「ひとり親、ふたり親ではなく、7人親」で育てる。ひとり親世帯に寄り添い、制度では補えない隙間を埋める「じじっか」とは 福岡県久留米市

「ひとり親、ふたり親ではなく、7人親」で育てる。ひとり親世帯に寄り添い、制度では補えない隙間を埋める「じじっか」とは 福岡県久留米市

「実家よりも実家」の意味を込めて名付けられた「じじっか」は、ひとり親世帯を応援する居場所だ。まさに実家のようにくつろいで、何をして過ごしてもいい。金土日の週3日オープンし、食事も提供される。現地を訪れると、子どもたちがそれぞれ本を読んだりゲームをしたり駆け回って遊んでいた。さまざまな事情を抱えた親子が集まるが、この場を立ち上げた女性3人も、自分の子どももよその子と一緒に、何人もの親で面倒を見合い、子育てする経験をしてきた人たち。だからこそ、訪れる人はほかでは言えない悩みや本音を話すことができるという。ここからひとり親世帯の親子を支援するさまざまな取り組みが生まれ、いま行政からも頼られる存在になっている。福岡県久留米市の現場を訪れた。

じじっかの中。子どもたちは思い思いに過ごしている(撮影/山辺学)

じじっかの中。子どもたちは思い思いに過ごしている(撮影/山辺学)

「ひとり親、ふたり親ではなく、ななおや(7人親)」で育てる

土曜日の午後、福岡県久留米市の「じじっか」を訪れると、まず子どもの数が多いことに驚いた。倉庫のような広いスペースにはソファやテーブルが置かれ、居心地のよい空間になっている。幼い子どもから中学生ほどの子どもたちが思い思いに過ごしている。のんびりおしゃべりする子もいれば、ゲームに興じる子、勉強に向き合う少し年上らしい子といろいろ。

テレビに見入る子どもたち(撮影/山辺学)

テレビに見入る子どもたち(撮影/山辺学)

ひとり親と子ども向けの子育て拠点を掲げるが、大人も子どもも一人で訪れることもできる。金土日の週末、朝10時から夜20時までオープン。お昼と夜、無償で食事がふるまわれるほか、必要に応じて食事の配達も行う。子どもが一人でもじじっかへ来られるよう、車のない家庭には送迎もする。現在、300世帯以上が「ファミリー婚姻届」(略称ファミ婚届)を出して利用登録している。

婚姻届けを模した「ファミ婚届」。久留米市だけでなく鳥栖市やうきは市などから訪れる人も(撮影/山辺学)

婚姻届けを模した「ファミ婚届」。久留米市だけでなく鳥栖市やうきは市などから訪れる人も(撮影/山辺学)

じじっかを運営する一般社団法人umau.を立ち上げたのは、代表の中村路子(なかむら・みちこ)さん、副代表の樋口由恵(ひぐち・よしえ)さん、食事づくり担当の“おかん”こと田村貴美子(たなか・きみこ)さんの3人。中村さんは話す。

「私自身、離婚して2人の子どもを抱えていたころ、朝から晩まで寝る間も惜しんで働いていました。それまでの美容の仕事は辞めて、飲食店で働き始めて。子どもを保育園に預けて仕事へ行って、夕方迎えに行ったらそのまま子どもを連れて店に戻り、夜遅くまでというぎりぎりの生活で。そんなとき、保育園で出会った樋口と晩ご飯のつくり合いをしたり、子どもの面倒を見合ったりし始めたのが、じじっかの原点です。そのうちに仲間が増えていきました」

(撮影/山辺学)

(撮影/山辺学)

2階建ての建物の隣が「本家」と呼ばれる部屋。大人数分の調理ができるキッチンと居間がある(撮影/山辺学)

2階建ての建物の隣が「本家」と呼ばれる部屋。大人数分の調理ができるキッチンと居間がある(撮影/山辺学)

