26歳無所属で川崎市議選当選・重冨達也氏インタビュー(前) 「選挙戦はひとりで戦うつもりでした」
2015年の統一地方選挙。特にネット上では変わり種の候補に注目が集まりがちですが、2015年4月12日には10道府県の知事選、41道府県議会の道府県議会議員、5つの政令市長、17の政令指定都市市議会議員選挙が既に終えています。
市議選が行われた政令市の一つ、川崎市では、定数が60議席のところ87人が立候補。そんな中、中原区選挙区からは無所属で26歳という元塾講師・重冨達也氏が出馬。
「市民が市政について知ること」「市民の声が届く仕組みを創ること」が必要だと力説する重冨氏。「無責任な政治はできません」として市の収支不足を指摘し、議会報告会の条例で義務化や議員報酬のカットといった”議会改革”などを政策として掲げ、6311票を集めて5位当選を果たしました。
『ガジェット通信』では晴れて市議になった重冨氏にインタビューを敢行。前篇では政治家を志した理由や、選挙をどのように戦ったのかお聞きしました。
「法律で許されていれば大学卒業時に立候補していました」
ーーまずは重冨さんご自身やご家族のことから教えてください。もともと中原区にお住まいだったとのことですが、ご両親はどんなお仕事を?
重冨市議(以下重冨):父親はサラリーマンで、母親は専業主婦です。
ーー典型的なサラリーマン家庭ですね。
重冨:そうですね。政治とは特別な縁はない家庭だった思います。
ーーご家族やお知り合いに「政治家になる!」ということで反対されたりはしなかったのでしょうか?
重冨:ネガティブな反応だったのは父親ですね。安定しない仕事ですし、「わざわざ何でお前がするんだ」という話をされました。自分は大学を卒業する時から「政治をしたい」と言っていましたが、友人からも「どうせ仕事辞めないんだろ?」という感じだったと思います。2014年の夏に塾講師の仕事を辞めて、本当に選挙に出ることになって、「お前貯金していたしな、がんばれよ」と言われるようになりました。
ーー重冨さんの本気の熱が伝わって応援してもらえるようになったのですね。もともと公職選挙法で被選挙権の権利を得る25歳以上になった時には立候補するおつもりだった?
重冨:そうですね。大学卒業の時点で法律上許されていれば立候補していました。それが許されないので、4年待つことになりました。
ーーその時に塾の講師という仕事を選んだ理由は?
重冨:もともとは航空整備士になろうと思っていたのですけれど、本田宗一郎さんや松下幸之助さんの本を読んで感動して、もっと広い視野で自分の進路を考え、就職するかどうかも迷いました。ただ、仕事をして税金を納めるということをしないと、働く人の気持ちを分からない政治家になってしまうんじゃないかと思いました。それに、やっぱり選挙で当選するには弁が立たなければいけないし、人前でしゃべることができないといけないというのも理由の一つです。あとは、そう考えだしたのが、大学3年の頃なので、教員免許を取るには遅すぎたし、私立の塾しか残ってなかったという面もあります。
ーーなるほど。しかし、普通は政治家を目指す事と塾で子どもに教えるということがなかなか結びつかないと思います。
重冨:僕は政治家について「信用ならないな」と見ていましたし、その頃から政治を変えたいと思っていて、「議会改革」をやりたいと考えていたのですけれど、それをやるには自分1人では無理だと思っていました。それで、本田宗一郎や松下幸之助の考え方や、社会貢献について子どもに教えると、彼らが30歳くらいになった時に仲間になる可能性があるんじゃないかと。そこからさらに下の世代にも影響があるかもしれませんし、仲間を増やすという意味でも教育業を選びましたね。
ーーまた、日本を代表する企業の創業者の本田宗一郎と松下幸之助は二人とも政治家ではありません。お二人を「政治を志すきっかけ」と挙げていることに関してもお聞きしたいな、と。
重冨:まずはどちらも「社会貢献」という考え方に感銘を受けたということです。また、松下幸之助は高齢になってから松下政経塾を作っていますが、そこに真理がある気がしています。大きな会社を作って世の中を変えて、社会貢献をしていくということを実践して成功した彼が、最後に「やっぱり政治を変えなければいけない」ときっと思ったのではないかと。
ーーお話を伺っていると、重冨さんも起業して社会に貢献していく、という考え方もあったのでは、と思うのですが。
重冨:それは、すでに二人が果たしているわけです。僕がベンチャーを起こして彼らと同じ道を歩むのは、歴史的に二度手間になって見えるように感じます。だから、彼らができなかったことを僕がやれば、世代を超えて伝えられていくのではないか、と考えました。
政党に所属しない理由は……?
ーーそういった重冨さんの想いがあって政治家を志して、2014年の夏にホームページを立ち上げて政治家としての活動を本格的にスタートされました。その際に政党に所属するのではなく、無所属としてスタートした理由を教えて下さい。
重冨:僕はもともと政治家のことが信用ならないから自分でやってやろう、と思ったタイプなので、「政党に入ろう」ということには当然ならないわけですよ。とはいっても、特に政令市だと政党に入るのがセオリーです。しかし、自分が政党に入るとして、どこならば自分自身が責任を持てるのか、と考えると「無理だな」と思ったんですよね。
ーー責任とは……?
