ドラえもんが川崎特別住民になったのはなぜ?
横浜のココがキニナル!
ドラえもんが、川崎市特別住民になったのはなぜ?藤子先生の出身地である富山県や、作品の舞台になった東京都練馬区なら不自然ではないと思いますが(彩雲さんのキニナル)
はまれぽ調査結果
川崎市多摩区にある川崎藤子・F・不二雄ミュージアム開館一周年とドラえもん誕生100年前を記念し特別住民票を進呈。誕生100年前の2012年9月3日交付
人生で必要な知恵はすべて“ドラえもん”で学んだ
ドラえもん。空想の素晴らしさ、まだ見ぬ輝く未来を見せてくれて、宇宙の不思議や歴史のすごさを見せてくれた漫画。
いじめられっ子ののび太くんを通して世間の不条理や、仕組みをも教えてくれる教科書のような、あるいは哲学書のような作品なのだと、筆者は思っている。
そんなドラえもん。実は川崎市特別住民。
どうして? 確か作品の舞台は東京都練馬区のはず(※ドラえもん・コミックス第15巻『不幸の手紙同好会』にその記述がある)。
ドラえもんは川崎市特別住民! ハマっ子とはお隣さん同士だ
特別住民とは、地方自治体が、その地方自治体の運動などに貢献した人物や物などに対して贈るものである。
舞台とされる「練馬区」と、藤子先生の生まれ故郷である富山県はどう思っているんだろう?
「練馬区役所」と富山県の「高岡市役所」に電話で問い合わせをしてみると・・・。双方ともに「特に何も思ってはおりません」という解答をいただいた。
それでは川崎市はなぜ、ドラえもんに特別住民票を贈ったのだろう? 特別住民に選出された理由と、その経緯を聞いてみよう。
訪れたのは、レトロな庁舎の川崎市役所
本庁舎東館3階、市民文化室。すでにドラえもんの姿が・・・
藤子キャラクターいっぱいの室内。楽しそう♪
ここで担当の中山氏にお話を伺うことができた。
市民文化室 文化活動支援担当 課長の中山健一氏
単刀直入に質問! どうしてドラえもんが川崎市特別住民なのか。
「それは川崎市の多摩地区にある藤子・F・不二雄ミュージアムの開館一周年と、ドラえもん誕生100年前を記念して企画されたものなんです」と中山氏。
藤子・F・不二雄ミュージアムの開館は2011(平成23)年の9月3日。その一周年を祝うため、川崎市と藤子・F・不二雄ミュージアムが手を取り合って企画されたものだそうだ。
このミュージアム開館一周年の年である2012(平成24)年は、ドラえもんの誕生日の2112年9月3日のちょうど100年前にあたる。
これが特別住民の証、ドラえもんの特別住民票
藤子・F・不二雄先生が長年川崎市に居を構えていたことから生田に建てられた藤子・F・不二雄ミュージアム。
その一周年の記念として贈呈されたのが“特別住民票”なのだ。
この住民票、広報印刷物として2012(平成24)年9月3日から川崎市にある7つの区役所等とWeb上で配布され大きな反響を得た。
印刷された紙ベースの住民票は12万9300枚を作成。(配布期間9月3日から翌2月28日まで)配布した枚数は約11万3000枚。Web上でのダウンロード数は当初の予定だった一ヶ月間をさらに一ヶ月間延長し、計二ヶ月間の間に11万279枚がファンの手に渡ったそうだ(スゴい数!)。※残念ながら現在、交付は終了している。
こちらがドラえもんの特別住民票
―関係者の皆さんの反応は、どうだったんでしょう?
