異業種から転職者集まる異色の福祉施設。元美容師、元アパレル店員など移住してでも働きたい理由とは? 鹿児島「しょうぶ学園」
鹿児島県鹿児島市にある「しょうぶ学園」は、ものづくりを通して、知的障がいのある人たちが生きやすい社会を目指す施設。そこで生まれる“アート”は、東京の美術館で展示会が開催されたり、NHKの番組に取り上げられるなど、アール・ブリュット(既存の美術教育を受けていない人が、心のままに表現した芸術作品)として知られる。そして他の福祉施設と大きく違うのは、一般向けに地域に大きく開かれた施設であること。敷地内にレストラン、ギャラリー、べーカリー、ショップを併設しており、ここを福祉施設と知らずに訪れる人も多い。そんな一風変わったしょうぶ学園は、働く人も「ここだから働きたかった」という人がほとんど。
今回は職員の皆さんへ、この地で働き・暮らす理由や、利用者さんたちとの関係などについて伺った。
当初は普通の障がい者支援施設。“好きなように創ってみて”がアートのはじまり
しょうぶ学園は1973年に開設。最初からアート活動に力をいれていたわけではない。当初は、利用者の生活支援や作業指導が中心だった。
「昔は大島紬の下請けや、巾着や布巾をつくっていました。でも、まっすぐ縫えない。縫える人と縫えない人との差が出てくる。 “だったら好きなように縫ってごらん”と声をかけてみたのが始まりでした」と、工房全体のサポートを統括するデザイン室室長の福森順子(ふくもり・のりこ)さんは振り返る。
“何を創ってもいい”――その結果現れたのは、誰一人として同じものは創れない作品。表現したい、その欲求が形になって現れる。計画性がないようにみえて、“その人しかできない”表現。承認欲求とは無縁な、純度の高いアートの美しさに、身近にいた職員を含め多くの人が魅了された。
既製のシャツに縫い手である利用者さんが思いのまま刺繍をほどこした作品。縫い手一人一人の「時間」が縫い込められているような美しさに魅了されたファンは多い(写真撮影/有川朋宏)
利用者さんが自らの表現欲のまま縫った作品を、職員がパネルにして飾るアイテムに(写真撮影/有川朋宏)
それ以来、下請け作業を廃し、木工・陶芸・染め・織り・刺繍・和紙・園芸などの工芸を中心にした利用者の個性を発揮できる環境づくりに転換。 障がいのある人たちが、一方的に世話やサービスを受けるだけの立場から、「創り出す」側になる環境づくりへと変貌した。
自由にこねたり、丸めたり、のばしたりで生まれた土のオブジェ(写真撮影/有川朋宏)
平面、立体、さまざまな絵画造形の作品が生まれる工房。空想上の魚をずっと描く人、幾何学的な同じモチーフを独特のリズムで書き続ける人と、その人だけの“世界”が生まれる場所だ(写真撮影/有川朋宏)
職員が焼いた磁器に利用者さんが手描きした作品は、京都にあるしゃれたホテルでソープディッシュとして使われているほか、しょうぶ学園でも販売している(写真撮影/有川朋宏)
布工房で刺繍作業をする利用者さん(画像提供/しょうぶ学園)
自身もアート活動をする職員。”ここで働きたい”初訪問で直談判
このように、他にはない特色を持つ福祉施設に引かれ、北海道から沖縄まで、県外から「しょうぶ学園だから働きたい」と移住してくる人もいる。
何名か、「しょうぶ学園」で働く方々を紹介しよう。
井上真吾(いのうえ・しんご)さんは、生まれは鹿児島県だが、千葉県育ち。もともと大阪で音楽やアート活動をしていた経歴を持つ。祖父母は鹿児島におり、仕事を探していた時期に、見学ツアーで初訪問。すっかりしょうぶ学園に魅了され、「ここで働きたい」と即直談判をした。
「驚かれました(笑)。“君が絵を描くんじゃないんだからね。利用者さんの作品をフォローするための仕事だからね”と念を押されましたけれど(笑)」
現在は6年目。介護支援の業務のほか、職員による、部署の垣根を越えて活動する「エンターテイメント部」にも参加。普段アート活動をしていない利用者さんや直接関わらない職員も巻き込み、音楽や朗読、演劇などをボーダーレスな形で表現する試みを模索している。
エンタメ部の一環として、利用者が楽しみにしているカラオケ大会での司会を井上さんは担当(画像提供/しょうぶ学園)
アートを通して利用者さんからその姿勢を学ぶことも多く、自身の表現活動にも影響を受けているという井上さん。
