CEROというやり方
今回は山口浩さんのブログ『H-Yamaguchi.net』からご寄稿いただきました。
CEROというやり方
東京都の青少年健全育成条例改正問題で、出版社が『東京国際アニメフェア』をボイコットするという流れになっているらしい。採決がどうなるのかについては情報が錯綜(さくそう)しているようでもあって、少なくとも私にはよくわからないのだが、いろいろ迷いがあるらしい事情はわからなくもない。本来この問題は、両派全面対決、というスジの話ではなく、みんなでよりよいやり方を考えていこう、という方向性であるべきと思うのだが、どうにもお互いにそういう雰囲気にない感じなのは残念に思う。
私の意見は2010年12月7日に書いた記事 *1 のとおりで、このままの改正には反対なんだが、業界として区分して販売できるように努力すべきだとは思う。
*1:「例の「非実在犯罪規制」についてひとことだけ」 2010-12-7 『H-Yamaguchi.net』
http://www.h-yamaguchi.net/2010/12/post-601e.html
で、多少参考になるかと思うので、CEROについて少しだけメモしておく。CEROというのは特定非営利活動法人コンピュータエンタテインメントレーティング機構の略称だ。いわゆるゲームのレーティングをしている組織で、ゲーム会社やゲーム業界からは一応切り離された建て付けになっている。詳しい内容は当該サイト *2 でご確認いただきたい。
*2:CERO ホームページ
http://www.cero.gr.jp/
レーティングの基準 *3 なんかもでているが、もちろん若干の解釈の余地はある。
*3:年齢別レーティング制度とは? CERO
http://www.cero.gr.jp/rating.html
これはむしろ意図的に、時代の変化等に対応して臨機応変に対応していこうということだ。そのあたりも含め、IGDA(国際ゲーム開発者協会)日本代表の新清士さんが『Twitter』で書いておられたので、勝手ながらまとめてみた。
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ちなみに、今回の東京都の条例の話は、当初はゲームの暴力表現にも向けられていました。しかし、実情を調べると、ゲームはレーティングシステムのCEROが機能しているので、問題にする必要がないということになり、マンガ・アニメの表現へと関心が移っていったという経緯があります(2010-12-11 14:21:48)
CERO については、よく誤解されますが、ゲームの表現自由を守る機能も持っています。業界主導の自主レーティングがあるために、いきなり、条例といったような乱暴な話にならないのです。青少年保護条例などを持つ自治体の条例は、ゲームの場合はCEROに準拠する形が取られるのが一般的です(2010-12-11 14:24:45)
CERO の基準は、一般に公開されていませんが、これは問題とすべき暴力的な表現が時代によって変わる事がわかっているためです。トレーニングを受けた一般の世代が違う3名による客観的な評価により判定が行われます。時期により認められる表現が変わるのは、時代の変化を反映しているためです。(2010-12-11 14:28:57)
また、CEROの判定を受けるには、ゲーム内で最も問題とあると思われるシーンをゲーム会社側がビデオ撮影して、自主的に提出する形を取っています。そのため、基本的には、ゲーム会社に対しての性善説で成り立っています(もちろん、うそがあった場合は罰則はあり)。条例による規制とは雲泥の差です (2010-12-11 14:33:52)
条例のような規制が危険なのは、文言として規定されてしまうため、時代の価値基準が変化して合わなくなっても、永遠に一人歩きして機能し続けてしまうという点にあります。例えば、ドイツでは憲法に子供の保護があるため、ゲームの表現規制は非常に厳しい。実際いろいろなゲームが発売できません(2010-12-11 14:38:48)
マンガ・アニメに対して、業界の状況に不明であるため、私自身に明快な意見はないのですが、表現者の側も、何らかの自主的な対応をする必要性はあるだろうと思います。表現の自由をアピールし続けるだけで押し続けるのには限界があると思っています。もちろん、今回の条例案には反対です。(2010-12-11 14:53:27)
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「新清士さんによる、ゲーム業界におけるCEROレーティングについてのまとめ」 『Togetter』
http://togetter.com/li/77755
ここでのポイントは、こうした柔軟な対応は、権力をもって行われるべきではない、ということだ。
別にCEROのやり方がベストとかいうつもりはない。第三者団体はコストもかかるし、すべてのゲームがCEROの審査を受けてるというわけじゃない。そもそもゲームはさまざまな批判を浴びて、その結果の1つがCEROであるともいえるわけで、いろいろデリケートな問題もある。彼らとしても、ここで変に注目を集めたりするのはあまりうれしくないだろう。とはいえ、こうしてレーティングを行う組織が運営され、一定の効果を挙げていることはやはり注目すべきだ。
ここでいいたいのは、出版業界としてももう一歩踏み込んだ取り組みを行う姿勢を示すべきではないか、ということだ。本来、表現の自由と販売場所の区分は矛盾しない。それが問題になっているのは、ひとつは条例改正を推進、賛成する立場の人たちの中に、「本当は表現規制をしたいけどそこまでやるのは大変だから販売規制で“実”をとろう」という思惑だとか、「改正しちゃえばあとは解釈でいくらでも広げられる」という計算だとかが透けて見えている(正直そう見える。付帯決議は抑止力にはならない。そもそもガス抜きでしかない)からだが、それだけでもないと思う。
本格的にレーティングみたいなのを入れて、販売場所を区分してとなれば、いろいろたいへんだろうことは素人にも想像できる。でもそれは、これまで、少なくとも一部の顧客にある種の“我慢”を強いてきたことでもあるわけだ。いつまでもこのままでいいという話なのか、という問いに対しては、やはり真剣に考えていただきたいと思う。
2010年12月7日に書いた私の案は、今回の改正案が対象とする狭い範囲のものだけでなく、「小さい子供に見せてもいいもの」とそうでないものを区分しようというわけで、ごく一部だけを区分する場合より、売り場の設計が少しはやりやすいのではないかと思う。自主的にレーティングを行い、区分販売をさらに推奨していくような方向を打ち出せれば、規制賛成派と折り合う余地が出てくるかもしれないではないか。
もう遅い、ということなのかもしれないが、まだ時間はある、という見方もある。本来この件は、そういう話し合いをきちんと重ねた上で決めるべきであって、水面下で作業していきなり条例案をどん、とだすような筋合いのものでないのは自明だ。
都小学校PTA協議会(都小P、加盟248校)▽都私立中学校高等学校父母の会中央連合会(同246校)など5団体が条例改正を求めた要望書をだしたそうだが、本当に保護者に聞いたのだろうか。少なくとも私は“P”の一員ではあるが、この問題に関し意見を聞かれたことなどただの一度もない。都なり都の関係者なりから頼まれたのだろうが、勝手に人の意見を代弁する前に、もう少し冷静に考えてもらいたい。
今の案では、親として望ましいと思う状態、いかがわしい週刊誌やらなにやらが小さな子供の目に触れないですむ状態は実現できないのだ。今の案はほんの一部しか対象になっていない。他にもやり方はある。少なくとも現行案よりはるかにましなやり方が。感情に流されるのは個人としてはしかたないが、社会としては、理屈に合わないことを進めてはいけない。
というわけで、少なくとも、今決めるのではなく、もう少し時間をかけて、ちゃんと話し合いをしていくべきかと思う。
執筆: この記事は山口浩さんのブログ『H-Yamaguchi.net』からご寄稿いただきました。
文責: ガジェット通信
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