【レポート】ドクター苫米地の30分100万円コーチング生放送「コーチングは言語化できない」
前回の記事でも紹介した「ニコニコ動画プレミアム会員200万人突破記念祝い」企画のひとつ「苫米地英人の30分100万円のコーチング」生放送が9/16(火)21:00からニコニコ生放送で行われた。
30分100万円!? 苫米地英人のコーチングが9/16(火)21:00生放送
https://getnews.jp/archives/418343 [リンク]
この放送では、500人の抽選から選ばれたリスナーが悩み・質問を苫米地英人氏にぶつけ、それについてのコーチングを実際に受ける様子が放映される。
今回、見事選ばれたのは、ジャズシンガー志望のRURIさん。
彼女の悩みは、「シンガー志望でありながら、人前に立つと極度に緊張してしまう」というもの。
それに対して、ドクター苫米地はどのように答えるのか。
そもそも「コーチング」とは?
開始早々、司会から「コーチングの簡単な解説」を求められるドクター苫米地。しかし氏は疑問を呈する。
「30分では時間がなくなっちゃうよ」
「コーチングのレクチャー、何時間かけてやってる?僕の本を読んだことのある人(を対象)でも最低3時間。」
「『GT-R』を知らない人に『GT-R』という車を説明できるのは、車という概念を知っているからでしょ?
車を見たことも無い人に、水野さんの作った『GT-R』について語れる?」
歴史もあり世界的なレベルで広がっているコーチングという概念について“簡単な説明”を生放送の導入時間で行うことは難しい、ということなのだ。ニコニコ生放送のような、カジュアルな場で公開されるのは、恐らく初の試みかと思われる。
ただし「コーチ」については、苫米地氏はこのように語った。
「本人がゴールを設定して、そのゴールを達成することを助ける仕事をする人が“コーチ”っていうのね。わかる?
コーチの仕事をコーチングと言えばそうだけど、たとえば古武術の黒帯の人を集めても、極意ってのは説明できないよね?“何をやるか”っていうのは、説明できないから見てほしい。」
しかし、このあとこうも続けた。
「(コーチングの)ほとんどは、非言語なの。だから画面を見ていてもわからないかもしれない。
でも、その中でも興味があるから観たいわけでしょ。そういう人たちでも、観たいんだったら見て、っていうのが今日の放送だから。」
「コーチングという世界、概念を理解していない人は見なくていいよ。」
コーチングそのものが苫米地氏の言うように非言語で構成されているなら、放送や苫米地氏の語るコトバだけにとらわれてもその真意は理解しえない、ということだろうか。
本記事では、当日のやりとり、放送の流れをピックアップしてレポートしていきたい。
コーチングはたった二人で行うもの。「君たちは全く存在していない」
「ここから先は、オレにやらせてくれる?」普段の苫米地氏のコーチングにおいて、コーチングが行われる空間は相談者とコーチのみで構成されるという。
スタッフに対し「君たちは全く存在していない。」「君たちは、モノ(物質)となって、ここにあるパイプと同じになってもらわないと、本物のコーチングはできませんよ。」と問いた。口調は終始、穏やかだ。
「コーチングが宗教なんかと違うのは、コーチングの目的はクライアントのゴール達成“だけ”なのね。
だから、オレは彼女(RURIさん)のゴール達成だけにしかコーチングをしない。
宗教だったら、悟らせるためだったり神に導くためだったり、別の目的がある。けど(コーチングにはほかの目的は)一切ない。
そのためにこの空間を支配して、彼女のゴール達成のためだけの30分を作らなければならない。」
ゴール達成のために、コーチと相談者のためだけの、ノイズの無い空間が必要、ということなのだろうか。
コーチング開始
「それでは始めますよ。自己紹介から」
苫米地氏の言葉に、部屋の空気が一変する。怖さは無いが不思議な緊張感が静寂として漂う。
―― 名前はRURIです、神奈川から来ました。
相談者であるRURIさんはジャズボーカリスト志望の二十歳の女性だ。
―― 人前に立つわけじゃないですか。けど、すごい人見知りがひどいんです。カラオケなんかも、友達とでも行けないくらい、人前に立つのが恥ずかしいんです。
「うん、うん」と自然に相槌を打つ苫米地氏。
「リラックスしていいよ。自宅にいると同じにして。自分の中でテーマにしたいことがあるわけでしょ?それは緊張の事?何のこと?」
―― 人前に立つ緊張の事、人見知りです。
「もともと歌は何でやりたかったの?」