「“認められたい”、“これで食べていきたい”なんていう欲求と無縁なんですよね。“毎日コンスタントにここまでやるんだ”と感動しますし、自然体でいい意味で力が入っていない。これってすごく難しいこと。表現するときにどうしても欲が出てしまうものだから。本当に無心な創作に感化されます」
井上さん(写真左)。入職当初は入所施設で食事や入浴の支援をし、工房を経て、再び介護全般の業務に携わっている(写真撮影/有川朋宏)
“ここなら楽しく働ける”。離職率の低さは地元で“知っている”から
しょうぶ学園は離職率が10%程度と低い(厚生労働省「雇用動向調査」によると令和5年の医療・福祉業界の離職率は14.6%)。それは、知り合いから実際の評判を聞いていたり、地元が近ければ実際に何度も訪問できるため、就職後のギャップが少ないからだろう。
元・美容師という経歴を持つ中囿知子(なかぞの・ともこ)さんは、ここで働く友人から評判を聞いて転職をしたひとり。
現在は入所施設の支援員をしており、直接アート業務には関わらないが、「アートで思うままに、自分を表現したい」という職員側のマインドが、生活の場面でも継承されていると感じるそう。
「本当は何もかもルールを決めて、それを守ってもらうほうが職員は楽です。でも、ここは利用者さんのやりたい気持ちやこだわりをできるだけ尊重したいという雰囲気が、アートの工房だけでなく、生活する場所でもあるように思えます。もちろん、そのためには、支援員は先回りして考える必要もあります。大変ですけど、利用者さんが自分のことを理解してくれていると認識し、“何かをお願いしたいときは中囿さん”みたいに頼ってくれると本当にうれしいです」
福祉美容の世界に興味があり、この世界に飛び込んだ中囿さん。「いつか施設内に小さな美容院なんか始められたら……」(写真撮影/有川朋宏)
異業種からの転職も多い。「利用者さんが一生懸命働く姿が自分の仕事のモチベーションになる」
しょうぶ学園では異業種からの転職、福祉を専門に学んでない人も多い。現在レストランでシェフとして働く内田悠孔(うちだ・ゆうき)さんは、前職はセレクトショップの販売員だ。
「30代を前に、まったく違う業界で働いてみたいと考えていた時に、頭に受かんだのが、しょうぶ学園でした。有名だったんです。セレクトショップの同僚やお客様から、”しゃれたアートだったり、音楽隊を組んでフェスに出たり、面白いコトをしている場所があるよ”と聞いていました。そして、3回目に訪れたとき、”ここで働くという選択肢はどうだろう”って思うようになりました」
レストランでは、働く利用者さんをフォローする場面もあるが、むしろ彼らの存在が、自分を頑張らせてくれていると言う。
「彼らは弱音を吐かないんですよ。一生懸命働く姿は、“みんなが頑張っているから、僕も頑張ろう”という気にさせてくれるんです。お客さんとのやりとりを楽しんでいる様子を見ると、なんか心が温かくなってくるんですよ」
現在シェフ業は10年目。「今や、ここで働く利用者さんの親みたいな気持ちなんですよね。彼らが安心して働き続けられる環境を守りたいという気持ちが強くなっている気がします」(写真撮影/有川朋宏)
レストランの厨房。利用者さんは食器洗い、掃除、調理補助などを行っている(写真撮影/有川朋宏)
“クリエイティブ”ד福祉”――「他にはない個性が私が長く働く理由です」
こんなふうに「クリエイティブ」と「福祉」の両方を得られる仕事環境はなかなか難しい。地方なら、なおさらだ。
もともと印刷会社に勤めていた福景子(ふく・けいこ)さん。仕事は面白いけれどハードで、転職を考えていたところ、高齢者向け福祉施設に勤めていた母から「福祉の仕事はどう?」とアドバイスを受けていた。
「でも、福祉に対して漠然とネガティブなイメージがありました。正直、クリエイティブな仕事への未練もありましたし。そんなとき、友人に誘われてしょうぶ学園のレストランで食事をしました。“ああ、こんな心地いい福祉施設があるんだぁ”と感動したんです。
当時、別の福祉施設のチラシのお仕事を担当したこともあって、その2つが結びついて、”こんな場所なら私も働きたい。私のこれまでの仕事もお役に立てるかもしれない”って思ったんです。“すてきな場所”がたまたま障がい者支援施設なだけ、といった感じでしょうか。ここでなければ、福祉の世界に飛び込んでみようとは思わなかったと思います」
