過去最高の盛り上がりを見せた第3回新潟国際アニメーション映画祭!! グランプリは押山清高監督作『ルックバック』

新潟市民プラザをメイン会場に3月15日から開催された第3回新潟国際アニメーション映画祭が無事に閉幕した。同映画祭の活況の様子を『押井守の映画50年50本』『映画の正体 続編の法則』(立東舎)の編者で新潟市出身の鶴原顕央が徹底レビューする。
アニメーションは、テクニック
オープニング作品として上映されたのは『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の続編『イノセンス』。

▲『イノセンス』(C)2004 士郎正宗/講談社・IG, TNDDTD
上映前に押井守監督の10分間のビデオメッセージがスクリーンに映し出され、「『イノセンス』はテクノロジーではなくテクニックで作られた映画。アニメーターが腕で描いた。だから作品として生き残った」と発言した。

新作ではなく21年前の旧作をオープニングとして上映するのは映画祭としては稀なことであり、ましてコンテンツとしてのアニメを売りにする日本の、しかもアニメに特化した映画祭で日本の新作アニメをオープニングに用意できなかったことには残念感すら漂うが、英語字幕つきで上映された押井守のこのビデオメッセージが今回の映画祭の流れを作った。アニメーションはテクニック。もし押井守本人に問い直せば「もちろん意図した」と答えるだろうが、意図せずしてテクノロジーよりもテクニックを象徴する6日間となった。
グランプリは『ルックバック』
まずは映画祭の目玉であるコンペティション部門。日本からは久野遥子監督と山下敦弘監督の共同作『化け猫あんずちゃん』と押山清高監督の『ルックバック』が選出され、世界各国の長編アニメーションと競い合ったが、オープニングの『イノセンス』同様、『化け猫あんずちゃん』も『ルックバック』も劇場公開前の最新作ではない。昨年のコンペティション部門の日本からのエントリー2作品、塚原重義監督作『クラユカバ』は劇場公開前のジャパンプレミアだったが、岡田麿里監督の『アリスとテレスのまぼろし工場』は昨年の時点ですでに劇場公開を終えてネットフリックスでの配信を開始していた。今年は日本からのエントリーすべてがワールドプレミアでもなければ、ジャパンプレミアでもない。自宅でも鑑賞可能な映画だった。開催国としてこれでいいのかという疑問は残るが、逆に映画祭としての方向性は明確化した。もはやプレミア度を優先しない。世界のアニメーションと顔を揃えるに値するここ1年の優秀な日本作品を選ぶ方向に舵を切ったのだ。結果として第3回にして日本アニメが初のグランプリ受賞。だがなぜ『ルックバック』がグランプリに選ばれたのか。手描きアニメによって作り出される絶妙な緩急。物語のあらすじを読むだけでは味わえない演出力。審査委員長のマヌエル・クリストバルは「クラフト」という言葉を使ったが、つまり技巧。やはりアニメーションはテクニックなのだ。この『ルックバック』は漫画を描くことに熱中する主人公とアニメーターとしての押山清高監督の情熱がシンクロする。

▲『ルックバック』(C)藤本タツキ/集英社 (C)2024「ルックバック」製作委員会
インディーズ作家の夢と現実
グランプリの『ルックバック』だけでなく、ほかの各賞も秀逸なテクニックを有するアニメーションが受賞に至った。この各賞に新潟国際アニメーション映画祭の特色がある。アニメーションは監督業と脚本業の領域を区分しにくいとの判断から監督賞と脚本賞が撤廃され、奨励賞とグランプリのほかに、旧来のアニメーションの垣根を越える作品に授けられる境界賞と、戦国から江戸時代の傾奇(かぶく)者に由来して挑発的で野心的な作品に授けられる傾奇賞が第1回コンペティション部門審査委員長の押井守によって設立された。