洋楽に興味を持ちはじめたのをきっかけに、ジャズに傾いていったというRURIさん。
「表現」するということの先にある評価
「シンガーになりたくてジャズを選んだの? それともジャズをやりたくて、その中のパートとしてシンガーを選んだの?」
―― 最初はボーカルがやりたかった、ジャズが自分の表現手法として適しているのではないか
「ということは、ジャズを歌で歌っているのは表現したいことがあるからやってるってこと?」
―― アレンジなどを試してみたいという気持ちがあるんですよ。
「表現って二つの考え方があると思うんだけど、ひとつは自分が表現したいことを表現する、絵だったら、絵を描く。で、それを倉庫にしまっておいてもいいわけだ。それと、その絵を人に見せたいっていうもの。その場合、表現じゃなくコミュニケーションじゃん。両方あるかもしれないけど。」
―― 自分の表現を考えるというのも楽しいけど、それをほかの人に聴いてもらって自分を評価してもらいたいという面もあります。
「それ、表現と関係あるの? 評価されたいものについて考えると、表現内容を評価されたいの?それとも歌っている自分を評価してほしいの?」
―― 自分のアレンジがどんな人にとらえてもらえるのか、というのは気になります。
「それはアレンジの話だよね。アレンジャーのほうが歌手より良くない?」
―― でも、私は、歌いたいんですね。自分が歌っていたい。
「それ、ジャズじゃなくちゃいけない?ジャズが素晴らしいのはアレンジであり、自由さにあると思う。アレンジを認めてもらいたいという気持ちはわかるけど、それと歌はどう関係あるの?」
―― 歌は……なんだろうなあ。確かに自分を見てほしい、という気持ちがあると思います。
本当に欲するものは何? 褒めてもらいたいのは自分?それとも表現したもの?
「自分を見てほしいだけだったら、コスプレで街を歩いても良くない?」
―― (沈黙)うーん、それは同じことでしょうか。
「違うと思うよ。難しく考えないで単純に考えてほしい。自分が居ます。書いた文章があります。褒めてほしいのは自分?それとも書かれた文章、どっち? アレンジそのものを褒めてもらいたいのか、それをうたっている自分が上手だね、って褒めてもらいたいのかな? わかる?」
―― はい。どっちかというと、自分が歌って褒めてもらえるって言う方が。
「ってことは、自分のアレンジじゃなくて、他人のアレンジでもいいって事?ナベサダが君にアレンジしてあげるよ、ってしてくれたとする。それと、自分でアレンジしたものと、どっち歌いたい?」
―― 自分のものを歌いたいです。
ゴールの話をしよう
ここまで文章にすると、問い詰めているようにも読めるし、冷淡に感じられるかもしれない。しかし、実際のやり取りは極めて穏やかでゆるやかに話が進んでいた。
こうした部分が、苫米地氏の言うところの「コーチングは言語化できない」要因であるのかもしれない。
言うなれば、当事者同士だけが感じうることのできる、(第三者としてその場で傍観していた我々では感じ取れない)リズムや間合いがあったと考える方が自然だろう。
「そっか。じゃあ、ゴールの話をしようか。自分が未来にどういうゴールを設定している?」
―― 最終的なゴールは、ジャズの生演奏が出来るようなお店で歌いたいです。
「それはゴールじゃなくて職業じゃん。ゴールは自分が将来、どういう世界でどういうことをしているか。自分の未来の姿ね。」
―― うーん。
「飲食店で歌うのに、ナベサダがアレンジしてくれる舞台より自分の歌のほうがいい、って話はだいぶズレてない?」
「本でも書いてるけど、ゴールは最低、8つくらいあるのね。職業の事、自分の生涯学習、家族のこと、自分自身の趣味、健康、社会の中……コミュニティ、身近な街の中での貢献、もうちょっと大きいサイズでの街、もっと大きい世界での貢献、全部、ゴールなのね。その中で今は職業、趣味のゴールなんだよね。」
「ただ、飲食店を経営する、っていうのは職業。職業と職業のゴールはちがう」「職業のゴールは、たとえば飲食店であれば“世界最大の飲食店を経営する”とかさ。“来た人がみんなハッピーになる店を経営している”とか。飲食店そのものはゴールじゃないの。歌手もそう。“ジャズシンガーとしてプロになります”はゴールじゃないのね。“ジャズシンガーとして世界の人が見てる”Youtubeで3000万人が見てる、とかそういう状態ね。そういうのは何がある?」
―― 自分が今思っているゴールであれば、有名なアメリカのジャズボーカルの方と共演していたい、とか。
