ドーム映像作家飯田将茂監督&舞踏家最上和子の初長編『東京巡礼』完成──映画監督押井守を交えた豪華鼎談
プラネタリウムなどで上映される全天周ドーム映像を手がけてきた飯田将茂監督と舞踏家の最上和子氏はこれまでドーム用の中編『HIRUKO』(19)や『double(ドゥーブル)』(20)でタッグを組んできたが、今春、ドーム映像ではない通常フォーマットの長編映画『東京巡礼』を完成させた。飯田監督が最上氏を知るきっかけとなった2017年の書籍『身体のリアル』(KADOKAWA刊)の共著者であり、最上氏の実弟でもある映画監督の押井守氏を交えた鼎談が初号試写後に行われた。騒がしい東京を捉えながらも舞踏家最上氏の身体性が介入することでゆったりとした時間が流れ始め、観る者の呼吸や鼓動スピードをも変えてしまう稀代の映画。飯田監督と最上氏の狙いは? 押井氏は実姉主演の『東京巡礼』をどう観たか?
映画と身体、そして変性意識
──上映後の挨拶で飯田監督はヴィム・ヴェンダースのドキュメンタリー3Dダンス映画『Pina/踊り続けるいのち』(11)から着想を得たと語られていましたが?
最上 ピナ・バウシュは知っているの?
押井 ピナ・バウシュぐらい知っているよ。
飯田 『Pina』は御覧になられた?
押井 それは観てない(笑)。最初の頃は大好きな監督だったんですよ。僕の『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』(08)はヴェンダースの『パリ、テキサス』(84)を参考にしたぐらいなので。ただ『ベルリン・天使の詩』(87)で興味を失った。あれだけヨーロッパの文化に抵抗し、アメリカを舞台にして『パリ、テキサス』を撮った監督だったのに、堂々たるヨーロッパ映画を作ってしまった。『スカイ・クロラ』がヴェネツィア国際映画祭でコンペティション部門入りしたときの審査委員長がヴェンダースだったんですよ。同じホテルに泊まっていたから、朝、カフェのテラスで黒い帽子に黒いマント姿のヴェンダースがコーヒーを飲んでいるのを何回か見かけた。完全にヨーロッパの歴史に取り込まれた知識人そのものだった。映画監督って誰もが自己演出するんだけど、だとしても一貫性がなさすぎる。
最上 若いときは元気を根拠に抵抗するんだろうけど、根本が希薄だと、取り込まれちゃうんだろうね。
──そのヴェンダースがピナ・バウシュのダンス公演を初鑑賞した場所がヴェネツィアです。
押井 ヴェネツィアも東京も川と橋がいっぱいあって、似ているんだけど、ヴェネツィアの場合は水路と街が一体化してしまっている。
飯田 ああ。
押井 一体化しているから、水に浮かんだ街って感じがしないんだよね。街ごと映画の撮影セットみたいな場所。
飯田 ディズニーシーみたいな。
押井 そう。だけどこれが夕方になって黄昏れてくると、街全体が赤くなって、途端に終末感が漂う。強烈に死の匂いがする。死んだ街というか死者の街になる。
最上 言われてみると、死の匂いがするよね。
押井 ヴェネツィアは過去にペストで大量の死者が出たし、泊まったホテルは『ベニスに死す』(71)で使われた建物(グランド・ホテル・デ・バン)。絶えず死んでいる世界って言うのかな、やっぱり歴史を感じさせた。街全体に死が染み付いている。ヨーロッパもいろんな場所に行ったけど、いちばんヴェネツィアが印象に残った。ああいう街はアメリカにはない。東京なんて、江戸から始まったとしてもせいぜい400年ぐらいの歴史かな。比べ物にならない。
飯田 今回の『東京巡礼』を日本橋界隈で撮っていて面白かったのは、東京の街でも水辺に近づくと死の気配がするんですよ。
押井 それは間違いないね。やっぱり湾岸ってね、川もそうなんだけど、彼岸みたいなものを感じる。橋もそうなんだよ。橋のたもとには必ず物の怪が立つと言うぐらいで。僕ら姉弟は(大田区)大森で育ったから。
飯田 ああ。
押井 近くに鈴ヶ森刑場(の跡地)があって、あとは芸者置屋だったり。子どもごころに怖い場所だなって、そんな感じがずっとしていたから、大学生になって大森を離れて、武蔵野に出たときは嬉しかった。
飯田 死の気配から解放されたんですね。
押井 一人暮らしを始めて自由を満喫したってのも大きいんだろうけどさ。
最上 私も大森を離れて下宿を始めたとき、ものすごく嬉しかった。若い頃は重荷だった。大森の近辺とかさ、手強いよね。
飯田 手強い?