みんなで共に育てる感覚

ひとり親同士で助け合う中、ある母親の言葉が中村さんの耳に残った。

「『クリスマスが寂しい』と言ったお母さんがいたんです。子どもが欲しがるものは今買う余裕がないし、ほかの子が目を輝かせて楽しみにしているようなクリスマスにしてあげられないと。それを聞いて、何とかしてあげられないかなと思いました」

そんな母親たちの願いをかなえるために、中村さんたちはumau.の前身となる「ママを一人にしない母子家庭団体『SWAK』」を立ち上げる。ドレスを一度も着たことがないというママのために貸衣装屋を借り切ったり、お小遣いを稼ぐためにみんなでイベント出店をしたり。平日は働き、週末にSWAKの取り組みをライフワークとして続けてきた。

一般社団法人umau.代表の中村路子さん(撮影/山辺学)

一般社団法人umau.代表の中村路子さん(撮影/山辺学)

一方、みんなで子育てしているとさまざまなことが起こった。不登校になる子がいたり、万引きをする子も。自分の子どもでなくても、大人みんなで叱ったり褒めたりしあううちに、みんなで一緒に育てる感覚が芽生えていったという。
自分の親には話せないことも、時として、斜めの関係の大人、例えば母親の友人や親戚のお兄ちゃんになら話せることがある。それが子どもにとっては風通しになり、救いになることもある。これが今じじっかの掲げる「ひとり親、ふたり親ではなく、7人親へ」の方針につながっている。

「じじっか」では親への就労支援や、個別に子どもの学習指導も行っている(撮影/山辺学)

「じじっか」では親への就労支援や、個別に子どもの学習指導も行っている(撮影/山辺学)

「ひとり親サポートセンター」のプロポーザル(行政や団体が事業を委託する際、提案内容をもとに受託者を選ぶ方式)に挑戦するのをきっかけにして法人化を決意。2020年、合同会社umau.を立ち上げる。プロポーザルは通らなかったが、同じ年に「じじっか」をオープンさせた。2020年10月には、久留米市の「支援対象児童等見守り強化事業」に採択される。

「じじっか」とは「実家よりも実家」の意味(撮影/山辺学)

「じじっか」とは「実家よりも実家」の意味(撮影/山辺学)

制度ありきではなく、個別に対応

じじっかの取り組みは、まず、フードバンクや食材の宅配から始まった。子ども服や生活用品も配布。ただ無償で提供するだけでは、もらって当然と思う親が出てくる懸念もあるため、何らかの労働やコミットをしてくれた人に渡すしくみをつくっている。
見せてくれたのは「りりぼん」という、古着を裂いてよってできるひも。みんなでりりぼんをつくり、バッグや草履の材料にしている。

古着を裂いてよってつくるひも「りりぼん」(撮影/山辺学)

古着を裂いてよってつくるひも「りりぼん」(撮影/山辺学)

「りりぼん」でつくったバッグ(撮影/山辺学)

「りりぼん」でつくったバッグ(撮影/山辺学)

「このりりぼんを1m編んでくれたら品物一つと交換できるようにしています。ほかにも何か提供するときにはりりぼんと交換といった具合に」

じじっかの一部には、子ども用の服がずらりと並んでいるコーナーがあった。これらの服もりりぼんと交換になる。

じじっかの一部には洋服やランドセルが並んでいた(撮影/山辺学)

じじっかの一部には洋服やランドセルが並んでいた(撮影/山辺学)

食品や日用品もりりぼんと交換(撮影/山辺学)

食品や日用品もりりぼんと交換(撮影/山辺学)

ひとり親を亡くした子どもがいれば、中村さんたちはその子の身の振り方を一緒になって考える。自信を失くした母親の相談にのったり、虐待されている子どもを数日間預かることも。中村さんは子どもたちからも「路子(みちこ)」と下の名で呼ばれていた。