「それはサブのゴールだね。ゴールは自分の事じゃないといけない。」
「世界の人が私と共演をしたいくらい、世界の人に大きな影響を与えているとかならありえるけど、有名な人と共演、だと自分の事じゃない。」
「あくまで自分のこと。そこを踏まえて、教えて」
―― 日本だけではなくて、日本以外からオファーが来るくらいの。
「わかった。そのくらいの、成功した歌手ね。それ、飲食店経営する暇無くない?」
―― そうですね。……そうなると。
本当に大事なのは緊張する事じゃない
「もう一つ重要なのは、ゴールは心から望んでいる事じゃないといけない」
―― はい。
「飲食店を経営するのと、全世界の人が喜ぶ、あるいは海外のアーティストが来たがる歌手と、どっちが心から望んでるの?」
―― ボーカルのほうです。
「飲食店要らなくない?」
―― そうですね。
「もう一つ重要なのは、ゴールは、今の自分のままでは達成できないことをゴールというのね。現状の延長線上では達成できないことをゴールっていうよね。わかる?自分が変わらなければ、達成できないことをゴールというのね。」
―― 人前でまず立てないと、ダメですね。
「人前で立てないと、ってのと、アメリカの歌手がオファーくれるような話ね」
「だったら、なんで人前に立たないの?どっちを選ぶかじゃない?人前で立たないことを選ぶか人前で立って、そしてオファーをもらうか、それは自分の選択じゃないの?……どっちを選択する?」
―― 立ちたいです。自分で。
「じゃあ、立てばいいんじゃない。あのね、実はね緊張の事は全然違う。答え教えてあげるけど、緊張していいのよ。」
「例えばオレが社長で、面談するとして……そんな場面まあないけど、面談に来た新入社員がものすごいふんぞり返った偉い銀行員みたいな態度だったら、それはすごくリラックスした緊張していない状態だよね。でも、それより新入社員は緊張して声が上ずっていた方が良くない? 高感度高くない?っていう事は、緊張している方がイイ場面も、あるんじゃない?」
―― ああ、そうか
「何の問題もないよ。緊張すると何が起きるの?」
―― メロディとかが飛んじゃったり。
「ジャズのいいところは、インプロヴァイゼーション(即興)でしょ?(メロディとか)用意してきたらジャズじゃなくない?(笑)」
「ジャズを習っている今ではなくて、世界のトップアーティストになっている自分が前の日に用意してきたアレンジ関係ある?ジャズはその場でアーティストを見て、その空間の中で生まれてきたものでしょ。ジャズだけじゃなくてロックやクラシックもそうだけど。」
「緊張したっていいじゃん。間違ったことやらなくていいんだぜ。」「緊張してちょうど良くない?」
―― 緊張していい?
「オレは、緊張しているくらいがちょうどいいと思ってる。ただ、残念なことに緊張しなくなるんだよ。そっちの方がオレは問題だと思うよ。」
「オレが言ってるのはゴールを達成した世界でしょ? 自分がアメリカのアーティストからオファーもらっちゃって、マディソン・スクエア・ガーデンとか当たり前の時に、恐らく緊張しない人になってるから、そっちの方が勿体ない。だから逆だよ。そのときに、今のこの、人前に立っちゃったら緊張していた自分を思い出すくらいに今の記憶を取っといた方がイイって。貴重な体験じゃない。メチャメチャ貴重だよ。」
他人の評価で自己評価を変える必要は無い
「最初の質問に戻るけど、アレンジを見てほしいのか、自分の歌を聴いてほしいのか、そこに飲食店は関係なくない? 何で歌をやりたい?」
―― 何で、歌をやりたいか……。好きだから、歌いたいから……。
「んーん、違うと思う。オレに答え言ってくれたと思うよ。世界の人たちが、自分の歌を聴いて世界のアーティストが、自分と歌を一緒に歌いたいと思うくらい影響力のある歌手として、世界の中に影響力を与えている自分になりたいからでしょ。」
「それが本当かどうかを、自分で問いただすの。」
「それが自分のゴールだったとしたら、――コーチングしているときに当初は本当じゃない、建前だけのゴールの人も多いからね―― それが本当だったとしたらだよ、ほんの数年後でしょ?世界のトップアーティストが自分のところにくるわけでしょ? それがたまたまその辺で歌った時に、集まった人に褒められるかどうか、どうでもよくない?そうでしょ?あんた素人じゃん、で終わりじゃん。なんで素人の人に褒めてもらいたいの?」
―― それはなんか、自分の中で積み上げていくものだと思ってたんで。