押井 閉塞感ともちょっと異なるんだけど、なんて言うのかな、まとわりついてくるんです。逆に武蔵野の国分寺とか小金井とか、あっけらかんとしている。生まれてからずっと東京で長く暮らして、熱海に移り住んだら何か変わるかなと思ったんだけどさ。最初は良かったですよ。すごく。季節をもろに感じるし。でもすぐ飽きちゃった。灯りなんてほとんどないから真っ暗で、山の上の家にいると星空が綺麗なんだけど、夜が怖いんだよ。山が鳴るから。風が吹くと、山中が鳴る。そして「生(なま)」を見ちゃった。
飯田 『身体のリアル』で読みました。
押井 (飼い犬の)ダニやんが死んだあとだよ。一人で散歩して雲を眺めていたら、いきなり「生」が見えちゃった。ある種の変性意識なんだろうけど、脳のフィルターを通さない「生」の現実を見ちゃった。これがね、けっこう恐ろしかった。戦慄したと言っていい。僕が変性意識に陥ったのは、あの時ぐらいじゃないかな。普通じゃなかったんですよね。犬と散歩していた道を一人で歩いちゃダメだなと思った。
最上 その変性意識っていうか、その「生」って、ものすごく危険な物じゃないですか。
飯田 ええ。
最上 危険っていうか、多分それまともに食らったら生きていけないみたいな、そういうものだと思うんだけど、私なんかが舞踏でやっているのは、それを危険じゃないように、ちまちまちびちびやっていく。それが私の稽古なんだけど。もろにかぶっちゃったらもう生きていけないから、ちびちびちびちびやって、危険じゃなく体験できるようにしていくっていうのは昔から言っている。
押井 行ったり来たりね。行ったり来たりできるのがいいんだ、っていつも言っているよね。
最上 身を滅ぼしてしまったら何の意味もないから、それを順序立てて、たどっていけるようにして、逆にその「生」っていうのを、危険ではあるんだけど、生きる力に変えていくっていうか、武器にしていくことだったの。というのも、私も「生」を体験して、その「生」にすごく苦しめられたから。そしてそこから逃げられないとも思ったわけ。今度またあれが来たら、自分は生きていけないだろうというぐらいめちゃくちゃ怖かった。恐ろしい体験だった。でも、生きている限り、これから逃れられないんだったら、受け身でいるんじゃなくて、こっちから向こうに乗り出していく方法を考えないと、これはもう死ぬより怖いんです。死ぬならまだいいんですよ。「生」を体験することは死ぬより怖いんですよ。だからそれをこっちから引き寄せて危険のないものに中和しながら、自分のものにしていくっていう。それが私が舞踏でやっていることなんですよ。
飯田 僕も高校まで野球をずっとやっていて、そこで熱中症で死にかけたんですよ。病院に運ばれたのがあと1時間おそかったら死んでたねって言われるぐらいやっちゃって、そこで初めて「生」を見ましたね。
最上 そうなんだ?