一般的に、こうしたひとり親世帯向けの公的な支援サービスは、制度が先にあり、条件にあてはまる対象者に活用される。だがじじっかでは、驚くことに、個別の悩みや相談に合わせて、その都度、解決策を見出していく。
一人ひとりが置かれた状況はさまざまで、必ずしも既存の制度に当てはまるとは限らないからだ。そのために新しいしくみを整えることもある。
例えば、ある小学生が野球に通い始めたいと言い出したとき、母親は3000円の月謝が支払えないと悩んでいた。そこでじじっかが3000円の月謝を支払う代わりに、じじっかを通して入る細々した仕事、ポスティングや外装清掃など単発のアルバイトを母親にしてもらうしくみを整えた。じじっかで送迎もサポートし、母親には3000円分の働きをしてもらう。

「そうした細切れの仕事はやりたい人が多いんです。本業があるので自分で仕事を探してくる、というところまではなかなかいかない。そこでじじっかが仕事を請け負ってみんなでやる」

もちろんそうしてできたしくみを、応用できる場合はする。今度はダンスを習いたいという不登校の中学2年生の女子にこのしくみを活用。ずっと習いたかったダンス教室に通い始め出したのちに、その子は登校し始めたのだそうだ。

じじっか本家奥のルーフガーデン(撮影/山辺学)

じじっか本家奥のルーフガーデン(撮影/山辺学)

公的制度では補えない0.5mmの隙間を埋める

なぜ、そこまでできるのか。中村さんにそう問うと、こんな答えが返ってきた。

「ひとり親世帯向けの公的制度はいろいろあるんです。経済支援や、就労支援、自立支援など。でも条件があって、実際には使いづらかったり、微妙にニーズとの間にズレがある。私たちはそれを“0.5mmの隙間”と呼んでいます。私も2人の子どもを抱えて朝から晩まで働いていたころ、市の子育て支援サービスに『金曜日の17〜19時限定で、家にお邪魔して料理をつくるサポートができます』と言われました。その間、お母さんは息子さんとゆっくりしていてくださいと。いやいやそんな時間に家に居られるなら苦労していないよと。飲食店で金曜の夕方は書き入れ時で帰ってはいられなかったので」

umau.を立ち上げるとき、中村さんたちは「私たちで、この0.5mmの隙間を見つけよう」と決めたそうだ。当事者の私たちだからこそ「隙間」を見つけることができるのではないか、と。

ほかには例えば、公的な制度の限界を、どんなところに感じるのだろう。

「最低限生きていくための生活費は何とかなっても、何かが足りないと思うんです。一般的な家庭であれば、将来のために貯蓄をしようとか、子どもにいろんな世界を見せてあげたいから旅行もさせたいとか、極めて普通ですよね。ひとり親も美容院にも行きたいし、たまにネイルもしてそれが心の余裕を生むこともある。でもそれはひとり親だと全部ぜいたくになっちゃうんです。例えば、制度で生活費を5万円もらっても、かつかつの生活費に消えるだけでは心の隙間は埋まらない。自分から頑張ろうという意識にはつながりません」

そうした「ぜいたく」と世間に言われてしまうことが「何かを始めたい」と願う気持ちや前向きに取り組む希望につながり、生活全体を好転させることがある。
ほかにも、子どもが学校で何か問題を起こしたとき。学校に呼ばれる母親は、一人で教師やソーシャルワーカーに囲まれ責められる構図に陥りがちだ。そんなとき、じじっかのスタッフが母親に付き添って学校へ出向くこともある。

少し間をおいて、中村さんはこう答えた。

「大げさにいえば、ひとり親への“無条件の愛”がこの社会のどこにもないってことかもしれません。法律で最低限命を助けることはできますけど、制度では心に寄り添いきることは難しいと思いますから」

(撮影/山辺学)

(撮影/山辺学)

その点、じじっかには他人の子どもを本気で叱ってくれる大人がいる。目先のことも将来も一緒に考えてくれる人がいる。居るだけでほっとできる。「実家よりも実家」にはそうした多くの意味が込められていた。

