中国古典の脇役が活躍する『悟浄出立』
中国文学に関する私の知識。『西遊記』については、テレビドラマ(三蔵法師=夏目雅子版)とテレビ人形劇(声の出演=ドリフターズ)とマンガ『最遊記』シリーズによるものがほとんど。『三国志』に至っては、NHKのテレビ人形劇がすべてである(横山光輝のマンガすら読んだことがない)。あ、あと北方謙三版『水滸伝』もいちおう読んだ。あの長大な作品の最初の1巻だけなのだが…。とはいえ、このレベルの読者が実はボリュームゾーンではないかという気もしている。
そんな自分にこの本は敷居が高いのでは…とおそるおそる読み始めたのだが、これがめっぽうおもしろい! 五編の短編が収録されており、表題作の「悟浄出立」では『西遊記』の沙悟浄、以下それぞれ『三国志』の趙雲、項羽の愛妾・虞姫、始皇帝暗殺を企てた男と同名の京科、さらには司馬遷の娘が主人公となっている(さも知っている風に書いたが、名前を見ただけでピンときたのは沙悟浄のみ)。そう、「中国」と並ぶもうひとつのキーワードは「脇役」。本書は中国の古典や歴史的事件の脇役たちの視点から書かれているのだ。朝ドラでは必ず主人公とくっつかない方の男子キャラに肩入れしてしまう人、最近人気が出すぎて西島秀俊が主役っぽくなったのをちょっと残念に思っている人、マンガ『キャンディ・キャンディ』が人気絶頂の頃にクラスの女子がアンソニー派とテリィ派で真っ二つになっていた中ひとりステア派を貫いていた人には、きっと気に入ってもらえるものと思う(すべて私だが。今回引き合いに出す話題が微妙に古くて申し訳ありません…)。
万城目学氏が「悟浄出立」の着想を得たのは、中島敦の「悟浄歎異」「悟浄出世」を読んだことによるものだそうだ(「悟浄歎異」は、沙悟浄が三蔵法師と孫悟空についてただひたすら考えるという作品、「悟浄出世」は彼らと旅に出る前の沙悟浄が主人公が川の底でうじうじと悩む内容であるとのこと)。同じく西天を目指す旅の仲間である猪八戒の華やかなりし過去と現状の落差に思いを馳せる沙悟浄、彼自身もまた鬱屈を抱えて生きてきた者だった。ただひたすら歩みを進めるだけの日々に、彼らは何を見出すのか…。
前作『とっぴんぱらりの風太郎』に続き、歴史上のできごとを題材に物語を創り上げる力があることを、著者は十二分に証明した(初期の短編集『ホルモー六景』ですでに、現代の女子大生と戦国時代の小姓の奇妙な文通を描いた好編も書いていたが)。デビュー作『鴨川ホルモー』以来、彼が描き続ける”青さ”(志の高さと言い換えてもいいかもしれない)は本書においても健在。旧来のファンはもちろん、初めて万城目作品を読む読者も胸を打たれることだろう。
(松井ゆかり)
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