「お寺カフェ」というメディア、「寺報」というラブレター/杉本恭子さん"めくられ"インタビュー(後編)
『坊主めくり』をしてお坊さんをめくるインタビューをしていた杉本が、お坊さんではない井出さんにめくられるインタビュー後編です。仏教のことをほとんど何も知らなかった私が、5年間に渡る良きお坊さんたちとのおつきあいによってどう変わっていったのか? そのあたりをじっくり聴いていただきました。(前編はこちら)
また、今年6月からは講師を務めさせていただいている『伝わる寺報教室』(未来の住職塾通信講座)の第二回目がスタートします。つねづね、私は受講生のみなさんに「自分を開示しないと、相手にも開示していただけません。もっと自分の思いを伝えてください」とお話しているのですが、このインタビューが『伝わる寺報教室』の受講生および受講を検討しているみなさんへの「自己開示」として機能してくれるといいな、と思っています。
それでは、最後までお読みいただければ幸いです(杉本恭子)。
写真:『伝わる寺報教室』卒業発表セミナーにて井出さんと一緒に。(撮影:受講生の大河戸悟道さん)
お寺カフェを通して伝えたいお坊さんの良さ
写真:2014年5月に法然院『第7回悲願会』にて開かれたカフェの様子。右手前は英月さん。(撮影:木原健さん)
井出:杉本さんは以前と比べて執着がなくなってきたと仰られました。でも、たとえば「お寺カフェ*を企画して実践する」というときにはある種のこだわりが必要になりますよね。こだわりと執着の差をどう考えて、自然にどう処理していますか?(※お寺カフェ:2014年5月3、4日に法然院さんが開催する『第7回悲願会』にて企画したお坊さんとお話しできるカフェ空間のこと。くわしくはこちらをご覧ください。)
杉本:そうですね、今は自然と身体が動くものをやっています。以前はお坊さんや仏教のいいところを知ってもらいたいと使命感を持っていたけど、今は全然ありません(笑)。
たとえば、お寺カフェを通して法然院さんや、梶田さんの取り組みを知ってほしいという思いはありますし、英月さんや木原健さんや麻田弘潤さんにも出会ってほしい。お坊さんや仏教の良さは人を介さないと伝わらないと思っていますし。でも、そこに「私にしかできない」とかそういう気持ちはないですね。
もともと、場とかメディアに興味を持っていて、自分がメディアになることに興味がありました。お寺カフェをやるというのもそういうことです。自分の持っているポテンシャルを組み合わせたらどうなるかというのにすごい興味があります。私が珈琲を淹れるというスキルとお坊さんとの関係性、そしてお寺を組み合わせれば「お寺カフェ」というメディアができるんじゃないかな、とか。そこでお坊さんが伝わっていくのは楽しそうだな、とか。
井出:そうかぁ、それだったら、お寺カフェワゴンを作るのもいいですね。
杉本:それもありかもしれませんね。今回お寺カフェをやってノウハウができれば、持ち込み企画としてのお寺カフェの事例が作れるなあと思いました。お寺が主催しなければいけないという発想から離れたら自由度が増すかもいしれない。たとえば、「地域でカフェをやっている人に手伝ってもらってお寺カフェをする」ということもアリです。何もかもお寺で用意するのではなく、外部との連携で物事を作る方がいいかもしれません。地域との関係づくりにもなりそうですしね。
井出:お寺カフェの一つのモデルに杉本さんがなるのがいいですね。
杉本:お寺カフェについては『神谷町オープンテラス』の実績によって可能性も分かっていますし、地方でもいい喫茶店やお寺があります。私はお坊さんではないために、どんな宗派のお坊さんともコラボできる。それはそれで意味があることかもしれないなと思っています。
井出:お寺カフェの魅力が深く見えてきました。お坊さんには会わないと仏教が分からないというのは本当にそうですよね。これからの時代のお坊さんとお寺の可能性はどうお考えですか?