「本当にいろんな立場の人が来るんです。伴侶と死別した方、虐待を受けて逃げてきた方、未婚で子どもを産んだ方などさまざまな事情を抱えています。どれほどネグレクトでも生活が荒れていても責められることのない居場所が必要で。ここで小さな仕事をしながら前向きに頑張ろうって思ってもらえるようになったらいいなと」

現在、umau.のスタッフの多くも母子家庭の親。当事者だからこそ通ってくる人たちから本音を聞くことができる。
「私らにもそういう時期があったんよ。でもみんなで何とかやってきたんよ。だけん一緒にがんばろうやって言われたら、何とか前向きに生きていこうって気になりますよね」

通ううちにスタッフに心を許し、経済事情や家庭環境を隠さず話す人が多い。そのため最近は市の職員に代わり、じじっかが頼られるケースも増えている。

子どもたちとのやりとりからは、全幅の信頼を置かれている様子が伝わってきた(撮影/山辺学)

子どもたちとのやりとりからは、全幅の信頼を置かれている様子が伝わってきた(撮影/山辺学)

じじっかのスタッフを務める女性と中学生の娘(撮影/山辺学)

じじっかのスタッフを務める女性と中学生の娘(撮影/山辺学)

「3人4脚プロジェクト」とは?

ひとり親や子どもに対して「いまこれが必要だ」と考える支援を、助成や寄付を得ながら、都度プロジェクトをつくり、実践している。例えば2022年から始めた「3人4脚プロジェクト・じぶん流計画」もその一つ。初年度は休眠預金を活用した制度で行われ、2年目以降は「なな親」と呼ばれる支援者を募って体制を組み、若者のチャレンジを応援している。

「ひとり親で育つ子どもって、親の意志をそのまま受け継いでいるケースが多いと気付いたからです。親子2人で過ごしているとどうしても閉鎖的な環境になりがちで、お母さんが話すことをそのまま子どもが言うんですね。それって本人の意思じゃないことが多い。それも人の悪口だったりネガティブな内容だったりすると、こんなに悲しくて情けないことはないなと」

子どもから30代を対象に、各自がやりたいことを一年かけて実現する後押しをする。その過程が、意思を育むトレーニングになる、そんなプロジェクトだ。一人につき、じじっかのスタッフ2人が伴走し、毎月一度面談をしながら進めていく。どれほど小さなことでも「人とは比較しなくていい、自分らしくあればいい」という意味をこめて「じぶん流計画」と名付けた。化粧がうまくなりたい、eスポーツプレイヤーになる、ワンマンライブなどさまざまなプロジェクトが挙がった。

「なな親」として現在13人が支援をしてくれている。なな親にはNPOの代表や学校教師、大学教授などこうした分野に関心のある人が多い。なな親は毎月5000円の支援金を出し、月に一度若者のプレゼンを受けて都度アドバイスを行う。プレゼンでOKが出れば、参加者は一人3万円の活動費を使うことができる。年度末には終了式が行われる。初年度は15〜39歳を対象に43人、2年目以降は人数を減らして15〜25歳の10人前後が参加した。

このプロジェクトが「驚くほどよかった」と中村さんは話した。途中で挫折した子もいるが、目に見えていくつもの成果が表れたのだそうだ。

「例えば子育てしながら工場で働いていた30代の女性が、自分の小さいころの夢は保育士やったと言い出して。ずっと生活のために工場で働いてきて思い出しもしなかったんだと思います。対話を繰り返すうちに、保育士になるための道を歩み始めました。仕事を保育補助に切り替えて児童指導員になって、2年の保育の実績があれば国家資格を受けることができる。もうすぐその2年目が終わります。ほかにも不登校で全く人に会えなかった中3の子が、最後にプレゼン資料までつくって自分のイラストをみんなに発表して、高校の入学も決めて。最初から考えると、そんなことができる子じゃなかったわけです」

(撮影/山辺学)

(撮影/山辺学)

自分のやりたいことにじじっかの担当者が伴走してくれる。まず学校の集団教育の中ではできないことだろう。一つの成功体験が次につながることもある。一方で、一人だけのプロジェクトではなく、他にも同じように走っている子がいる存在が横目に見えるのもよいという。

「3人4脚プロジェクト」の面談のようす(提供:umau.)

