いったい、誰のためにお金を借りていたのだろう?
今回はtom-wさんのブログ『まっしろなブログ』からご寄稿いただきました。
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いったい、誰のためにお金を借りていたのだろう?
先日BLOGOS上で「奨学金」という名の学生ローン 1,000万円超す借金抱える若者も*1、という記事が話題になりました。
*1:「「奨学金」という名の学生ローン 1,000万円超す借金抱える若者も」 2013年07月14日 『BLOGOS』
http://blogos.com/article/66266/
奨学金を利用している学生や、返済に困っている社会人が「教育の機会均等」を訴えてデモを起こしたというものです。
まずは奨学金を「学生ローン」に
記事内の写真の見出しに
「日本の奨学金は借金だ」。制度の本質をついたプラカードが目についた。
というものがありまして、本質というか、もう当たり前の話だよね。という感じです。当然ネットでの反応も、「奨学金は借金に決まってんじゃねーか、お前が自分で借りたんだろ。借りたもんは返すのがあたりめーだろ!アホ!」となっています。
デモをしている人たちのフォーカスはそこではないのでしょうが、やはりそのあたりの内部と外部の意識の差を取っ払うには、まず奨学金の名称を変更する必要があると思います。アメリカでは学生に貸し付けるお金のことは「学生ローン」と呼ばれ、給付制のものが「奨学金」とされています。
「何を単純なことを」
と思う方も多いでしょうが、言葉の持つ意味というのはそれなりに大きいと思っていて、奨学金が学生ローンとなるだけで、お金を借りることにもう少し注意を払う学生も多くなるかもしれません。これは僕自身もそうだったのですが、大学にのほほんと通っていて、さて毎月自動的に借金が数万円~12万円(第二種・満額の場合)どんどん積みあがっているということを危機感をもって認識している人がどのくらいいるかと言われると、もう、どうしようもないくらい少ないのではないかと思うんです。「まっ、どうにかなるよね!」と軽い気持ちで入学して、「フツー」の大学生活を送って、卒業するときに借金の額と返済期間を通知されて「えっ!?」ってなる。
ほとんど無意識の借金です。
自己弁護をしているわけではありませんが、やはり、18歳の時点でそのあたりのリスクであったり、メリット・デメリットを考慮しろというのは、少し酷な気がします。
(画像が見られない方は下記URLからご覧ください)
https://px1img.getnews.jp/img/archives/2013/07/syo01.jpg
誰のための奨学金?
「奨学金」というからには、呼んで字のごとく勉学することが奨められているわけですが、じゃあ、「誰のために奨められているの?」ということになると、学生のためだなんてちっぽけも感じられず、国が国のために学生に勉学することを奨めているようにしか思えないわけです。
特に都心に近い高校に入ると、大学に入るのが当たり前になって、「周りの人が大学に行くから、とりあえず自分も大学に行こう」となる。「お金はないけど、なんか奨学金とかいう便利そーなものがあるから、これされ利用すればどうにかなりそーだ」。これは僕が通っていた大学がたまたまそうだっただけなのかもしれませんが、入学すると「クレジットカードをぜひこの際に作りませんか?」という勧誘の広告をたくさんもらうことになります。審査もほとんどないし(本人にほとんど収入がないことなんて分かりきっているので、将来的な見込みさえあればいい)、誰でもすぐに作ることができます。本当にカンタンに!
そんでもって、在学中にクレジットカードの便利さを知らしめて、大学4年生になったところで、大きなスクリーンで
・ 返済が滞るとブラックリストに載せますからね
と言われるわけです。
ブラックリストに載ってしまうと、新たにクレジットカードを作ることもできなければ銀行から借り入れをすることもできなくなる。「卒業3年以内は新卒扱い」なんてちまたでは言われているけれども、実際は採用の段階である程度のバイアスがかかってくる。そんなリスクを冒して、ボランティアや「放浪」などの「自分探し」や、長い目で見た給与が相対的に「見えてこない」ベンチャー企業に入るということには相当の覚悟が必要です。そして、「大企業」に入社することになる。さらには、入社した後は後々の奨学金の返済も考えると、転職することにも不安が伴います。
つまり
「お金はないけど、みんなが行くからなんとなく」大学に入ってしまった時点で、「卒業後は大企業に入社して長期間働く」というモデルケースにまんまと組み込まれてしまうわけです。もちろん、個々人の単位で見ると違いますが、総じてこういった流れだと考えて差し支えないでしょう。
奨学金を借りる学生というのは、国(日本)にとてって見てみれば、国力(GDP)を維持するための単なる「コマ」でしかなく、そこには学生に「自分の意思で、本当に心から幸せな人生を送ってもらいたい」という気持ちなんてこれっぽっちもないのでは、と感じてしまいます。こうやって「コマ」にされた人間が将来、日本という国に感謝し、恩返しをしようという想いを持つとはとうてい思えません。
奨学金の本質は、借金であるどころか、
「国の『奴隷』になるための直通チケット」
なのではないでしょうか。
「機関保証制度」の「公益」とは?