奨励賞は2回目の新潟参加となるエリック・パワー監督の自伝映画『ペーパーカット:インディ作家の僕の人生』。テキサス出身で、自らをサタデー・モーニング・カートゥーン・ジェネレーションと語るエリック・パワー監督は、土曜の朝に放送されていた『サンダーキャッツ』や『ヒーマン(マスターズ・オブ・ユニバース)』を見て育ち、粘土アニメーションの『ガンビー』にハマり、ビデオゲームの『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』や『モータルコンバット』にも熱狂しつつ、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のようなホラー映画や日本のチャンバラ映画、さらにはアニメ『ブラック・ジャック』の大人な内容に衝撃を受ける。そして切り絵アニメーションを手がけるようになる。その経緯が詳細に描かれ、映画祭に応募するもことごとく落選する苦難まで劇中で語られる。第1回の新潟国際アニメーション映画祭のコンペティション部門に選ばれて、新潟は旅費を出すということで、これが人生初渡航。日本に行く前日にパスポートを取得した。このエピソードも劇中に登場する。夢を追いつづける情熱と経済的困難。恋人との別れと新たな出逢い。とことん赤裸々にインディペンデント映画監督の実情を明かしてくれる。

▲『ペーパーカット:インディ作家の僕の人生』(C)Eric Power
2作連続で新潟入りを果たし、今回奨励賞を獲得したエリック・パワーは新潟の常連監督になるはずだ。彼は第1回の『森での出来事』上映前挨拶で「全部1人で作っています。僕はイカれています」とスピーチしていたが、今回は「ほかのアニメーターとも組んで、大きな映画を作ってみたい」と展望を明かした。このエリック・パワーと同様に映像部分を単独で手がけ、しかしながら今後は大勢のスタッフで大作に挑戦してみたいと語った監督がコンペティション部門にもう1人いる。惜しくも受賞は逃したが、手描きとCGのミックス映画『ワールド・ディバイド』のデンバー・ジャクソン監督だ。

▲デンバー・ジャクソン(左)と作曲家のマーク・ジャンカー(右)
カナダ映画の『ワールド・ディパイド』は、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』のオープニングシークエンスの完全コピーからスタートして、クマの胸の模様は『となりのトトロ』。アクションの動きはテレビアニメ『NARUTO─ナルト─』を想起させ、マーク・ジャンガーが担当した音楽は下村陽子のゲームミュージック『キングダム ハーツ』や植松伸夫の『ファイナルファンタジー』を参考にしたと言う。先述のエリック・パワーと同様にアニメーションだけでなくゲームの影響を受けて育った世代なのだ。このデンバー・ジャクソン監督が創作した世界は、日本アニメの演出や作画テクニックを模倣しつつも、物語はとことんユニーク。食糧危機を脱すべく新技術を開発した父の善意ゆえの暴走と、その娘の葛藤を時空を超えて描いてみせる。


▲『ワールド・ディバイド』(C)Cloudrise Pictures
来日ゲストと同時通訳の課題
境界賞はジョヴァンニ・コロンブ監督のイタリア映画『バレンティス』。戦争に徴用される予定の馬を、解放しようとした少年が撃ち殺されてしまう悲劇を描く。監督が祖母から聞いた話を映像化した本作は、当初は実写映画にするつもりでコンセプトアートを描いていたが、その絵を見た仲間たちから「このままアニメーションにしたほうがいい」と説得され、アニメーションに初挑戦した。馬と鉄道を題材とした本作は、映画の最初期作品である連続写真の『動く馬』やリュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』にオマージュを捧げる。


『バレンティス』(C)Luces Film, Tama Filmproduktion, Rai Cinema
監督のラフ画をそのままアニメーション化した『バレンティス』は、描きこまれていないラフ画の不完全さを活かした作風になっており、登場人物が不意にフレームから消える瞬間がある。それが命を絶たれた少年の儚さになっている。記者会見に登壇したジョヴァンニ・コロンブ監督は、観客から「悲しい映画だった」という感想があったことを踏まえ、「映画で描かれる他者の人生に観客が共感する。それがシネマの重要性だ」と説き、黒澤明の『生きる』を例に挙げた。