飯田 もう世界が全然ちがって見えちゃって、僕も喚き散らして、こんなところに家があるはずがないとか、こんなに道が広いはずはないとか言い出しちゃって、だからそういう生命の危機に瀕した際に、死の領域というか、「生」っていうものがこうワアって出てくるんだなと思いました。普通に生きていく上で、いかに安全なものを自分の周囲に仕立て上げて、そういう世界で生きてるんだっていうことを突きつけられたというか、当時は分からなかったんですけど、改めて振り返るとやっぱり実際に生命の危機に近づくってことは、当たり前ですけど死に近づくっていうことなんだなって。ちょっと思ったりもしましたね。
押井 なんかね、こう、外側から宇宙を覗き込んだような感じになるっていうか、僕の場合だと、目の前に浮かんでいる雲がね、雲が浮かんでいるという物理的現実が見えちゃったんですよ。だから、ビックリするっていうか、戦慄したんだけどさ。これって、やっぱり人間が生きている現実って、普通は見えてないんだなってつくづく思ったし。そっちに行きたいとか全然思わなかった。自分は脳を通してしか世界を見ていないんだなっていうことを痛感した。ついでにもう1つ僕の実体験を語るならば、二十年くらい前に外出中に記憶喪失になったことがある。
飯田 ああ。それも『身体のリアル』に載っていますね。
押井 脳が完全にショートしちゃって、あのときは大人として産まれた感じだった。
飯田 へえ。
押井 自分が誰だか分からなかった。なぜここにいるのかも理解できなかった。すごく新鮮であると同時に、やっぱり怖かった。そんなに長い時間じゃないんだけど。突然ちがう世界にワープしてしまった。単にワープしただけならいいんだけど、自分が誰だか分からなかった。ああ、記憶喪失ってこういうことかと思った。まあ、人間の習慣のちからって恐ろしいもので、自分では何も考えずに駅に行って、ちゃんと帰ったんだけど。 まわりの人間は僕の異変にまったく気がつかなかった。
飯田 それはすごいですね。そうなってくると、何が自分を動かしているか分からないですね。
押井 医学博士の養老孟司さん曰く人間の意識なんてそんなもんですよ、ほとんど習慣と惰性で生きているだけです、自意識なんてせいぜい1日3時間かそこらですって。たしかに日常生活であれば、意外にそうなのかもね。なんかね、人間ってさ、根拠がないところで生きているんだなと痛感した。
映画の距離感
押井 世界をどう認識するかという話で言えば、それこそ映画は他人の目で世の中や人間を見る装置じゃないですか。厳密にはカメラマンの画角だけど、監督の目と言ってもいいよね。そういう意味で言えば、きょうの『東京巡礼』は、外から見ているって感覚と、その場に居合わせている感覚の中間ぐらい。ちょっと妙な距離感をおぼえた。
最上 それっていい悪いじゃなくて?
押井 いい距離感だと思った。あんまり感情移入していない。
飯田 ええ、ええ。
最上 それが飯田さんの特徴だからね。
飯田 撮影は英語でショットと言うぐらいなので、どうしても狩猟する位置になってしまいがちなんですが。
押井 映画は、誰が監督しようとも、対象に近づいちゃうんだよ。男性監督が女優を撮るときは完全に行っちゃう。距離感ゼロになっちゃう。
最上 へえ。
押井 だから対象から距離感をとって撮影していますと言い張るのがドキュメンタリストなんだけど、あの人たちもそれは無理だから。
飯田 う〜ん。
押井 だから僕はドキュメンタリストを信用していない(笑)。
飯田 そうですね。ドキュメンタリー系の人たちに、今回の『東京巡礼』の形になる直前のバージョンを見せたんですけど、あまり響かなかったです。むしろ、なんでもっと表情を追わないんだって指摘されました。この映画をどう見ていいか分からないと言われました。
押井 映画の編集作業をしていたときに隣でドキュメンタリーの監督が同じ作業をしていたりして、何人かと会って話をしたことがあるけど、あの人たちも無意識に劇的なものを求めているよ。完璧に客観的に撮るなんて絶対にありえない。むしろ劇映画こそ、必要なときに突き放して撮ることができる。引き気味に撮ればいい。客観的になるように、俯瞰で撮るとかね。映画って、どうしてもね、我が入るんですよ。
──完成までに20年かかったヴェンダースの『Pina』も生前のピナ・バウシュにステージに上がって撮るなと言われていたのに、男女のダンサーの視点を交互に撮るクローズアップを1シーンだけやってしまいます。
飯田 ああ、たしかにクローズアップがありましたね。
最上 欲が出る。
飯田 ヴェンダースの気持ちはめちゃくちゃ分かる。分かるんだけど、今回の『東京巡礼』は踊りそのものを撮るんじゃなくて、踊りによってその場がどう変容していくかを撮りたいという狙いがあったんです。それが踊りの醍醐味かなと僕は思っています。踊りだけ撮っても意味があるのかな、場を含めて撮らないと映像の意味がないんじゃないのかなというところから出発した映画なので。
押井 だよね。だから舞踏の魅力っていうのをさ、映像でどういう表現するかっていう、かなり困難なテーマに『東京巡礼』は挑戦している。僕に言わせれば基本的に無理じゃないのかなと思っているんだけど、踊りってものをいわば世界にどうアピールするかっていう意味では、今回の『東京巡礼』は大正解だったと思う。こういうことなのか! って見て分かるから。形を見せるんじゃなくて、存在を見せているから。
最上 ああ、なるほどね。
押井 世間一般の人が見たら、あっ、こういうことなんだなって納得しやすいと思う。
最上 うんうん。
押井 ゆっくり動いているだけで空間がこんだけ変容して見えるって、それをアピールするにはいい映画だなと思った。
東京に異物を置く破壊力
押井 今回の『東京巡礼』は久しぶりに東京の映画を観たって感じがしたよ。舞踏というよりも、東京の映画として面白く観た。僕は『機動警察パトレイバー2 the Movie』(93)で戦車を登場させたけど、東京の街に戦車を置くよりも人間のほうが威力があるってことに驚いた。
最上 そこが今回の映画のいちばんのポイントだよね。
押井 本当に驚いた。
飯田 東京に戦車を置くのは大変ですけど、人が街を歩くって、割とすぐできるじゃないですか?