「3人4脚プロジェクト」の面談のようす(提供:umau.)

「3人4脚プロジェクト」の修了式(提供:umau.)

「3人4脚プロジェクト」の修了式(提供:umau.)

「3人4脚プロジェクト」の発表会が掲載された新聞記事(提供:umau.)

「3人4脚プロジェクト」の発表会が掲載された新聞記事(提供:umau.)

ルール決めから自分たちで

取材で訪れた日、去年のじぶん流計画から生まれた「ゲーム部」の第1回目が開催されていた。
高校2年生の田中親(たなか・ちかし)さんの「eスポーツプレイヤーになりたい」という計画の一部で、本人がゲーム配信を行うだけでなく、年下の子どもたちも含めてみんなが参加できる「ゲーム部」にして活動するという。田中さん本人にこの開催理由を聞いてみた。

「じじっかのスタッフにゲーム部やってみたらって持ちかけられたこともあって。自分も学校に行けていない時期にゲームに助けられたから。みんなでゲームして、一緒に話せる場をつくれるならそれもいいなって」

「じぶん流計画」でゲーム部を開催した高校2年生の田中親(ちかし)さん(撮影/山辺学)

「じぶん流計画」でゲーム部を開催した高校2年生の田中親(ちかし)さん(撮影/山辺学)

じじっかから歩いて10分ほどの開催場所は、思いがけず趣のある日本家屋だった。玄関戸の上に「ゲーム部」の看板が掛けられている。

ゲーム部の開催場所となった家(撮影/山辺学)

ゲーム部の開催場所となった家(撮影/山辺学)

玄関には「ゲーム部」の看板が掛けられていた(撮影/山辺学)

玄関には「ゲーム部」の看板が掛けられていた(撮影/山辺学)

場所を提供したのは、なな親の一人、執行明久(しぎょう・あきひさ)さん、67歳。執行さんに支援の理由を聞くとこう話してくれた。

「定年後、いくつかの市民団体にちょこちょこ関わる中で、じじっかのうわさを聞いたんです。見学に行ってすぐに“なな親”になりました。裕福ではありませんが、月5000円程であれば何とかなりますし、実の親だけじゃなく地域の大人で育てていくという主旨に賛同したんです。世代的にじいちゃん、ばあちゃんは暇だし、私もその一人として地域の孫世代を育てていくのを支援したいと」

なな親の一人、執行明久(しぎょう・あきひさ)さん(撮影/山辺学)

なな親の一人、執行明久(しぎょう・あきひさ)さん(撮影/山辺学)

この日、ゲーム部が行われた家は執行さんの生家。1階は「たまり場」と称して、月に一度ほど知人を招きお茶会を開いていた。この2階をゲーム部に貸すことに。2階に上がると、小学生から高校生までそれぞれが思い思いにゲームに興じていた。

開催にあたって、執行さんは田中さんたちにルール決めから任せたという。家の使い方、してはならないことなどを決めてもらい、ゲーム機の購入は執行さんが寄付をしたという。「お酒を辞めたので、それで浮いたお金です」と笑っていたが、あれこれ口出しをせず、できるだけ子どもたちに任せているといった様子だった。

2階では皆ゲームを楽しんだりしゃべったり楽しんでいた(撮影/山辺学)

2階では皆ゲームを楽しんだりしゃべったり楽しんでいた(撮影/山辺学)

この日は20人近くが集まった(撮影/山辺学)

この日は20人近くが集まった(撮影/山辺学)

昨年、なな親として伴走してきた期間は、楽しかったという。

「毎月、進捗(しんちょく)報告があってオンラインなどで子どもたちのプレゼンを聞くわけです。どこまで進んでいるだろうと不安になるし、何とコメントしたらよいかとこちらもすごく緊張します。でもできないことも含めて進捗を見ているのは楽しいんですよね。」