重冨:政党は頂点に国会議員がいる大きな組織で、国会で起きたことや決まったことに対して「どうなっているんだ」と質問されても、それを説明しきれないならば無責任な政治家だと思ったんです。どこの政党も歴史があって、それを知った上で自分の中で消化して説明ができなければ、政党に入ってはいけない、と考えました。また、若い人が当選したとしても政党のボスの指示に従わなければならないのだろうな、と。そういう世の中なんじゃないかな、と思って無所属で活動することにしました。
ーー無所属での出馬となると、事務所や手伝ってくれる人を集めるのも大変だったのでは、と思います。そのあたりをどうやったのかも、教えて下さい。
重冨:選挙に出るにも供託金(※政令市議会議員選挙の場合50万円)や活動資金が必要になりますが、就職する時に決めていたのが、毎月10万円は絶対に貯金するんだ、ということ。それで、選挙戦はひとりで戦うつもりでした。
ーーひとりで? それはどうして?
重冨:特定の人間に支援されることによって、その人のために政治家人生を送らなければならなくなるのでは、と思ったのですよ。利権があって、できない約束をする政治家がたくさんいますし、そういう市議会議員が川崎市に60人いるのであれば、「そりゃ予算足りなくなるだろう」と。やはり、自分がそうなってはいけないという気持ちがあったので、特定の誰かとがっちりスクラム組んで、ということにはならなかったです。
ーーとはいえ、たったひとりで地盤も看板もない候補が戦うのは無茶なように思えるのですが……。
重冨:もちろん、選挙戦は自分ひとりで戦ったのではなく、もともと僕のことを知ってくれていた人であったり、駅で立って活動している時に「君は真面目そうなので、何か手伝うことはないか?」と声をかけて頂いたりして、協力してくれる方が集まってくれました。でも、その人たちにも「当選したらこのようにお返しします!」という約束をしたりすることは一切しませんでした。
ーー駅立ちをしていた時に「協力するよ」と声をかけてきたのはどういった人たちなのでしょう?
重冨:30代もいれば60代や70代もいましたが、基本的には現役で働いている世代ですね。
「6000票取れば行けるという自信はありました」
ーーそういう方が政治を志して、なおかつ政党に所属せず無所属で26歳にして6000票以上を集めて当選を果たしました。第5位の当選で、上には自民党と共産党の候補しかいません。それだけの支持を得たことを現段階でどう分析されているのでしょう?
重冨:駅に立って毎日挨拶をする、ということに尽きるのですけれど、実は大学生の時に、川崎市議に会いに行っているんですね。その方は8年前の選挙で元住吉駅(東横・目黒線)で毎日挨拶をしていて、約6000票を獲得して当選しているんです。この手法がまずモデルケースになっているのですが、彼はもともと市議としての経験があって自分とは境遇が違うので、プラスアルファを加えて活動しました。今回は当選ラインが低かったのですが、6000票取れば行けるだろうと思って、確固たるものではないですけれど、それなりの自信はありましたね。
ーーひとつの選挙区でひとりしか当選できないわけではないので、そういった戦略がモノをいうのですね。駅では多くの候補者が挨拶していますが、一見素通りしているような有権者でも中には候補者の振る舞いを見ている人もいるということなんですね。
重冨:そうですね。
ーー選挙期間中に何か印象的だったことはありますか?
重冨:必死でしたから、あんまり覚えてないですね(笑)。ただ、他の候補が頑張っているところが印象的でした。運動員が同じジャケットを着て、並んで歩いていて、なんだか「申し訳ないな」と思いましたね。
ーー申し訳ない?
重冨:普段から道を使っている人たちに対して、申し訳ないな、と。「だから政治のことが嫌いになるんだろうな」と思いました。
ーーそういった選挙活動が、一般の有権者の感覚とは離れているのでは、という疑問をお持ちだったということでしょうか?
重冨:投票用紙に書くのは候補者の名前なので、候補者が勝負をすればいいと思っているんです。なぜ運動員の数で勝負をするのか、それが常識になっているのが理解できないんです。
ネットを選挙で活用するのは「発信する責任」
ーーなるほど。既にネットを使った選挙活動が認められていますが、意識した部分はありますか?
重冨:僕はネット選挙が選挙結果に影響を与えるほど票になる時代はまだ来ていないと思っています。でも、最低限ホームページを持っている必要があるので、昨年の9月にホームページを開設して、『YouTube』『Twitter』『Facebook』でも発信するようにしました。
ーー『YouTube』を拝見したのですが、これは自撮りですか?
重冨:そうです。カメラの録画をポチっと押して、前に出てしゃべって、また停止させるという。
ーー重冨さんの場合、失礼ながら『Twitter』も『Facebook』もフォロー数がそんなに多いわけではないじゃないですか。それでもSNSを使う理由はどこにあるのでしょう?
重冨:ネット選挙が当選の秘訣だとは思っていませんでしたけれど、発信する責任があると思いました。ユーザーの多いツールでもありますし。
ーーネットサービスだとアクセスの数字が表示されるわけですよね。それで、6000票いけるかも、と感じていらっしゃったあたりに、リアルな選挙の実態を感じられるように思いました。
重冨:とはいえ、実際に感触を持てたのは選挙戦が始まってからで、活動をはじめた半年間では「これで行くはず」とは思っていましたけど、確信はなかったですね。選挙戦が始まって初めて反応がどっと来るような感じですね。だからやっぱり、その半年間やっていることを見ていた方が「あ、ついにお前の番が来たな」「時期が来たんだから頑張れよ」という声を掛けられて、その時に初めて、「あ、これほんとうに当選できるかも」と感触を得た感じですね。
(以下、後編 https://getnews.jp/archives/929862 [リンク] に続く)
重冨たつやと川崎市政を考える会
http://shigetomi-tatsuya.com/ [リンク]
乙女男子。2004年よりブログ『Parsleyの「添え物は添え物らしく」』を運営し、社会・カルチャー・ネット情報など幅広いテーマを縦横無尽に執筆する傍ら、ライターとしても様々なメディアで活動中。好物はホットケーキと女性ファッション誌。
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