思考の仮想化

思考の仮想化

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

思考の仮想化

嫌なことを考えるのはなぜ嫌なのだろう。嫌なことを行動に移すのが嫌なのはわかる。痛いこと、苦しいこと、空腹、そういう目に遭うのは嫌だ。しかし考えるだけでも嫌なのはなぜだろう。たとえば大切な人が死ぬとか、考えたくない。

過去のいくつかのエントリで述べてきたが、人間のネイティブな思考は感情であり、基本的に脊髄反射に近いものだ。単純な論理回路にステートマシン(状態遷移)が加わったもの。昆虫など脳らしい脳を持たない生物の思考はおそらくこの程度。

人間はそういう感情の思考回路の上に、論理的な思考回路を組み上げている。たとえばJavascriptで別な言語のインタプリタ、たとえばbasic言語など、を書くようなもの。この場合Javascriptのインタプリタ上で、basicインタプリタが動作することになる。インタプリタが2重になるので、とても動作は遅いし、効率もよくない。人間が論理的思考を苦手とするのも同じ理由だろう。感情にベースの利口回路が一生懸命論理的思考回路をシミュレートしているのだ。

   *   *   *

そしてこの論理的思考回路は完全ではない。そもそも人間が思考する動機が、生物として生きるためだから、論理的思考から行動の目的や価値(食物を摂取するとか、外敵に恐怖を感じてから逃走するとか)を与える感情的思考をアイソレートできない。それをやってしまうと、そもそも思考する意味を見失ってしまうからだ。

しかしこの構造が、感情的に嫌な思考を論理的にすら出来なくしている。論理的な思考と現実の区別が上手くいかず、「考えたくない」となる。頭の中の仮定と、現実に起きていることの区別がつかなくなる。

嫌なことを考えられる人というのは、頭の中でもう一段の仮想化をやっていると思うのだよね。よく「嫌なことから逃げるな!」「勇気を出せ!」とか、精神論的な話になるけれど、そういうものではない。上述のように人間の脳の仕組み上、「嫌なことを考えるのが嫌」という感情は回避できない。

   *   *   *

さらなる仮想化が必要。シミュレータをもう一段増やす。すなわち「他人事」として考える。頭の中に自分とは無関係な人物を想定し、その人物がどう問題解決すべきか?を考える。自分が問題解決するのではなく、架空の人物に解決させる。

むろん考えた結果を実行に移す場合は、結局は自分がやるしかないけど、考える段階の苦痛はこの仮想化で回避できるのではなかろうか。「現実から逃げない」人というのは、勇気があるというよりも、この手法を経験的に体得しているのではないだろうか。そもそも「勇気」というものは、すなわち「恐怖を克服する」ということは、仮想化なのかもしれない。

あと、せっかくそうやって考えても、結論が「とにかくがんばる」のような精神論では意味がない。あくまで冷静な状況分析でなければ。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年12月06日時点のものです。

寄稿

ガジェット通信はデジタルガジェット情報・ライフスタイル提案等を提供するウェブ媒体です。シリアスさを排除し、ジョークを交えながら肩の力を抜いて楽しんでいただけるやわらかニュースサイトを目指しています。 こちらのアカウントから記事の寄稿依頼をさせていただいております。

TwitterID: getnews_kiko

  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。