じんわり効いてくる寅さん小説〜滝口悠生『愛と人生』
博多華丸・大吉のネタに「酒のちゃんぽんと親の意見は後から効いてくる」というフレーズがある。私はここに「男はつらいよ」シリーズも、”後から効いてくるもの(成長とともによさがわかる、という意味での)”として加えたい。個人的には子どもの頃からけっこう「男はつらいよ」を観ていた方で寅さんにも慣れ親しんではいたが、やはり「いったいこの人はなんで毎回同じような失態を繰り返すのだろうか」という思いは拭えなかった。しかし、大人になった今わかるのだ、寅さんのような人がいかに得難い存在であるかを。
本書の主人公は、寅さん映画の子役だった佐藤秀吉(調べてみたところ秀吉とは、シリーズ第39作「男はつらいよ 寅次郎物語」で、寅さんのテキ屋仲間だった男の遺児の役名だった。著者の滝口氏が元子役で自伝的小説を書かれた可能性も考えたが、映画公開当時に5歳だったとなると小学生役は難しいかと思われる)。映画の登場人物たちの心情と現実の秀吉の心の動きが描かれるのだが、語り手の視点は秀吉本人のものだったり、寅さんやさくらの立場から見たものになったり。それでなくても本人と役者としての境目が判然としない状態なので、今までまったく寅さん映画を観たことのない読者にはややわかりづらいかもしれない。そういう方々にこそ、まずは映画の方から楽しんでいただけるチャンスなのだが。「義理と人情の大切さを知る」とか「よき時代・昭和を振り返る」といった言い草は陳腐には違いないけれど(というか、昭和の世でさえ寅さんレベルの世話焼きなどめったにいなかったと思うし)、通りすがりの他人のために損得勘定抜きで行動できる車寅次郎というキャラクターの素晴らしさを、映画でも小説でもかみしめてほしい。
といっても、この小説を読み終えて最も心に残るのが、著者の美保純への思い入れの強さであるのも事実。1982年生まれの滝口氏がここまで美保純に入れ込む理由が気になる。同年代やもっと若手のアイドルや女優があまた存在する時代に、あえて美保純というチョイス(いや、私も寅さん映画は笠智衆の午前様めあてに観ていたから人のことはまったく言えないんだけど)。最近印象的だった美保純といえば、やはり「あまちゃん」だろうか。確かに50を過ぎても美しく可愛げがあり、海女ルックもバッチリ(人によっては、主役の能年玲奈よりぐっとくるかも)。松田龍平演じる芸能事務所のマネージャーが登場後しばらくは美保純に気がある風情を醸し出していたのに、途中から能年ちゃんに気持ちが移っていったのを見て、「がっかりだぜ、ミズタク(=松田の役名・水口琢磨の略称)!」と憤ったのは私だけではなかったろう。
話が思いっきり脱線してしまったが、かように本作品では美保純が大きな役割を担っているということをご理解いただければ幸いである。子役から27年後、伊豆の温泉宿で美保純との再会を果たした後、流れ流れて柴又帝釈天でふたりが手を合わせるラストまで、秀吉の意識は劇中の子役としての彼と現時点の彼との間を自在に行き来する。そこに書かれているのは、まぎれもなく「愛と人生」なのであった。
「いや、やっぱり寅さんにはそこまで興味持てないわ」という方もどうぞご安心を。本書には他に「かまち」とその続編「泥棒」も収められている。文芸評論家の大澤信亮氏は、「あまりにも素晴らしい小説」と「かまち」を評されたとのこと。確かに「かまち」「泥棒」のいずれもさりげない温かみに満ちた作品で、みずみずしさと老成した味わいを難なく同居させられる著者の手練れぶりに脱帽せざるを得ない。滝口氏のデビューは2011年、「楽器」で新潮新人賞を受賞。ユニークな感性を失わずに今後も書き続けていっていただきたい。
(松井ゆかり)
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