福さんは、社会福祉士と介護福祉士の資格を取り、現在は「就労継続支援B型事業所」に自宅もしくはグループホームから通いで働きに来ている利用者さんたちのサポート全般を行っている(写真撮影/有川朋宏)
客として通っているうちに職員に。「すっかりファンになったから」
地域に開かれた施設であるがゆえに、常連さんがそのまま職員になるケースもある。
デザイン室で工房のサポートをしている酒匂美智代(さこう・みちよ)さんは、まさしくそう。レストランやショップに通ううちに、学園の活動内容やアート作品に感銘を受けて、就職した。
「すっかりファンになったんです。作品全てが手作業で完成されているところがいまだに素晴らしいと感動しています。自然豊かで開放感があり、利用者がとても自由。働いてみると、職員もその人、その人の個性を尊重してくれ、自由な発想をさせてもらえるところもうれしくて。家族の都合により一度退職しましたが、やはりココで働きたくて、再就職しました」
酒匂さんと、お散歩中だったグループホームの利用者さん。「隅谷さんは、手描きの文字がアート。職員の名刺の名前を手描きで書いてくださっているんです」(写真撮影/有川朋宏)
職員と利用者はアートと社会をつなぐパートナー
いろんな職員さんたちの話を通して感じたのは、施設の利用者さん同様、職員たちも学園の仕事を通じて“自己実現をしている”という点だ。
例えば、布と糸によるアート活動「nui project」では、「まっすぐ縫う」といった技術的な完成度は求めない。一見、ぐちゃぐちゃにしか見えない作品もある。利用者それぞれの表現したい衝動と創作の行為の中から、その人ならではの美しさや面白い部分を発見し、それを作品として昇華させている。
そして、これらの活動に欠かせないのがコーディネーター役の「職員」の存在だ。金具をつけてアクセサリーにする、利用者が思いのままに刺繍したものに手を加えバッグにする。
絵画の工房では、利用者が描いた絵をもとにシルクスクリーンでTシャツやエコバッグにしたり、土の工房では、職員が焼いた磁器に利用者が一つ一つ手描きをする。
「職員が教えて、利用者が教わるのではありません。むしろ逆。職員は利用者の足りない部分をサポートするために、新たなスキル、例えば、裁縫や陶芸、木工などの技術を学ぶんです。一部は美大出身者もいますが、専門知識のいる職員の多くは、入職後にこれらの技術を習得しているんです」(福森伸施設長)
布の工房にて。利用者さんが思い思いに縫った作品をアレンジして、バッグなどの商品にするのは職員の仕事(写真撮影/有川朋宏)
利用者さんが描いた絵をシルクスクリーンでTシャツにする職員。最終的な形にするまで学園内で完結させることもポリシー(写真撮影/有川朋宏)
楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)を材料に和紙を漉く職員は元郵便局勤務。この工房で技術を磨いた。この和紙を用いて利用者さんが平面、立体の作品を創り出す(写真撮影/有川朋宏)
外部のプロフェッショナルに頼らず、学園内で全てを完結させることを目指しており、こうした試みは、職員もクリエイティブを発揮できる場面が多いということ。それは、モチベーションにもつながる。中学生の職場体験実習をしょうぶ学園で行い、その活動体験から高校卒業後に就職した職員がいるほどだ。
「ここでは、利用者の持つストレングス(強み)を最大限に生かし、社会に溶け込ませる方法を模索するのが私たち、職員の役目。“保護する人と保護される人”という関係性ではなく、共にもの創りをする対等な関係でなんです」(福森施設長)
「障がいのある人々が自分らしい生き方をフィーチャーできる社会となるために、“福祉”の概念そのものが変わったらいいと思い続けています」と福森伸施設長(写真撮影/有川朋宏)
過疎化が進む地方において、他県から働きに移住してくるほどの魅力的な職場はいわば救世主。しょうぶ学園はまさしくその好例だろう。障がい者支援施設の枠を超え、「何か面白そうなことがある場所だ」と、訪れる人々だけでなく、働く側も思っているからだ。過疎化、高齢化、福祉業界での人手不足など、地方における課題のひとつの挑戦ともいえるかもしれない。
●取材協力
しょうぶ学園
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