このジョヴァンニ・コロンブ監督の発言はイタリア語から日本語に翻訳されたが、英語には翻訳されなかった。閉会式の受賞スピーチも同様だった。英語に訳されずに進行してしまい、ほかの来日ゲストが置いてきぼりをくらう。映画祭2日目に開催された中国映画の特集上映『スン・シュン短編集』では、観客からの日本語の質問が中国語に訳され、登壇者のスン・シュン監督は気を遣って英語で返答し、その英語は日本語に翻訳されたが、司会進行役の元オランダ国際アニメーション映画祭ディレクターのゲルベン・シュケルマーはスン・シュンの発言から質問内容を推測するしかなく、観客からの英語の「なぜ白黒でアニメーションを作ることを好むのか?」という質問と、スン・シュン監督の「予算と時間が限られているからだ」という回答に「ちょっと待てよ」とようやく笑顔で口をひらいた。そして「わたしが依頼して作らせた短編は予算も時間もあったはずだ」とツッコみ、スン・シュン監督が「あれはディテールにこだわったのでカラーをあきらめたのだ」と反論。会場が笑いに包まれたのはそのやりとりだけだった。


▲スン・シュン短編集より『21克(21G)』(C)SUN XUN
事情は分かる。中国語やイタリア語を日本語に訳し、それをまた英語に訳していたのでは時間がかかる。トーク内容の総量が減る。だが来日ゲストを置き去りにしていいのか。重要な発言を共有しないまま進行していいのか。アニメーションという共通要素を持つ者が集まっているのに言語が障壁になってしまっている。この問題は英語字幕の有無でも散見された。中華人民共和国駐新潟総領事館の特別後援で上映されたCGアニメーション『落凡塵』は、日本語吹き替え版を作るのならクールで中性的な金風を石田彰が、負けん気の強い小凡を釘宮理恵が演じればぴったりハマるであろうエンタメ長編。織姫と彦星をモチーフにしている物語なので、悲哀もある。この『落凡塵』は日本語字幕は付いたが、英語字幕が付かなかった。英語圏の観客を前提としない上映だったということなのだろうが、せっかくなら海外のバイヤーやフィルムメイカーにも大スクリーンで観てもらうべきだった。

▲『落凡塵』(C)WinSing Animation, bilibili, Alibaba Pictures
第1回のコンペティション部門はフランスやチェコ映画が多数を占め、中国や韓国映画の不在が問題視されたが、第3回となる今年はホ・ボムウク監督の韓国映画『口蹄疫から生きのびた豚(原題)』がコンペティション入りを果たし、さらには中国映画の特集上映が組まれ、イベント上映として『魅力の島:台湾の民間伝承と神話に基づく短編たち 台中国際アニメーション映画祭特集+トーク』も開催され、東アジアの映画がほぼ揃った。新潟のこの映画祭が、世界各地の良質なアニメーションが集う場として成熟した。残る課題は国際の名を冠する映画祭として来日ゲストを置き去りにしない配慮と、英語字幕付き上映の充実だろう。日本のアニメ業界の功労者に授ける大川博賞・蕗谷虹児賞の発表時に漢字のみスクリーンに表示されて、英語が付記されなかったことも同じ。配慮が足りない。

▲『口蹄疫から生きのびた豚(原題)』(C)Hur Films
アダム・エリオットが新潟にやってきた
今回の映画祭の最大の注目は『ハーヴィー・クランペット』でアカデミー短編アニメーション受賞歴を持つストップモーション界の大物アダム・エリオットのコンペティション参加だろう。最新作『かたつむりのメモワール』は昨年10月のロンドン映画祭でグランプリを受賞。アカデミー長編アニメーション部門の候補作にもなった。もはや巨匠と言っていいアダム・エリオットが審査員ではなくコンペティション仲間として参加したことで、閉会式前日の新潟入りではあったが、コンペティション部門の監督たちの団結力が一気に高まった。上映会場も盛り上がったが、監督たちの合同記者会見が異様な高揚感に包まれた。観客とのQ&Aでは笑顔を見せなかった冷静沈着なホ・ボムウクすらおどけてみせた。

