メルカトル図法の悲しみ

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メルカトル図法の悲しみ

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

メルカトル図法の悲しみ

実際には1/3の面積しかないグリーンランドが、オーストラリア大陸よりも大きく描かれているメルカトル図法。直感的にもう少しマシな地図もあるけれど、しょせんは立体である地球を平面の地図で表す以上は、必ずどこかに歪みが生じてしまう。

重要なのはどこに歪みを押し込めるかだ。目的に応じて、差し障りのない部分に歪みを持っていく工夫に価値がある。歪みが存在すること自体をどうこう言っても始まらない。

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よく社会の矛盾を嘆いている人たちがいる。でもそもそも生物とは矛盾した存在。個体を維持する本能と同時に、子孫のために環境を明け渡す「死」もプログラムされている。2つの優先事項の狭間の中で生物は活動しているのだ。それゆえさまざまな多様性が生まれる。優先すべき事項が一つしかなければ「正解」も一意に決まるわけで、世界はこんなにも多様ではなかっただろう。

社会に矛盾があることではなく、その矛盾(歪み)が妥当な範囲に収まっているかどうかを論じなければ意味がない。地図に目的に応じてさまざまな図法があるように、あくまで論ずべきは妥当性。矛盾をどこに収めるか。

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別エントリでも述べたが、企業の仕組みの中には矛盾に満ちたものが少なくない。合理的でないし論理的でもない。しかしその多くは、「社員に毎月一定の給料を払う」という非合理性に起因するものだ。会社が行っている日々の活動は決して同じではないのに、社員には同じ給料を払うのだから、結果的に異なる仕事に同じ報酬を払っていることになる。

でも人間は生命を維持するために食事をしなければいけないから、会社の備品のように不要な時はスイッチを切っておくわけにはいかない。

この歪み(不合理性)をどこに押し込めるか?を考えるべきで、仮に会社から矛盾をなくすとなれば、個人に負わせることになる。会社は仕事した分の給料しか払いませんから、仕事がない時は自分で食費はなんとかしてね、と。

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社会保障だって妥協の産物だ。生物の本質的な矛盾を、国、企業、個人の3者で分担しているわけだ。長い歴史の中で試行錯誤の末に現状がある。むろん現状がベストとは限らないが、矛盾そのものはなくせない以上は、その配分の妥当性を論じるべきなのであって、どこか1点だけ見て、「ほら、ここに矛盾がある、何とかしなくっちゃ」とか騒いでも、結局「矛盾」という厄介者をあちこちに押し付け合うだけ。

社会問題を考えるなら、そういう視点で考えなければならない。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年02月04日時点のものです。

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