ヒカキンの「みそきん」を人生で初めて食べた結果

ヒカキンという人物が監修したという、お湯を注いで温かくして食べる麺類「みそきん」を食べた。日本古来の味噌と呼ばれる調味料を使用した味付けだ。スープが味噌味なので、麺も味噌味になる。
このヒカキンの「みそきん」の濃い味噌濃度は良いもの
ヒカキンという人物がどれほどラーメンに深い人物なのか不明だが「みそきん」の仕上がりは上々。味噌の味がする。味噌味なのだから味噌の味がして当然だが、味噌は濃いほど薫りとコクが強まって美味だと思うから、この「みそきん」の濃い味噌濃度は良いものといえる。






豆と豆との融合が豆と豆だからこそ引き出せる豆と豆の「唯一無二の旨味」
そのまま食べても美味なのは食べて実感しているが、そこに味噌の仲間、納豆を入れるとどうなるか?
その「解」は紛れもなく「正」のはずであり、味噌の豆と納豆の豆、豆と豆との融合が豆と豆だからこそ引き出せる豆と豆の「唯一無二の旨味」を深めてくれるはずだが、今回は納豆は入れない。そのまま食べたいからだ。気分の問題。

永遠に麺が消えないでほしい
食べ進めるとわかる。麺がもったいない。そんな感情が出てくる。スープが極めてヤミツキになる美味しさなので、麺のおいしさをグングン昇華させ、麺をすする箸が止まらない。
よって、麺が猛スピードで容器から消えていくのである。もったいない、もっと、じっくり麺を食べればよかった。永遠に麺が消えないでほしい。ずっと容器に麺が入っていてほしい。もっとすすりたいから。


こういうおいしいものは期間限定ではなく永遠に出してほしい
ヒカキンという人物の「みそきん」はうまいものだった。インターネットで話題になるだけのことはある。しかもその話題は、操作されたものではなく、食べた者たちがインターネット上に放った「おいしい」「うまい」という感情が紡いだもの。
間違いなく消費者の感想で生まれた「みそきん」がウマイという感情の連鎖。こういうおいしいものは期間限定ではなく永遠に出してもらえないだろうか。
ヒカキンという人物に感謝するとともに、今度は「しおきん」「とんきん」も食べたいと思ったのであった。以下同文。
(執筆者: クドウ秘境メシ)

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