“たたき合う文化”から“たたえ合う文化”へ

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風観羽

今回はSeaSkyWindさんのブログ『風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る』からご寄稿いただきました。

“たたき合う文化”から“たたえ合う文化”へ
別格のスティーブ・ジョブズ氏

アップル社のCEOであるスティーブ・ジョブズ氏が病気療養のために再度メディカル・リーブに入ったというニュースは、各所に大きな衝撃をもたらしているが、特にアップル社の本拠地であるシリコンバレーではひときわ大きな騒動になっているようだ。最近現地に出張した日本人に聞いてみても、日本にいると想像できないくらい大きなショックを皆感じているという。シリコンバレーには数多くの著名人がいるが、やはりジョブズ氏は別格のようだ。

米国人の価値観を変えたジョブズ氏

先日、一連の関連記事の中に、大変興味深い論点を述べたものを見つけた。ニューズウイークウェブ版に掲載された、フリージャーナリストの瀧口範子氏のコラムである。

ジョブズ氏はプライス第一で製品の美しさなどほとんど見向きもしない米国人に、プライス以外の“美しさ”という価値を植え付けた、という。

* * * * *
それによって、安物買いのアメリカの大衆は美しい製品に目を開かされたと言っても、決して過言ではないと思う。それまでのアメリカ人の判断基準は、ともかく“プライス”。アメリカ人は1セントでも高いものを買わされると、自分の頭が悪いためにだまされて悔しいという感情を持つ人がほとんどだ。そんな彼らに、プライス以外の価値観を植え付けた貢献はかなり大きい。

その価値観によって、現在のシリコンバレーもかなりの恩恵を受けている。製品の美しさはもとより、ユーザー・インターフェイスの明確さや使いやすさ、インターネットとコンテンツとコンピュータがコネクトする際のスムーズさ、ウェブサイトやブラウザーなどのすっきりした使い勝手、そもそも異なった複数のデバイスがシンクロするといったことまで含めて、これらは、アップルが牽引(けんいん)することによって発展してきた技術革新だ。ただの多機能性や速さだけではない製品のあり方は、純粋にエンジニア志向の世界からは生まれなかっただろう。
* * * * *
「ジョブズ再療養に凍りつくシリコンバレー @シリコンバレーJournal」2011年01月18日『ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト』
http://www.newsweekjapan.jp/column/takiguchi/2011/01/post-275.php

もの自体の価値に無頓着な米国人

確かに、米国のマーケティング実務を担当したり、実際に現地で暮らしてみるとわかるが、一般の米国人の暮らし向きは驚くほど質素だ。日本にいて、米国の映画等を観ていると広い庭やプール付きの豪邸に目を奪われがちだが、食べ物はやたら量が多くてカロリーたっぷりではあるものの、大味でとてもおいしいとは言えない。日常生活にある製品を一つ一つ見ていくと、無骨でデリカシーをあまり感じない物ばかりだ。ちょっと良さそうなものは皆欧州や日本からの輸入品だったりする。米国人がお金を持っていないということではない。要は興味がないのだ。そんなことより少しでも安い方がいいと考える消費者が多いということだ。

価値観自体を変えた

今でこそ、これほど『iPhone』や『iPad』が売れることがわかってしまうと、これらの製品が導入される前の米国市場の消費者のことを思い出すのが難しいと感じてしまうほどだが、私の知る普通の米国人プロダクトに対する嗜好性(しこうせい)を前提とすると、どう見ても『iPhone』も『iPad』も過剰品質だ。“合理的なマーケティング”“教科書通りの経営”を標ぼうする人であれば、もっと見た目を犠牲にしてでもコストを削れというようなことを言ったに違いない。だが、ジョブズ氏はそうはしなかった。そして、いつしか米国のかなり多くの人の嗜好(しこう)や価値観自体を変えてしまった。

同様の事例として、スターバックスのハワード・シュルツ氏のケースを思い出す人も多かろう。元来、米国のコーヒーは薄くて水みたいで、とてもそれ自体をじっくり味わうことが想定された飲み物ではなかった。シュルツ氏はイタリアのカフェを見て、アメリカにこれを導入することを思いつく。その結果はもはや誰もが知っている。スターバックスは全米に高級なコーヒーだけではなく、いわば新たな“カフェ・カルチャー”を普及させた

天賦の才か地道な努力か

こういう事例にふれていつも考えてしまうのは、“市場は創造するものなのか”“潜在しているが顕在化していないニーズを引き出してくるべきものなのか”ということだ。私などはこれを、“天賦の才に恵まれた天才にしかできないのか(創造する)”“凡才でも何らかの手法でこれに迫りうることは可能なのか(引き出す)”という問いに置き換えて昔から自問自答してきた。ただ、少なくとも一昔前の市場では、米国でも日本でも凡人が地道に努力を重ねることでそれなりの仕事ができる余地が十分にあったように思う。

だが、今のように飽和し成熟した市場では調査や分析だけではもはややっていけないことを日々思い知らされるような気がする。地道に調査し、分析することは原則今も非常に重要であることは変わりないが、加えて“直感力”“感性”“創造力”などのプラスアルファーは必須だ。いずれも努力より、天賦の才の差が際立つ世界である。