押井 笑
飯田 すぐできるんだけれども、こんなにも変わるんだっていうのはある。
押井 意外にさ、戦車のある東京の風景って、すぐ馴染んじゃったんですよ。
最上 ああ。
押井 思った以上に破壊力がなかったなっていうか……まあ、日常化してしまうことまで含めて演出の狙いだったんだけど。今回の映画は本当に、人間がゆっくり歩くことで、人間が生きている時間軸がむき出しになった。そんな気がしたね。その横を忙しく通過していく人がいることで、スローモーションじゃないんだ、ここは都市の一部なんだと分かる。その都市の一部に強烈な違和感を持ち込んでみせた。
最上 私が舞踏の稽古の1つとして東京の街を巡礼するようになったのは17年前からだけど、元々の発想としては、外から見てどうこうじゃなくて、人間の中身だった。ゆっくり歩くことによって、一緒に巡礼した人たちが「音の聴こえ方が変わった」と感想を言うんですよ。それこそ車が走る音が鳥のさえずりに聴こえたとか、みんなそういう言い方をするんです。
押井 音ね。それを映画で疑似体験させてくれた感じはする。『東京巡礼』は音の使い方が巧かったよ。カメラを水中に沈めて撮っているオープニングシークエンスの水のボコボコ音とかは、ドーム映像の『HIRUKO』と同じだったから、いつものが始まったよ、この人は本当に水が好きなんだなと思いながら観ていたんだけど、東京の街に出てからは工事現場のガチャンガチャンだったり、いいタイミングでいい音が入るなぁって、本当に感心した。
最上 今回の映画は割とずっとノイズが鳴っているじゃないですか。でもうるさいとはまったく思わなかった。
押井 ぜんぜん。
最上 あの聴こえ方が舞踏体験でゆっくり歩いているときの感覚にすごく近かった。ドカンドカンとか工事の大きな音がしてもうるさくない。遥か彼方から聴こえてくるように感じて、鳥のさえずりも工事の騒音も同じになる。そういう体験をしちゃうんですよね。物の見え方すらすっかり変わってしまう。でもそれは映像に撮れないじゃないですか。
──それを音で表現した。
押井 映画を撮る人間だったら、ぜったい音楽を使いたくなるんだよね。
飯田 ああ。
押井 音楽で補完するっていうか、姑息なことを考えちゃうんだけど、音楽じゃなくて環境音で勝負した。かなり画期的だったし、面白かった。ノイズだからこそよかった。あれが音楽だったら映像に馴染んじゃう。
飯田 そうですね。
押井 ノイズで最後まで違和感をキープしたってのは大きいと思う。
飯田 どの音を意識させるかを作り手が操作できるのは映像の面白さだなと感じました。
押井 船の上で寝そべっているシーンもいいよね。
飯田 あそこは評判がいいです。
押井 さっきの彼岸の話ともつながってくるけど、試写会後の登壇スピーチで能楽師の森瑞枝さんが言っていたように、川には川のリズムがある。川の時間が流れている。たしかにそうなんだよ。『機動警察パトレイバー THE MOVIE』(89)のロケーションハンティングで船に乗ったときに東京ってこんなに静かな場所だったのか! って驚いたから。
飯田 あっ、本当にそうなんです。
押井 両側が切り立っているから、音がみんな上を通過して、東京にいる時間感覚を失うんだよね。
飯田 本当に不思議な体験でした。
押井 あと、船の上でやっぱり寝そべるんだなと思った。あそこで立って踊っちゃうとね、話がちがってくる。船の上でベタッと横になっているからこそ水を感じるというか、船が水を渡っている感覚がダイレクトに船の上にいた人たちに伝わったんじゃないかなと思うよ。かなり気持ちよかったはず。
舞踏を世間にどうアピールしていくか
──映画としての総合的な評価は?
