫県の歌』と題するコラムでは、福井県が行った照会に対して県民歌の存在を否定したことしか書かれていないが?」と質問すると「その当時(11年前)はこの楽譜の存在が部署内で認識されていなかった可能性がある」とした。楽譜の出所については「断定は出来ない」としながらも「県立図書館では開館前から準備室を設けており、古い資料は準備室の時代に県から譲り受けたものが多いのでこの楽譜もその一部である可能性は考えられる」そうである。

結局、ご遺族が管理していた楽譜は県立図書館ではなく国立国会図書館・神戸市立中央図書館・姫路市立城内図書館・豊岡市立図書館にそれぞれ寄贈されたが、県が「存在しない」としていたはずの楽譜が県立図書館から“発見”されたことは歴史から不自然なまでに“抹消”された『兵庫県民歌』をめぐる謎をさらに深める結果となった。

画像‥兵庫県立図書館のトップページ
http://www.library.pref.hyogo.jp/ [リンク]

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