ダリル・ホール、ジョン・オーツとの再結成の望みはないと語る
ダリル・ホールが、ホール&オーツの再結成の可能性はないと明言した。この発言は英タイムズのインタビューで飛び出したもので、彼は長年のバンド仲間だったジョン・オーツから感じた“裏切り”について振り返った。その裏切りが程なく訴訟につながり、二人の仲を引き裂いた。
このポップ・ロック・デュオが再結成する可能性について尋ねられたホールは、「“その船は海の底に沈んでしまった”(完全に手遅れだ)」と簡潔に答え、「僕は人生で多くの驚きや失望、裏切りを経験してきたので、もう慣れてしまった」と続けた。その“裏切り”について詳しく説明することはなかったが、彼は、「長年にわたってかなり怪しげな人物たちと関わってきた」とほのめかした。
ホール&オーツの解散騒動は、2023年11月に二人が法的な争いに巻き込まれたときに始まった。オーツはこれを“非常に退屈なビジネス上の問題”と表現したが、問題の核心はオーツがホールの同意なしに、ホール&オーツの共同事業であるホール・オーツ・エンタープライズ(Whole Oates Enterprises)の持ち分をプライマリー・ウェーブ・ミュージックに売却しようとしたことで、ホールが差し止めを求める訴訟を起こしていた。
ホールは彼らの法的な対決の詳細についてまだ話すことはできないが、2024年には二人とも彼らの創造的なパートナーシップは終わったということに異論はないようだった。ホールは2024年6月に米ビルボードに対し、「ジョンと僕は何十年も創造的な関係ではなかった。ジョンと一緒に最後に曲を書いたのは2000年で、それも他の誰かと一緒だった。僕たちはツアーを続け、ツアーを続け、ツアーを続けた。それは僕にとってもジョンにとっても非常に制限の多いことだった。実際のところ、ジョンがある日、もうやりたくないと言っただけだ。僕は“わかった”と答えたが、問題は(オーツが)別れと解散を簡単にしてくれなかったことだ。それが困難の原因で、今も続いている、それだけのことだ」と話していた。
そして、「僕はいつも、生涯ずっとソロ・アーティストだったと言っている。ジョンとは仕事をしていただけ、ほとんどは」と続けた。
1970年に結成された米ペンシルベニア出身のホール&オーツは、1976年のアルバム『ビガー・ザン・ボース・オブ・アス』が米ビルボード・アルバム・チャート“Billboard 200”で13位に達し、また、このアルバムからリリースされたシングル「Rich Girl」がソング・チャート“Hot 100”で1位を獲得するなど、1970年代を通じて人気を博した。
このデュオは1980年代初頭に商業的な絶頂期を迎え、アルバム『モダン・ヴォイス』(原題:Voices)『プライベート・アイズ』『H2O』がすべてプラチナ・ディスクとなり、特に『H2O』は全米3位を記録し、彼らのアルバムの中で最高のヒットとなった。「Kiss on My List」「Private Eyes」「I Can’t Go for That (No Can Do)」「Maneater」により、2年間にわたりHot 100で4度も首位を獲得した。1984年の「Out of Touch」で最後の首位を獲得した。
2024年まで解散はしなかったものの、ホール&オーツの最後のスタジオ・アルバムは18年前にリリースされた『ホーム・フォー・クリスマス』だった。オリジナル曲の最後のフル・アルバムは2003年の『ドゥ・イット・フォー・ラヴ』だ。
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