複雑な時空規模で描かれるディストピアSF〜エミリー・テッシュ『宙(そら)の復讐者』

『宙(そら)の復讐者』は、イギリスの新鋭エミリー・テッシュの長篇第一作で、2023年に刊行され、翌24年にみごとヒューゴー賞を射止めた。活劇たっぷりの本格宇宙SFにして、きわめて現代的なディストピア小説でもある。とくに現代的なのはフェミニズム的なテーマであり、それは物語終盤において、それまでの物語に織りこまれたいくつもの伏線を回収しながら急速に前景化される。力強い展開は息を呑むばかりだ。ちなみに本書は、受賞は逃したものの、アーシュラ・K・ル・グィン賞の候補にもあがった。同賞の条件は、「ル・グィンの作品の中核をなすコンセプトやアイデアを反映している」ことだ。
メインの舞台となるのは、小惑星を基盤に四隻の宇宙戦艦を組みあわせ急ごしらえで建造された〈ガイア・ステーション〉。数十年前、銀河系に進出した人類は、異星種族連合体から危険な存在と見なされ、超テクノロジーによって滅亡させられた。しかし、人類の残党が〈ガイア・ステーション〉に籠もり、捲土重来を期しているのだ。
主人公のヴァルキア(作中ではもっぱらキアと呼ばれる)は、ここで生まれた。現在十七歳。遺伝子強化された戦闘種であり、ステーションのファシズム的規範を刷りこまれて育ち、異星種族連合体への復讐心に燃えている。同年代の娘たち六人とスパロー寮で、日々の訓練に励み、〈ガイア〉の職務への辞令を待っている。職務には、管理部門、農場部門、システム部門……などさまざまあるが、キアが望んでいるのは戦闘部隊への配属だ。自分は訓練でも能力を発揮しており、自信も矜恃もあった。また、子どものころから〈ガイア〉の実質上のトップであるジョール司令官に後見してもらっており、彼に認められたいという気持ちも強い。
しかし、彼女に下されたのは、出産を担うナーサリー部門への配属だった。キアは表向きは人類の計画的な遺伝子維持が大切だと言いながら、感情的にはナーサリーを見くだしており、この配属に屈辱を覚える。〈ガイア〉のディストピア性は、物語がはじまったときから濃厚だが、ナーサリーについてのくだりでは、体制による生殖の管理、女性の資源化、さらにそれを女性であるキアが内面化しているという、全体主義のおぞましさが強烈だ。
ちょうど同じタイミングで、キアの双子のきょうだいであり、心から信頼していたコヨーテ寮のマグスが、戦闘部隊への配属を拒否して〈ガイア〉を離脱する事件が起こる。彼はキアには何も告げていなかった。じつはキアとマグスの姉アーシュラも、七年ほど前に〈ガイア〉から抜けだしていた。もちろん、〈ガイア〉を出ることは容易ではなく大事件だ。そこに〈ガイア〉の闇がかかわっていることが、のちに明らかになる。
キアは、マグスと交流のあったシステム部に所属する、性格のひねくれた天才アヴィの助けを得て、マグスは脱走したのではなく、秘密の任務を負っての行動だったことを突きとめる。
キアは任務にともなう不可避な危険からマグスを救うため、アヴィを巻きこみ、捕獲されていたマジョ人(異星種族連合体の一種族)のイソを解放し、イソが乗っていた宇宙船によって〈ガイア〉を脱出。向かうは、かつては人類の植民地であり、現在は人類と異星人がともに暮らす惑星クリソテミスである。
クリソテミスでは意外な出会いがあり、キアはかつての人類と異星種族連合体とのあいだに起こった抗争の背景を知ることになる。〈ガイア〉に籠もっている人類の残党は、歴史改竄の退行的愛国ロマンチシズムに冒されているが、一方の異星種族連合体は、善意のナイーブ・テクノユートピア主義が産み出した悪夢のAIシステム(理想抜きの中立という虚妄)に身を委ねているのだ。
なんだか、先の参議院選挙の結果を知っている身としてはげっそりしてくるのだが、もちろん、作者テッシュは日本の政治状況ではなく、人間がたやすく陥ってしまう愚昧を物語に落としこんでいる。物語の少し先では、もし人類が異星種族連合体との戦いに勝利していたとしたら、いかなる社会が築かれたかという別な世界線も提示されるのだが、それは「権威主義的ポピュリズムの要素を含む軍事化された技術官僚寡頭制」と表現される。これまた、どこかの国で顕在化しているディストピアではないか。
さて、キアが異星種族連合体のAIシステムと直接に接触するのは、物語が約半分にさしかかったあたり。〈叡智(ウィズダム)〉と呼ばれるそのAIシステムは強大な力を有し、時間を操作することさえできる。その力があらわになり、そこからキアは現実に別な現実が重ねあわされる体験や、世界線をたどり直すことで惨劇を繰りかえす事態へ入っていく。このあたりはフィリップ・K・ディックというか、むしろ、日本アニメが得意とする抑鬱的な時間ループのようである。
キアは嘆く。「何度も何度も、あまりに多くの命が失われる。百四十億の人々、二十兆の人々、全宇宙の人々が死ぬ。あまりに多すぎる」
ただし、時間ループはこの物語の本題ではない。そこを経て、キアがひとすじの可能性を見いだす過程が重要だ。つまり〈ガイア〉へと帰還し、スパロー寮の六人の同僚をはじめとする、何人もの人たちとの関係を再構築し(彼らのあいだがらは単純な友情ではなくいくつもの葛藤に満ちている)、〈ガイア〉が積みあげてきた欺瞞を暴き、彼女自身が内省的に成長していく。
キアは決してヒロイン的なキャラクターとして描かれておらず、ときとして怨嗟・嫉妬・怯懦・卑劣な感情にとらわれもする。それにも対峙しながら、大局的な困難に立ちむかいつづけるからこそ、物語は大きなカタルシスを迎える。
(牧眞司)

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