革新派もどきの人々(メカAG)

革新派もどきの人々(メカAG)

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

革新派もどきの人々(メカAG)

ネットには我こそは「革新派」だと自認する人たちが少なくない。ジャーナリストやブロガー。でもそれが全然「革新」ではなく、単なる古いものへの反発でしかない人が多いと思うんだよね。やたら「古い!」とか伝統を否定したり。

確かに革新というのは、「古いものの否定」とかなり重複してはいる。でもイコールじゃない。すでにあるものを一度バラバラに分解し、先入観を取り払い再構築する。ピカソの絵画のように「破壊と再構築」こそが、革新の本質。

再構築なのだから、それなりに全体が統合され整合性を保っていなければならない。しかし既存のものの否定(inverse)にこだわると、バラバラで統合できないんだよね。部分部分のパーツを否定しただけでは、整合性が維持できない。

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そういう人たちって、結局目先のことしか見えてない。何かを改革しようとするのはすばらしいことだけど、整合性を維持したまま何かを変えるというのは容易ではない。結果として慎重にならざるを得ないのだが、それがまた考えの浅い脳天気な人たちには「頭が硬い」と移るらしい。

むろんどんなことでも先は読めないんだから、とりあえずやってみて試行錯誤を繰り返そうというのは、アプローチとしては悪くない。ただそれをいきなり日本全体に適用しようというのが破滅的によろしくない。試行錯誤なら小さな部分でやるべきだろう。

ソ連が崩壊した時、共産主義の実験はもっと小さな国でやるべきだったと言われたものだ。多くの人達を70年間、壮大な実験に巻き込んでしまった。挙句の果ての失敗。

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素人が多い。何かを本気で変えたことがない人たち。ある意味人間の文明と同じかもしれない。これまで人間の影響力などたいしたことなかった。だから結構無茶をやっても地球はびくともしなかった。それが科学技術の発展でそうではなくなってきた。地球環境を壊滅させることもできそうになってきた。

そうなると限界を知らず好き放題というのはできなくなるよね。ネットの言論を見てると、結構いい大人や立派な肩書を持ってる人が、内容的には中学生のような短絡的な主張をしている。

中学生なら社会的な影響力などゼロに等しいから、力の限り自分の信じることを主張してもいいだろう。しかしそれをそのまま社会運動に持ち込むのはねぇ。「思ったまま、感じたままを表現しましょう」とかいう小学校時代の先生の教えを、忠実に守っている人が多いようですな。

小学生や中学生と、大人の思考が同じではダメだろう。純真でまっすぐだが単純で偏狭過ぎる思考から卒業し、汚く打算的な大人の思考方法を身につけなければ、現実の複雑な問題を解決していけない。「他のことはどうなってもいい!ボクは絶対これだけは譲れない!」という安直な思考で社会を運営されては迷惑。

小学生や中学生が「ボクは絶対これだけは譲れない」と言えるのは、それ以外の部分は、誰か大人が何とかしてくれると思ってるからなんだよね。おとなになって同じことを主張するなら、それ以外の部分も自分で解決方法を見つけるべき(少なくともその努力ぐらいすべき)。

執筆:この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年07月03日時点のものです。

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