「藤子プロ、藤子先生の奥様にも大変喜んでいただきました」
「―部ネット上では“ドラえもんは作品の舞台である練馬区民だ” とか、“藤子先生の出身地である富山県民だ”という声もありますけど」と、ちょっとイジワルな質問をぶつけてみた。
「確かに、そのような声があることは存じております。ただ、現在に至るまで川崎市に苦情のようなものは一件もいただいてはおりませんので・・・」
なるほど。ドラマや漫画、アニメーションのキャラクターが特別住民になることはよくあること。例で言うと、埼玉県春日部市を舞台にした「クレヨンしんちゃん」も、春日部市の特別住民だ。
こちらは藤子先生がドラえもんを生み出した地、川崎市にちなんでいるのだ。
最後に、中山氏に「ドラえもん」の印象について聞いてみた。
「・・・映画、でしょうかね。娘が小さい時、よく一緒に観に行った思い出があるので」
うんうん、「ドラえもん」は映画もいいよね。みんなが力を合わせて頑張って、誰かのために、できることを精一杯するんだ。それにジャイアンがいつになく優しくってさ・・・。
壁に貼られていたポスター。長編(映画)もドラえもんの魅力の一つだ
多忙な中山氏にお礼をして市役所を辞する。本当はこれで調査は完了なのだが、もう少し掘り込んでみよう。
四次元ポケットの内と外からの眺め
今度は送られた側、住民票の授与式も行われた藤子・F・不二雄ミュージアムに行って聞いてみよう。川崎駅から南武線に飛び乗って登戸へ。
登戸駅。ドラミちゃんがお出迎え
登戸駅からバスに乗って藤子・F・不二雄ミュージアムへ。
駅から藤子・F・不二雄ミュージアム行きのシャトルバスが出ている
生田緑地にある藤子・F・不二雄ミュージアムに到着
ここでも「キニナル」を聞いてみよう。
広報の松尾典恵さん(美人!)にお話を伺うことに(残念ながらお写真はNG。ドラえもんで好きな秘密道具はタケコプター♪)。
ドラえもん やっと会えた!
―どうしてドラえもんが川崎市特別住民になったんでしょう?
松尾さんが言った。
「(川崎市特別住民は)ファンへの恩返し、でしょうかね?」
川崎市に縁のある文化人として、川崎市文化賞を受賞している藤子・F・不二雄先生。
藤子・F・不二雄ミュージアム建設のきっかけは先生が亡くなられた後、先生の奥様が「膨大な作品原稿や資料を散逸させぬよう、そして先生の作品を応援してくれたファンのみなさまに恩返しがしたい」という気持ちでスタートしたものだそうだ。
先生の沸き出す想像力をイメージした、膨大な書籍群
そして完成した藤子・F・不二雄ミュージアム。開館一周年、ドラえもんの誕生日の100年前。そんな節目に送られた特別住民票なのだが、川崎の、生田の地を愛した先生への感謝の証だとも。
たくさんの作品を生み出した藤子・F・不二雄先生。そんななかでも代表と捉えられるドラえもんに、特別住民の住民票を送ったのだろう(ドラえもんの連載開始は1977<昭和52>年)。
藤子・F・不二雄ミュージアムに展示されている、先生の仕事机。すべて実際に使用されていた品
性別も世代も、国境まで越えてしまう先生の作品たち。藤子・F・不二雄ミュージアムを回っていると、本当にさまざまな人たちが先生の世界に浸っている姿が目に付く。
感謝。正子夫人から先生への“感謝”の手紙
松尾さんと一緒に館内を巡る。しばし先生の偉業に触れて藤子・F・不二雄ミュージアムを後に。松尾さん、ありがとうございました!
取材を終えて
外に出ると日が暮れていた。風が強い。少し、不思議な感覚になる。
藤子・F・不二雄先生。
生み出された膨大な作品を、僕たちはたくさん知っている。
そして子どものころ、先生の「想像する楽しさ」という水を飲んだ者として、感謝の言葉が付いて出る。ありがとうございました!
取材協力
・川崎市役所
住所/川崎市川崎区宮本町1番地
電話/044-200-2122
HP/http://www.city.kaswasaki.jp/・川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム
住所/川崎市多摩区長尾2丁目8番1号
電話/0570-055-245
URL/http://fujiko-museum.com
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