祝!!!63年ぶりのファイターズ開幕3連勝!!! 63年前の1962年はどんなシーズンだったのか振り返ってみる

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プロ野球開幕!!!

2025年3月28日に開幕を迎えたプロ野球。我らが北海道日本ハムファイターズは敵地で埼玉西武ライオンズと対戦し……なんと3連勝!!!
引き分けを挟まず開幕から3連勝は球団創設から4度目、1962年以来63年ぶりの快挙となった。過去3度はすべて前身球団であるフライヤーズ時代のため、日本ハムファイターズになってからは初のことだ。

今回はこの歴史的快挙を記念し、1962年のフライヤーズについて振り返ってみたいと思う。

実は新球場元年だった1962年

1962年の東映フライヤーズは、神宮球場に移転1年目のシーズンだった。1954年から本格的に自前球場である駒沢野球場に本拠地を移して戦ってきたが、この球場とはたった9年でお別れとなってしまう。なんと1964年の東京オリンピックの会場として使用されるとの理由で、球場が解体されることに。東京都の仲介で、当時学生野球でしか使用していなかった明治神宮野球場へ本拠地を移転することになったのだった。

ちなみに、ファイターズの長い長い借家生活はここから始まり、2023年にエスコンフィールドHOKKAIDOを開業するまで自前で球場を持っていなかった。

1962年の開幕カードの対戦相手は大毎オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)。
4月7日の開幕戦を5-4で勝つと、翌日のダブルヘッダーも4-3、7-1と連勝。そしてその後も連勝を6まで伸ばした。

この年は水原茂監督体制の2年目。先発ローテーションは土橋正幸さんと久保田治さんの2枚看板に加え、新人の安藤元博さんが13勝(安藤さんは実働3年で1965年に引退。この年がキャリアハイだった)、プロ野球スピリッツAに度々登場している速球投手・尾崎行雄さんも1年目ながら20勝9敗とチームを牽引。
野手は不動の4番張本勲さんを中心に、ミスターフライヤーズこと毒島章一さん、この年初のベストナインに選ばれた吉田勝豊さんと主力が活躍。二遊間には1年目の岩下光一さん、青野修三さんのルーキーコンビがハマるなど、投打で若手の活躍も目立った。

そしてフライヤーズは4月から一度も首位を譲らずにシーズンを完走して球団初のリーグ優勝を達成。7月終了時点で2位の阪急に15ゲーム差をつける圧倒的な強さを見せていた。8月から鶴岡一人監督率いる南海が猛追し、最終的には5ゲーム差まで縮められてしまうも、前半の貯金に助けられた。

あの大投手を攻略して球団初の日本一に!

日本シリーズで対戦することになったのは、5度目のリーグ優勝を果たした阪神タイガース。このときのエースは大投手・村山実さん。この年の成績は57登板、25勝14敗、投球回数は366回1/3という今では考えられないとんでもない数字だった。
村山さんは日本シリーズ1戦目、2戦目と連投で先発。フライヤーズは1戦目は5-6✕のサヨナラ負けを喫し、2戦目は村山さんを攻略できず8回1アウトまで走者を1人も出せず、完全試合を阻止するのがやっとの完封負け。

2敗で本拠地に戻ったフライヤーズだったが、3戦目もリリーフ登板した村山さんを打ち込んで2-2の引き分けに持ち込むと、そこから驚異の3連勝。最終戦・第7戦も西園寺昭夫が村山さんから決勝本塁打を放ち、4連勝で球団初の日本一を達成した。
新庄剛志監督4年目となる2025年の北海道日本ハムファイターズ。このときのように開幕からの連勝の勢いのままリーグ優勝、日本一へと駆け上がることができるのか。我々ファンは全力で応援したいと思う。
(Written by 大井川鉄朗)

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