▲ホ・ボムウク監督(左)とアダム・エリオット監督(右)
カンヌやヴェネツィアでも巨匠と新人が肩を並べることはあるが、アニメーションという共通要素を持つ者同士だからこその団結力なのだろう。仲間意識があるのだ。端から見ていても熱気が感じられた。アニメーションに特化した映画祭を開催する意義をここに見た。そしてアダム・エリオット監督のオーストラリア映画『かたつむりのメモワール』は傾奇賞を受賞。悲しみを背負った女性の半生を描くフィクションだが、救いがないまま終わるのではなく、奇跡も盛り込む。そのアダム・エリオット監督が映画と同じように新潟に奇跡を持ち込んでくれた。

▲『かたつむりのメモワール』(C)Arenamedia Pty Ltd.
商業映画とインディーズ映画の隔たり
今回の映画祭では数多くのトークイベントも開催された。最終日の『インディアニメの今 インディ・ショウケースの可能性』では日本のインディーズ作家たちが登壇。短編アニメ『高野交差点』の伊藤瑞希監督は、予算が限られているインディーズ作品を俳句や短歌と同じ定型詩に例えて「文字数が限られている場で作るからこそ思いつく言葉がある」としつつも「それが商業的な作品になるかどうかは別問題」と本音を明かした。


▲『高野交差点』(C)2021 Mizuki Ito
いかにして商業ベースに作品を乗せていくか。それは『ペーパーカット:インディ作家の僕の人生』のエリック・パワーも日本のインディーズ監督たちも同じだ。この問題を解決すべく才能を発掘し、育て、世に出していくのが映画祭の役割の1つであるが、このことを映画プロデューサーはどう思っているのか。今回の審査委員長はゴヤ賞受賞のスペイン映画『しわ』のプロデューサーであるマヌエル・クリストバル。開催5日目に実施されたトークイベントでマヌエル・クリストバルは商業プロデューサーとしての自身の手の内を90分間ノンストップで語った。

オリジナル脚本と原作ありの両方を手がけた経験があるマヌエル・クリストバルは、オリジナル脚本を映画化することの困難を「道路を作っている後ろで渋滞が発生し、クラクションを鳴らされつづけるようなもの」と語り、原作ありのほうがスムーズに映画が完成するとした。映画の方向性を明確化する際にも、出資者にプレゼンする際にも原作ありの映画の優位性を強く説いた。商業ベースの映画プロデューサーとしては正しい判断だが、映画祭の審査委員長としてはどの作品にグランプリを授けるのか。結果は藤本タツキ原作の『ルックバック』だった。オリジナル映画の実現困難度を承知している上で『ルックバック』に最高賞を与えた。それだけ『ルックバック』の技巧と内容が他を圧倒していたということなのだろう。今回のコンペティション12本のうち、映画公開に合わせてフィルムコミック版がスペイン語と英語で出版されたフランス・スペイン・オランダ・ポルトガル合作映画『ボサノヴァ 〜撃たれたピアニスト』のような作品もあるが、その『ボサノヴァ 〜撃たれたピアニスト』も含めてオリジナル映画は9本。