押井 舞踏を世間にアピールするにはいい映画だなと思ったんだけど、だからこそ別バージョンも作っておくことをおすすめします。2時間20分の現行バージョンはちょっと長い。
最上 具体的に言うと?
押井 オープニングの水のボコボコを削って、ソロで踊っているところも削って、あとは中盤の人形を介護しているシークエンス?
飯田 ああ、はいはい。
押井 あそこはちょっと微妙かなと思った。あそこだけ別の話が入っている気がする。
飯田 う〜ん。
押井 たしかに面白いんだけど、ストレートに舞踏っていうことに結びつかないよ。普通の感覚で言うと。
最上 それは舞踏を「踊り」だと思っているからじゃない?
押井 たぶんね。
最上 それ、踊りじゃないんだよ。もちろん踊りもあるんだけど、踊りだけじゃない。
踊りの手前のところだから、私がやっているのは。
押井 そうなんだけど、たぶん普通の人はちょっと分かんないと思う。
最上 そうか。
押井 芝居の台詞が流れているんだけど、舞台の上は空っぽであるとか、客席も空であるとかさ。あそこだけね、演出の意図が猛烈に入っている。
飯田 たしかに、それは。
押井 演出全開ですよ。
飯田 いちばんあざとく。
押井 面白いんだけど、あそこは普通に……。
飯田 実験的なアート映画に……。
押井 なっちゃっているよね。昔から映画でも演劇でもあったんですよ。舞台の上に灰皿が置いてあって、煙草の煙が流れているだけとか。観客を不在にして演劇をやってみたりとか。観客を舞台に乗っけちゃって、逆に演者は客席から芝居をしてみたり。一時期のポップアートみたいなもんで、試みとしてはいくらあっても構わないんだけど、試みが裏目に出てしまう場合がある。まして世の中に舞踏を認知してもらうための、舞踏をアピールするための映画だというのであれば、再編集をおすすめします。編集するだけだから、そんなにお金もかからないよ。
──映像そのものは?
押井 撮影のクオリティは本当に高いと思った。このままシアターで公開できるクオリティだよ。
──音は?
押井 いまの段階でステレオ2チャンネルですよね?
飯田 はい。劇場で鳴らす音まではまだ作り込めていないなと思っていて、これからの時間を整音とリミックスに費やすつもりでいるんですが。
押井 とりあえず2チャンネルあれば、いいと思いますよ。あのノイズが本作の魅力なので、逆に整音しちゃうと、インパクトが落ちるかもしれない。
──本作は国際映画祭への出品と、2027年の日本での劇場公開をめざしています。
押井 映画祭にもピンからキリまであるから、ちゃんと見極めて応募しなくちゃダメだけど、こういう映画を上映してくれる映画祭はあるはずだし、賞をもらうとか以前の話として、上映作品に選ばれた時点で公式上映作品という勲章は貰えるから、映画祭に出すのはいいことだと思う。映画祭での上映をきっかけに『東京巡礼』を手がけたいと名乗り出る国内外の配給会社もいるはずだよ。
──ドキュメンタリー映画ではないけども、劇映画でもない。ジャンル分けしにくいユニークな映画です。
押井 これが初長編監督作品だとは思えないほど映画としてのクオリティはかなり高いので、だからこそ現行バージョンと、舞踏の魅力を世間にアピールしやすいショートバージョンの2つを用意しておいて、あとは今後の展開に合わせていくのがベストだと僕は思うよ。
(文:鶴原顕央 写真:山岸悠太)
飯田将茂監督が代表を務め、最上和子氏が稽古場を主宰する制作集団ユリシーズHP
https://ulysess.jp/about.html
(執筆者: リットーミュージックと立東舎の中の人)
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