天才なかりせば

シリコンバレーでは皆それがよくわかっているから、スティーブ・ジョブズ氏のような天才がいなくなることを本当に恐れている。天才が創造し拡大してきた市場には独特のオーラがある。その中で競争することは本当に大変だが、一方で沸き立つような興奮と達成感を感じることができる。そして非常に多くの人がその場に引きつけられてやってくる。そのエネルギーの原動力はジョブズ氏の才能だ。だからジョブズ氏に万一のことがあると、一時にお祭りが終わってしまう可能性がある。シリコンバレーの人達は誰よりもそのことをリアルに感じているのだろう。

才能をたたえ合う文化

ただ、米国に行った日本人なら大抵誰もが感じているように、米国には才能ある人を素直に賞賛し、たたえ合う文化がある。私はこれこそ、米国の最大の財産と言っていいと思う。この文化がある限り、第二、第三のスティーブ・ジョブズ氏はいずれ登場し、停滞して行き詰まった市場にまた新しい物語を創造し、生命力を注ぎ込んでくれることだろう。

嫉妬文化

ひるがえって日本は、ということになると、残念ながらそれとは対局の“嫉妬文化”が今でも根強く社会の隅々まで行き渡っている。なまじ何らかの突出した才能があると、嫉妬され、いじめられ、足をひっぱられ、無視される。日本にスティーブ・ジョブズ氏のような個性が現れても、決して成功できないであろう。たたき合っているうちにつぶれてしまう。彼は非常に素晴らしい才能を持った人ではあるが、同時に周囲とは強い摩擦を起こしがちな強烈な個性の持ち主でもある。外からも見えやすい欠点もたくさんある人だ。端的に言えば、元ライブドアの社長、堀江貴文氏のような末路をたどったであろうことは確実だ。実際、米国でも自分の作った会社から追い出されるような憂き目にあっているわけだが、日本ならそのように一度失敗した人物に二度目のチャンスはまずないだろう。

“熱い嫉妬文化”から“冷たい嫉妬文化”へ

日本の嫉妬文化も功罪で言えば、功の部分ももちろんあって、企業で言えば、一丸となって火の玉のように長時間働く、というような構図はつくりやすい。米国ではそれは無理だが、日本ならそれができる(できた)。一丸となってモーレツに働くサラリーマンが企業の発展に寄与できる時代には、それは遺憾なく威力を発揮した。誤解を恐れずに言えば、いわば、“熱い嫉妬文化”が支配していた。

だが、モーレツサラリーマンの頑張りだけでは企業競争に勝ち抜くことができない世の中になって、“冷たい嫉妬文化”が再び支配的になりつつあるようだ。特に昔からの日本企業の内部ではこれが顕著だ。すでに競争力もなく社会的な存在意義を失っているのに、正社員の雇用を守ることを大義名分にして、ただ存在することだけを目的としているような会社では、雇用維持の見返りに従業員に“冷たい嫉妬文化”を受け入れることを強要する空気がまん延している。これでは、とても日本のスティーブ・ジョブズ氏を生み出すどころではない。

表と裏

“冷たい嫉妬文化”が支配する会社でも新しいことが表立って否定されることはない。それどころか、“創造力の醸成”だの“新規ビジネス”だのは表向きは奨励されていたりする。だが、組織の隅々に張り巡らされた嫉妬文化とそれに浸かった人たちは、あらゆる“今までにない芽”を黙って摘んでいく。スローガンと実態(表と裏、たてまえと本音)が乖離(かいり)しているから、いくら会議をやって議論をしても時間を空費するだけだ。そうしているうちに創造性が多少ともある人材は疲弊し、自閉していく。

希望

だが、日本にも全く希望がないわけではない。今では実際に古い日本の組織を辞めてしまう人ももちろん多いし、そもそも古い組織は若年層を正社員として受け入れなくなってきている。また、物理的には辞めていなくても、『mixi』、『Twitter』、『Facebook』といったインターネット・ツールを活用して、新しい活動やコミュニティに参加したりしていて、精神的にはそちらが支えとなっている人が急増している。いわば体は古い日本の組織に属しながら、心は脱藩しているとも言える。

そして、こういう人たちのコミュニティと、脱藩を志向するエネルギーが、既存のエスタブリッシュメント社会からははじき出された格好の堀江貴文氏や、既存大手マスコミは持て余し気味の田原総一郎氏のような人の活動を支え始めている。既存の学会のような場所では本来の才能を完全には発揮しきれないであろう、宮台真司氏や東浩紀氏のような人たちが幅広く活動できる場ともなっている。

これはもしかすると日本に残された数少ない希望かもしれない。既存の大企業に入れた学生も入れなかった学生も、“古い社会の空気を読む達人”となるより、新しいコミュニティでの活動方法を勉強したほうがはるかに有意義だ

3個の提言

だから、せっかくできかかっている環境を自分たちで壊してしまわないように、
あえて次の3個を提言したい(もちろん自戒をこめて、ではある)。

・物理的に脱藩することが難しくても、精神的には一日も早く脱藩して、独立自尊の心構えを持つこと。
・新しいコミュニティでは人の欠点をたたき合うのではなく、才能や美質をお互いにたたえ合う場となるよう一人一人が心がけること。
・最も与える人が最も与えられる人であることを肝に銘じること。

執筆: この記事はSeaSkyWindさんのブログ『風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る』からご寄稿いただきました。

文責: ガジェット通信

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