▲『ボサノヴァ 〜撃たれたピアニスト』(C)2022 THEY SHOT THE PIANO PLAYER AIE – FERNANDO TRUEBA PRODUCCIONES CINEMATOGRAFICAS, S.A. – JULIÁN PIKER & FERMÍN SL – LES FILMS D’ICI MÉDITERRANÉE – SUBMARINE SUBLIME – ANIMANOSTRA CAM, LDA – PRODUCCIONES TONDERO SAC. ALL RIGHTS RESERVED.
それらオリジナル映画9本のうち3本が奨励賞などを獲得した。これを悪くない打率と考えるか、それともグランプリを獲得できなかった事実を重く受け止めるべきか。これまでの3回のコンペティションで原作が存在しない映画がグランプリを受賞したのは昨年のカナダ映画『アダムが変わるとき』のみだ。第1回のフランス映画『めくらやなぎと眠る女』は村上春樹原作。この打率もどう考えるべきか。インディーズ監督には原作の映像化権を獲得する金銭的余裕も知名度もないだろう。商業映画とインディーズ映画の隔たり。インディーズ監督の苦難はつづく。
隔たりを打破する作品は誕生するか
今回の映画祭では商業映画とインディーズ映画の隔たりのほかに、もう1つ隔たりが存在した。特別招待作品として上映された『イノセンス』や『カウボーイビバップ 天国の扉』のような日本アニメと海外映画とのあいだの隔たりだ。

▲『カウボーイビバップ 天国の扉』(C)サンライズ・ボンズ・バンダイビジュアル
客寄せのためのイベント上映とコンペティション上映が分離するのは、カンヌだろうと東京だろうと同じだが、第1回は押井守が審査委員長を務めたことで両者をつないでみせた。今回は完全に2本柱に分離してしまっている。カンヌに『イノセンス』が招待され、ベルリンに新海誠監督の『すずめの戸締まり』が招待されても、いちおう日本のアニメに理解があるところを示してあげたというだけであって、実質的には実写映画とは別枠扱い。ベルリンで金熊賞を受賞した宮﨑駿監督の『千と千尋の神隠し』が唯一の例外であり、そもそもアニメーションを実写映画と並べて評価できる人材が実写映画界に存在しない。このように別枠扱いされてきたアニメーションを正当に扱うべくこの映画祭が創設された。しかしフタをあけてみれば、日本のアニメは別枠のままだった。外国のアニメーションとの接点がない。日本のクリエイターと来日ゲストがトークセッションをしない。もちろん舞台裏や歓迎パーティーでは挨拶や会話をしているだろうが、映画祭のイベントとして、一般観客の前でのトークセッションが1つもない。ゆえに表面上は完全に乖離してしまっている。しかしカナダの『ワールド・ディバイド』のように日本のアニメ技法を取り込んでみせる作品や、『化け猫あんずちゃん』のようにフランスと共同制作された映画もある。コンペティション部門の合同記者会見で『化け猫あんずちゃん』の久野遥子監督はフランスからどのような提案があったかを具体的に語った。

『化け猫あんずちゃん』は祖父宅に預けられた少女かりんが、人間の言葉を話す化け猫のあんずと出会い、奇妙な日常を過ごすが、母の命日にかりんが「母に会いたい」と強く願い、あの世をさまようことになる。当初は母の遺骨をかき集める展開があったが、遺骨に触れる慣習がないフランスではその展開はホラーに見えてしまうと指摘された。『化け猫あんずちゃん』はホラーではない。日本の特色を捨てることなく、だが海外の観客に誤解されないように内容を微調整したと言う。

▲『化け猫あんずちゃん』(C)いましろたかし・講談社/化け猫あんずちゃん製作委員会
観客には隔たりがないし、作り手にも隔たりはない。ただ単純に映画祭の上映プログラムに隔たりがあるだけだ。『イノセンス』も『カウボーイビバップ 天国の扉』も20年以上も前の映画であるからしょうがない。日本アニメのユニークさを捨てる必要はないが、垣根を超える新しい映画があってもいい。新潟国際アニメーション映画祭は若手の育成にも力をいれている。そこから画期的な映画が誕生するのを期待したい。
(文と写真:鶴原顕央)

『押井守の映画50年50本』
押井守 著
立東舎 刊
A5判/ 320ページ/ISBN9784845634446
https://rittorsha.jp/items/19317409.html
(執筆者: リットーミュージックと立東舎の中の人)

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