「それが大間違いなんだ。コーチングではそれはエフィカシーっていうのね。(略)エフィカシーっていうのはゴールを達成する自己能力の自己評価をエフィカシーって呼ぶ。ゴールを達成する能力だよ。今自分は、エフィカシーを認めてるわけだ。今私は、将来、世界のトップ歌手が一緒に歌いたい人になれるわけでしょ?それは自己能力を自己評価しているわけじゃん。そういうエフィカシーがあったとき、エフィカシーは自分で作ること。他人に言われることは関係ない。」
「自分がゴールを設定する事。そしてそのゴールを私は達成できる。それを確信するだけなの。他人の評価はどうでもいい。」
エフィカシーを保つ
「緊張は悪くないんだよ。自分のホームじゃないところに居るから緊張するわけ。我々プロのコーチはどんな場所に居てもホームに感じるような心を作ることが仕事のひとつなんだ。それが今回1回のセッションでやる話かどうかは別として。緊張しないようにするのは我々の仕事ね。でも実際は社会的に見ると、最初のうちは緊張しているくらいがちょうど良くて。」
「ほかの人がどう言っているかって言うのは、自分のゴールに比べたら、あまりに小っちゃくない?」
「ってことは、自分の選択じゃん。簡単。緊張するのはかまわない。ただ、それによって自分のエフィカシーが下がる事をやめるだけ。緊張は問題じゃない。自分の自己能力の自己評価が下がることは問題。」
「勝負する相手は世界のトップアーティストであって、そしてそいつらに勝っているのが自分の世界なわけでしょ。その時にその辺の街に集まっている人たちがどう思うか、何を言ってくれるか、どうでもよくない?」
時間は未来からやってくる
「ってことは、簡単じゃん。ゴールをちゃんと設定したら、日々、私はゴールを達成する人だ、達成できる能力を持っている人だ、と確信するだけ。でその時に、他の人が何を言っても“あんたバカじゃん。だって私の事なんも知らないでしょ”って。」
「時間は、未来があって現在があるんだ。他の人は過去しか見ていないから。自分の未来なんか知らないでしょ。未来しか興味ないでしょ、我々。未来に世界のトップアーティストになってるんだぜ。その未来がこれからこっちにやってくるんだぜ。それやってくるときに、今目の前にいる人たちは全部過去だし。何言われたって関係ない。にもかかわらず、自分の自己評価を上げたり下げたりするのは余りに勿体なくない?自己能力の自己評価は自分で決める。」
無意識への働きかけが行われた
「実際は、今、二つのことをやってるから。ひとつは、無意識に対して色々な会話をオレが同時にしています。それは今日、一晩寝たら夢に出てくるかもしれない。別に変なものが出てくるんじゃなくて、心の中で自信が湧いてくるとかね。それとか明日明後日と、じわじわと自己能力・自己評価が高まってる実感が高まってる可能性が高い。今言語で喋ったことの内容はなんとなく覚えてればいいだけだ。」
「本質的な部分は、俺の本当のコーチングは、今はわかりやすくニコ動の期待を裏切らないために会話したんだけど、ほとんど会話しないの。横でパイプ吸ってるくらいで、ほんのちょっとだけ、会話する程度。それは何かって言うと、それはオレが無意識の世界に対して働きかけをするもの。」
「今回、言語のコーチングってのは何、ってのはこれでわかったでしょ。みなさんにコーチングの解説をしたのね、簡単に言うと。」
「俺のやったコーチングは、言葉には一切のってません。映像にも写ってません。無意識から無意識への伝達なのね。だからそれはハッキリと自分が体感してくるから、今晩、明日でじわじわと効いてきます。」
「ただ、1回のセッションとは言えども、一度俺のクライアントになったら一生オレのクライアントなんで、何かエフィカシーが下がったり気になった時は遠慮なくオレに連絡して。」
―― はい。
RURIさんへのコーチングは、ここまでの30分でいったん終了となった。
ニコニコ生放送のコメントでは、拍手や賛辞で画面が埋まった。今回、無料放送枠はここまでとなり、この後は有料会員向けの枠にて、「コーチングは言語化できない」という内容の話など、さらに深い話が行われた。
もしコーチングが当事者同士のライブでのみ成立しうる概念と仮定するなら、この記事で本質を伝えることは難しいかもしれない。多少でも、雰囲気が伝われば幸いだ。
さらに苫米地氏について興味がわいた人は、氏の書籍、ならびにブロマガなどのサービスを通して考えに触れてみてはいかがだろうか。
苫米地英人チャンネル(苫米地英人) – ニコニコチャンネル:エンタメ
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