アリス・マンロー『善き女の愛』の深い余韻にひたる
“よい”という言葉を書き表すとき、「よい」「良い」「好い」などいろいろな表記のしかたがあるが、「善い」の”品行方正さ”は抜きん出ているのではないだろうか。「あの人はよい人だ」「あの人は良い人だ」「あの人は善い人だ」、うん、「善い人」がいちばん行いも正しそう。「善い」は生真面目さや信念の揺るぎなさも感じさせる。表題作である「善き女の愛」の主人公の人柄について、的確に言い表していると思う。
本書は2013年にノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローの短編集。ここ何年か、村上春樹が受賞するかしないかで日本におけるノーベル賞への注目度は高まる一方と言っていいだろう。そんな中で、受賞者となった対抗馬(?)マンロー氏への認知度も上がったのでは。フランス人作家や中国人作家にくらべて英語名(彼女はカナダ人作家だが)はやはり覚えやすい。新潮クレスト・ブックスから出ている著書はどれもおしゃれな装丁で読みやすいし。しかしもちろん、ノーベル賞はおしゃれで読みやすいだけの本を書く作家が受賞できるような賞ではない。
本書には8編の作品が収められているが、小説としての完成度は表題作が頭一つ抜けていると感じる。物語は3人の少年がつるんで人気のない川岸をぶらぶらしている場面から動き出す。「いったい「善き女」はいつ出てくるのか」と思いながら読み進んでいると、彼らは町の検眼士の死体というとんでもないものを見つけてしまう。死体の発見から警察へ届け出るまでの彼らの心の動きが細やかに描写され、読者が「善き女」の存在を忘れかけた頃、主人公・イーニドが登場する。イーニドは中年の訪問看護婦。ほぼボランティアに近い形で地域の患者の世話をしているという「善き女」ぶりだ(イーニドの母親の「ときにはものすごく大変なことなのよ」「聖人の母親をやるっていうのは」という言葉が印象深い)。目下彼女が看護に当たっているのが、同級生だったルパートの妻のミセス・クィン。検眼士の死とイーニドの人生がこの後思わぬ形で交差することになる。本筋とは一見関係ないように思える登場人物たちの心情や行動も丁寧に描かれ、”何一つ無駄なものはない”という賛辞はこの作品を形容するにこそふさわしい。結末は読者にさまざまな解釈を許すもので、読み終えた今でも「結局どうなったのか」としばしば思い返してしまう。単純明快な人物描写や疑いの余地のないエンディングに彩られたエンタメ作品を基本的には好む身だけれども、こういった余韻を楽しむ小説もやっぱりいいなあと強く思わせる一編だ。
個人的な好みとしては、著者の自伝的要素が盛り込まれているらしい「ジャカルタ」や「コルテス島」がおもしろかった。特に「コルテス島」には、若き日の著者の執筆への意欲が垣間見られて微笑ましい。また、どちらも若い夫婦が希望や期待を胸に自分たちの人生を歩み出していく作品なのだが、「コルテス島」では破局の予感が描かれ、「ジャカルタ」では実際に破局したことが暗示される。著者の時代にはまだ離婚はタブーに近いものかと思っていたので(マンロー氏も実際に離婚経験者であるらしい)、自分の信じるところに従って生きる女性たちの姿がより胸に迫る。
去りゆく者にも残される者にも人生がある。若さまっただ中の者にも死にゆく者にも人生がある。アリス・マンローはそういったふだんとりたてて意識するわけではないけれども大切なことを、文学という形で私たちに示してくれているのだ。
(松井ゆかり)
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