杉本:お寺はずっとそこにあるのが当たり前に思われすぎているけど、このご時世において「ずっとある」ということにこそすごさがあると思います。
今は、都会暮らしで実家を離れたり、一生賃貸住宅で過ごす人も多いけれど、やはり人間には拠りどころとなる場所が必要になってきます。動かすことのできない神社やお寺は、帰りゆく場所として重要なランドマークではないでしょうか。
私は「好きなお寺のそばに住みたい」を家探しの条件にしています。安心できるお坊さんの近くに住んで、その存在を感じ続けるだけでも、私はとても支えられているなあと思います。お坊さんは、たとえ直接求められてはいなくても、潜在的に人の気持ちを支えられる存在だと思います。
お寺に相談しに来ないとお坊さんは言いますが、実際には「いつかお坊さんに相談しよう」「お寺に行ったら聞いてもらえる」と思えるだけで支えられるんです。そういう存在であることを自覚していただけるなら、本当に大きな可能性があることにも気づいていただけるのではないでしょうか。直接起きていることだけで見るのではなく、その向こう側にあることに想像を向けてみる。ご縁というのはそういうものだと思います。
井出:めぐりめぐってつながっているということですね。お坊さんは社会のセーフティネットなんですね。
杉本:人生って、悲しい・辛いという極が伸ばしながら、逆の極にある喜びを理解できるようになるのだと思います。辛い思いをしないと分からなかった喜びもある。どっちかだけでは分からないものではないでしょうか。
井出:なるほど。まさに喜怒哀楽ですね。
寺報はお寺からのラブレターです
(写真:2013年夏開催「未来の住職塾公開セミナー」で寺報について講義するようす)
井出:昨秋に一緒にやった「伝わる寺報教室」は楽しかったですか?
杉本:添削のやりとりを進める中で「自分のお寺にはこんな面白いことがあったのか!」と気付いていただけたりすると、良い企画会議ができたという手応えがありました。また、図らずも厳しいコメントをしてしまったことから、想像を超えるようなすばらしい記事を書いていただけて目頭が熱くなったこともありました。また、講座修了後に、「リニューアルした寺報が好評だった」と聞くことができたのもうれしかったですね。
寺報でお寺のご縁を温めてほしいですし、お寺やお坊さんの良さが伝わるものとして寺報が機能してほしい。すぐに変化は起きなくても、ていねいに伝え続ければ「いつかあの人に会いに行きたい」「いつかお寺へ行こう」と思ってもらえるはずです。
お寺のせいだけではなく、今の時代は人に会いに行く、直接話すというのが希薄になっています。以前は共同体でできていたことが、できなくなっています。もし「会う」関係づくりをやり直すなら、寺報は手軽な出発点だと思います。
井出:紙で思いを伝えるのって重要ですものね。ラブレターもそうですが。
杉本:たとえば、一年に一回だったら好きな人にプレゼントを渡せると思います。そういう感覚で寺報をつくってほしいです。寺報を読んだ人は、お寺に大事にされていると感じられるはずです。すごいよくできた雑誌や絵画は自分が大事にされている感じがしますよね。ていねいにつくることが大切なんじゃないかな。
井出:素晴らしい文章や絵は、視覚ではなく、その奥の気持ちに届いてきますものね。それでは最後に。杉本さんはこれからどんな人生を歩まれたいですか?
杉本:今私が住んでいる町・京都は世界の中で一番よい町の一つだと思っていますが、大学がたまたま京都だったから住んでいるだけなんですね。自分で選んだことなんて実はそんなにないです。最初にそのことを聞いた時は「はぁ?」と思っていたけど、最近は本当にそう思います。運命の出会いなんて本当かと思っていたけど、たまたまの積み重ねだと思うんです。
仏教が言っているようなことをとりたてて何も言わずに、だまってやっていけるようになりたいですね。楽に生きていけたらいいです。できるだけ笑えることは笑っていきたいし。
井出:肩肘はらずいい感じですね。杉本さんは仰る内容に漢字が少ないのに含蓄があってとてもいいです。今日はどうもありがとうございました。
プロフィール
杉本恭子/すぎもときょうこ
同志社大学大学院文学研究科新聞学専攻卒業。東京の先端メディア企業で書籍やフリーペーパー等の紙メディアからウェブ等のデジタルメディアまで、幅広く携わる。フリーランスとして独立後、雑誌・書籍、ネットメディア等で精力的に編集・執筆活動を行う。2009年より「彼岸寺」にて次世代の仏教界を担う僧侶を紹介するインタビュー集「坊主めくり」連載を開始、「彼岸寺」の編集・運営にも参加し仏教への関心を深める。お寺、お坊さん、仏教の魅力を一般目線でわかりやすく伝える文章に定評があり、寺院メディアでの執筆、僧侶による書籍の編集・構成も多数手がける。「花園」(臨済宗妙心寺派)、「サリュ・スピリチュアル」(浄土宗應典院)等で連載中。
杉本恭子さんの最近の活動
・未来の住職塾 通信講座「伝わる寺報教室」にて講師を担当
ウェブサイト: http://www.higan.net/bouzu/
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