杜氏と中国語の部屋(メカAG)
今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
杜氏と中国語の部屋(メカAG)
「杜氏のいない蔵元が示した「データ分析さえすれば職人の技を職人抜きでも再現できる」という事実の凄み」 2014年10月31日 『銀座で働くData Scientistのブログ』
http://tjo.hatenablog.com/entry/2014/10/31/191957
これを読んで「中国語の部屋」を連想してしまった。中国語の部屋とは人工知能とかの話で出てくるもの。外から中が見えない部屋に一人の人間が入っている。彼は中国語がまったく理解できない。
しかし部屋には中国語の辞書をはじめとして、どういう受け答えをしたらいいかの膨大な文献が揃っている。彼はその文献を参考にしながら、外部とやりとりすると、外からはあたかも中国語が理解できる人間が部屋の中にいるのと区別できないというもの。
機械は人間のように思考できるか?というテーマにおいて、「人間のように思考する」とはそもそもどういうことか?を示した思考実験。
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この場合、中国語を理解しているのは、中にはいってる人間ではなく、彼を含めた部屋全体。つまり中国語の辞書とセットになって「中国語を理解している」わけだ。
冒頭の杜氏の話も同じような気がする。温度管理のセンサーや膨大なデータ。それらを含めた全体が「杜氏」なのであって、杜氏がいないわけではない。
大工が使うカンナやノコギリがコンピュータや工作機械に置き換わっただけで、依然として大工はいる。
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じゃあ杜氏の本質はなにか?言い換えれば職人の本質はなにか?それは試行錯誤による研究を進める能力だと思うんだよね。多少素材などの条件が変わっても、臨機応変に対応できる知恵。その知恵がcpuやデータベースでも構わないのだが、応用力こそが職人の本質。それは同時に人間の本質でもあるかもしれない。
試行錯誤による応用力も機械ができるかもしれない。コンピュータが自主的にあれこれ実験し、失敗を繰り返しつつ新たなデータを蓄積し、最終的に変化に適応する。その時ようやくコンピュータは人間と同じになったといえるだろう。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年11月05日時点のものです。
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