義家族と近居を選んだ私の後悔…スープより早く冷めた心の距離

「近くに住めば、助け合えるし安心でしょ?」

それは、義母のひとことから始まりました。

子どもが生まれるタイミングでマイホームを購入しようとした私たち夫婦に、義母は提案してきたのです。

「ちょうどあそこの土地が空いてるの。あそこなら歩いて5分よ」

その時は何かあったときに頼れる距離くらいの感覚で、「まあ、悪くないかな」と思ってしまったのです。

まさか、この5分が心の距離を縮めるどころか、どんどん冷やすことになるなんて…

最初はありがたかった「お手伝い」

最初の頃はむしろ、ありがたいと思っていました。

「おかず多めに作ったから持ってきたわよ」
「ベビーカー重たいでしょ?一緒に行ってあげる」

そうやって何かと気にかけてくれる義母に、優しいなと感謝していたんです。

でも、次第にその優しさが、少しずつ重たく感じるようになっていったんです。

「昨日はどこ行ってたの?車なかったから」
「今日は洗濯物が遅いわね、体調悪い?」

何気ない会話に見えても、義母が私の生活を細かくチェックしているようで、心がざわつきました。

「家族だから」「近くなんだから」

Because-were-family

もちろん、義母に悪気がないことは分かっています。

でも、それでも限界はありました。

「ちょっと○○借りていくね〜!」
「○○さん(私の母)もこっちに来てるなら、私も混ざっていいかしら?」

事前の連絡もなく突然訪問されたり、私の実家の家族との時間にまで踏み込まれたり…。

プライバシーという言葉がどこかへ飛んでいったような毎日。

私が何かを断ると、夫にはこう言っていたそうです。

「Y子さん、最近ちょっと冷たい気がするのよね」
「私、何か気に障ることしたかしら?」

悪者にされるのは、いつも私だったのです。

夫に訴えても…

当然、夫にも何度か相談しました。

でも返ってきたのは、
「悪気はないんだから」
「母さんは助けようとしてるだけだよ」
「もう少し大目に見てやってよ」

まるで私の心が狭いみたいで嫌になります。

家族仲良くが理想なのは分かるけど、それを維持するために私ばかりが我慢するのは違うと思いました。

「また来たの?」と、思ってしまった自分がイヤで…

ある日、娘の発表会が終わって帰宅したときのことです。

やっと家でゆっくりできる…そう思った矢先、ピンポンと鳴るチャイム。

時計を見ると、発表会からまだ30分も経っていませんでした。

「今、玄関の近くまで来てるんだけど、入っていい?」

もうその言葉に心のシャッターが下りそうでした。

「また来たの…?」と、真っ先に思ってしまった自分がイヤでたまりませんでした。

私は、自分の家に帰ってきたはずなのに。

どうしてここまで気を張らなきゃいけないんだろう…。

私が出した答えは「少し離れること」

その日の夜、私は夫に静かに話しました。

「私はこの家が落ち着ける場所じゃなくなってきてる。
子どもにもママ、また疲れてるって言われたの。これって普通じゃないよね?」

最初は夫も戸惑っていましたが、私の涙を見て、ようやく気づいたようでした。

それから数か月後、私たちは義実家から車で30分の場所に引っ越すことに決めました。

まとめ:近すぎると、見えなくなることもある

★ 義家族との近居は、最初の線引きが本当に大切
★ 家族だからこそ、遠慮や距離が必要な場面もある
★ 「自分の心の安定」が家族円満の土台になる

近くにいるから助け合える…確かにその通りです。
でも、それは「お互いが自立していて、心の余裕がある」ことが前提。

私が本当に後悔したのは、「物理的な距離」ではなく、「心の距離」が崩れてしまったことでした。

今の私には、安心できる家があり、義母とのほどよい距離感もあります。

もう、スープより早く冷めるなんてこと、きっとないと信じています。
※本コンテンツのテキストの一部や画像は、生成AIを使用しています。

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