元は県職員。定年退職後、大学にも通っているという執行さん(撮影/山辺学)

元は県職員。定年退職後、大学にも通っているという執行さん(撮影/山辺学)

「じぶん流計画」に参画して

昨年一年かけて「じぶん流計画」に参加した、高校3年生の山口力鷹(やまぐち・りきたか)さんと、2年生の田中親さんが話を聞かせてくれた。まず、山口さんはこう話した。

「当時、自分は母を亡くして兄のところに行くタイミングで。じじっかの人に、兄のところに行ったあと、将来に向けてかなえたい夢はないか?と聞かれて、このプロジェクトに参加することになりました。もともと歌を歌うのが好きでしたがそれは無理だなと思って、他の目標にしたんです。けどやっていくうちに、どんどんずれていって。一時はもうやめようかってところまで挫折して。そのときスタッフに『最初はライブやりたいって言いよったやん』と言ってもらって。ちょうど10月に開催されるオレンジリボンフェスっていうのがあるから、出てみないかって」

昨年「じぶん流計画」に参加した、高校3年生の山口力鷹さん(撮影/山辺学)

昨年「じぶん流計画」に参加した、高校3年生の山口力鷹さん(撮影/山辺学)

これが大成功だった。大勢が見守る中、山口さんはステージで数曲を歌い、年度末の発表会でも歌ったという。

「今年は、下の世代の子がじぶん流計画を始めていて。ライブやりたいっていう子がいて相談されたので、ギターを渡しました。ギター練習して弾けるようになった曲を歌ってライブしたらいいじゃんって。やりたいことがあるなら、とことんやっておいたほうが高校生活も楽しいだろうって、自分も分かったから」

eスポーツをテーマに選んだ田中さんも、最初はあまり乗り気ではなかったという。

「やりたいことが何かって聞かれるまで、考えたこともなかったんで。聞かれて初めて何をしたいんやろうって考えたというか。最初は面倒くさかったけど、成果が出ていくうちにやりがいを感じたし、楽しくなって。eスポーツのプロプレイヤーになるのが目標やったけど、まずはゲームがうまくなるためにSNSでゲーム配信を始めました。コメント欄で流れてくるのに返答したり視聴者とコミュニケーションを取るのが楽しみで」

田中さん(右)はこの一年でずいぶん変わったと山口さん(左)は話してくれた(撮影/山辺学)

田中さん(右)はこの一年でずいぶん変わったと山口さん(左)は話してくれた(撮影/山辺学)

本人はあまり自覚がないというが、周りからは変わったと評される。「声色や表情が柔らかくなったとよく言われます」。隣にいた山口さんがこう補足した。

「(田中さんは)最初は誰とも話さんかったし、大人しかったけど、自分の素をさらけ出せるようになったのかなって。全部じゃないかもしれんけど。それも仲良い子に対してだけじゃなくて、周りみんなに対して明るい表情を見せるようになった気がします」

山口さん自身も、肉親を亡くして以来、自分にとってのじじっかの存在が大きく変わったという。

「2年前にひとり親を亡くして自分一人きりになったとき落ち込んだんですけど、じじっかの樋口や中村が『あんたは一人じゃない、私たちがあんたのお母さんの代わりになるけん、学校も好きなことも頑張って生きていったらいいやん』って言ってくれて。ここに帰ってきたらいつでも会えるし、相談もできるし、親がいないから寂しいっていう気持ちから解放された。じじっかに来て一番感じていることです」

制度では埋めることができないひとり親の隙間を満たすのが「じじっか」だと中村さんは話していた。だが、親だけではなく、子どもたちの可能性、未来をも大きく左右していることがよくわかる。ひとり親やその子が社会から孤立せず、制度や血縁を超えて小さくとも支え合える社会。それがじじっかが目指す世界だ。

●取材協力
一般社団法人umau.

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