ここにきて断りを入れますが、今回触れている奨学金は、独立行政法人である日本学生支援機構の奨学金についてです。
お金を借りるからにはもちろん保証人を立てないといけないわけですが、保証人がいなくても大丈夫な仕組みがあって、名前を「機関保証制度」と言います。
こちらは、公益財団法人の「日本国際教育支援協会」という組織が運営していて、細かいところを説明していると虫唾が走るので省略しますが、とにかく
金さえ払えば保証人なしで奨学金を貸してあげるよ。
というものです。保証料は、第一種(無金利)の場合、月64,000円の貸し付けで毎月3,137円。第二種(低金利)の場合は月10万円の貸し付けを受けると毎月5,822円の保証料が奨学金の振込額から天引きされていきます。「無金利」「低金利」とはあるものの、実質的には5%前後の金利でもって運営がまかなわれているといったぐあいです。
ただ、この保証料をもってしてでも返済率の低下をカバーしきれず、これに歯止めをかけようと日本学生支援機構の機関保証制度検証委員会が打ち出した対策が(ここからお分かりの通り、この2つの団体は、名前は違えどほぼ同一の団体だと考えて差し支えないかと思います。)・・・
「回収プロセスの早期化」及び「個人信用情報機関の利用」の効果を織り込み、向こう25年間(平成48年度まで)の財政収支シミュレーションを行ったところ、現状の保証料等のスキームで収支相償が実現できる結果を得た。
「平成23年度機関保証制度検証委員会の審議結果について(PDFデータ)」
http://www.jasso.go.jp/saiyou/documents/23houkokusho.pdf
つまるところ、「早く取り立てて、ブラックリストに載せろ」ということです。
なぜ対処療法のような出口の対策しか重点的に行わないのか疑問に思います。もちろん法人である以上、円滑に資金を回していかないといけないのは事実です。しかし、「公益」というのは、社会のため、この団体の場合は特にその中でも学生に利益を提供するものであるはずです。であれば、「借金を取り立てられて、ブラックリストに載せられる」学生を多く生み出すような組織は、決して公益団体と呼ぶにはふさわしくないと思います。
それであれば、大学の募集要項に
・ 受験生のみなさまへ~日本学生支援機構からのお知らせ~
お金に困っているみなさまへ。あなたには2つの道が用意されています。1つは、奨学金を借りず、大学にも行かず、このまま自由に生きてもらうことです。ただ、この場合、あなたの人生にどんな災難が降りかかろうが私たちは知りません。
あなたにおすすめされるもう1つの道は、奨学金を借りて大学に進み、立派な大企業に入社することです。そうすればあなたは奨学金の額を補って余りあるくらいのお金と名誉と地位を得られるかもしれません。ほら、どうでしょう。
余談になりますが、私たちはあなたの幸せなどには興味がなく、世界に日本の経済力を誇りたいだけなのです。ただ、そのための歯車になって欲しいだけなのです。まぁ、いいじゃないですか。win-winだとは思いませんか。
※ただし、奨学金を借りても日本の歯車になることができなかった場合、いつまでもあなたに対して取り立てを行います。なんてったって、お役所下がりの「オエライ」さんにたくさんの報酬をあげないとなりませんから。
とでも書いてもらった方が、まだ潔くて納得します。
教育の機会均等は実現されているか?実現されるべきか?
次の記事への軽いイントロのになるのですが、、
今回の奨学金に対するデモで訴えられたのは、主に教育に関する「機会均等」です。ただ、「機会均等」といっても、誰でも無償で中学校まで通える(通わなければいけない)ことなのか、望めば誰でも高校や大学に通えることなのか。能力(学力)に応じて、その学力に「相当」する学校に誰でも通うことができることなのか、これらは個々人にとって色々なとらえ方があると思います。
学力に「相当」
と書いたのは、給付制の奨学金について書きたかったからです。デモを否定している方の中には「そんな文句を言うなら、給付の奨学金をもらえばよかったのでは」という意見が多く見られます。
しかし、現実的に給付の奨学金を狙おうとするならば、かなり家庭状況が厳しい場合を除いて、自分の学力に対してある程度下の偏差値にある大学を受験し、特待生、あるいは成績と家庭状況の組み合わせによって給付の奨学金をもらうことが現実的な道になってきます。一方、自分の学力に見合うの大学に入るならば貸し付けの奨学金となってしまう可能性が高く、そうなるとアルバイトに追われて十分に勉強をすることができなくなるかもしれません。
デモをしている彼らにとっては、おそらく、こういった状況が「機会均等」ではないと感じたのではないでしょうか。
苦学生にとってみれば「そうだ!」と思う人が多いでしょうし、そうでない人の中には「大学に人の金で通わせてもらっているのにまだ文句があるのか」と思う人もいるでしょう。やはり人は、自分が今いる立場を正当化したいと思う生き物だと思いますし、どちらが正解だなんて決められない。だからこそ、こういった問題を選挙などでどんどん取り上げて争点の1つとしていくのがとても重要なことだと思っています。少なくとも今の僕には、外交がどうだ、選挙に合わせて誰かが誰かを名誉棄損で訴える、なんかよりもこちらの方がよっぽど現実味があると感じられます。
でも、どうしても今の選挙の仕組みでは「苦しんでいる」人に味方になる制度というものは生まれづらい。次の記事ではこういったことに触れようかと思っています。
執筆: この記事はtom-wさんのブログ『まっしろなブログ』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年07月26日時点のものです。
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