NYタイムズで「行くべき場所」に選ばれた山口市。”控えめな天才性が含まれるレコードB面”な土地の魅力って? 山口LOVEになった移住者に聞いてみた
2024年1月ニューヨークタイムズの「2024年に行くべき52の場所」として選ばれた山口県山口市。選出に携わった同紙記者のクレイグ・モドさんは以下のように語っている。
「山口市は、若い起業家を引きつける、人間的なスケールで充実した生活ができる街。京都、金沢、広島が日本の『レコードのA面』なら、山口と盛岡は『B面』で、控えめな天才性が含まれることが多い面です」(クレイド・モドさんHPより)
そんな山口市の観光地としての魅力、そして暮らす場所としての魅力とは何なのだろう? 実際に、山口で育った人、商売をしている人、海外での生活を経て山口市に移住した人など、さまざまな人にインタビューすべく、現地を訪れた。
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中世の時代から文化と人を受け入れてきた山口市
山口市にある、JR山口駅。山口県庁および市役所の最寄駅で、JR山口線が通る(写真撮影/内田伸一郎)
山口県の県庁所在地である山口市は県の中央に位置し、人口は約19万人に及ぶ。南は瀬戸内海に隣接し、北に隣接する山口県萩市や島根県のすぐ先は日本海。室町時代に大陸との貿易で栄えた大内氏が京に倣ったまちづくりを行ったことから「西の京」と称されている。
山口県で一番人口が多いのは下関市で約24万人。山口市は2位、3位は宇部市約15.6万人(山口県ホームページより/2024年12月1日現在)(画像作成/PIXTA)
山口市と近隣市町村を対象にした旅行業を営む丸本 華代(まるもと はなよ)さんによると、「大内氏の館があったのがいまの山口市の中心地。応仁の乱の際には、荒れた京都を逃れた多くの文化人たち、例えば雪舟、を受け入れて活動を支援した」のだそう。
「山口市の魅力をもっと伝えたい」と、山口市役所を早期退職して旅行業を営む丸本華代さん。山口県岩国市で生まれ、幼少期より山口市在住。話を聞いた「LOG COFFEE ROASTERS」ではおいしいハンドドリップコーヒーが自慢。「魅力的な飲食店がいっぱいありますよ」(丸本さん)(写真撮影/内田伸一郎)
さらに、山口市といえば維新の舞台。
地元・長州藩はもちろん、薩摩藩や土佐藩からも志士が集い、密談を行ったという史跡が街中に点在している。
「歴史を振り返ると、他の地域や国からの文化や客人を違和感なく受け入れる気質が山口市民の私たちにはあるのかもしれません。暮らしていてもそう感じる場面が多々あります」と語る丸本さんが、そんな山口市の魅力を暮らしで体現する人々・スポットを余すことなく紹介してくれた。山口市の“『B面』(控えめな天才性)”とは、どのようなところなのだろうか。
自給自足の民宿で、旅慣れた海外ゲストをもてなす山根さん家族「超民家やまね」
まず、丸本さんが「山口市に根付いた何気ない生活を魅力として、民泊を通し他の国の人に発信してくれている」と案内してくれたのは、山口市内の中心地から車で30分ほど、田畑に混在して立つ古民家。山根賢三郎さんと早紀さん夫妻が経営する「超民家やまね」だ。
2人は千葉の大学時代からの友人。大学を卒業して、たまたま同時期の渡航となったオーストラリアのワーキングホリデーで意気投合、現地で貯めたお金を元手に1年間ヨーロッパを巡り、賢三郎さんの地元・山口市に2015年に戻ってきた。
山根賢三郎さんと早紀さん夫妻。2歳10カ月と10カ月の2人の子どもは保育園に通園中(写真撮影/内田伸一郎)
「山口市に戻って事業を始めたい」と、賢三郎さんは学生時代から決めていたのだそう。
「東京でも暮らしてみたけど、ごちゃごちゃしすぎて自分には合わなかった。ヨーロッパ旅行で一番心に残ったのは、メジャーな観光地よりも小さな街の民泊で過ごした時間でした。自分もそんな民泊を地元でやりたいと思い立ち、旅行中から空き家バンクで物件探しをしていました」(賢三郎さん)
不動産価格の安さも山口市の魅力だった。広大な田畑の土地代も含めた古民家の価格は約200万円、と格安にも感じるが、「相場だと思います」と夫妻。
2016年にまず民泊施設としてスタート※し、その後、法制度変更による民泊としての要件も整え「近々完済します」と経営は順調だ。
※2017年「住宅宿泊事業法」が成立。これにより、それまで法的根拠のなかった「民泊」が法制化されました。
地域の空き家やご近所さんから年代物の建具、家具、キッチン用品を無料で譲り受ける機会が頻繁にあるのだそう。「内装にも全然お金かけてません」という2人は大学で工業デザインを学んでいて、その目利きによってスタイリッシュでありながらホッとできる空間をつくり上げている。
壁のカゴ類はほぼもらいもので、野菜の収穫時にも使っている。手前の大きなやかんは蔵の整理に呼ばれたときに発見したもので、冬場は手づくりの薪ストーブ上のでたっぷりのお湯を沸かしている(写真撮影/内田伸一郎)
母屋1階の二間を襖で区切って宿泊者専用のスペースにしている。母屋に隣接した1棟貸しもあるが、先に母屋から予約が埋まっていく。「子どもがゲストとの介在役になってくれるんです。その間に夫婦2人で食事の支度ができて大助かり」(賢三郎さん)(写真提供/山根早紀)
米も小麦も野菜も無農薬で自家栽培。パンも味噌も手づくりだ。「子どもたちも美味しいって喜んで食べてくれます」。農業は初めてだったが、地元の農家さんたちが気持ちよく畑仕事を教えてくれた(写真撮影/内田伸一郎)
米も無農薬で栽培。「手間がかかるうえ、稲と稲の間を広くするから収穫量が少なくなるし、先輩の農家さんたちには最初反対されました。でもいまは美味しい!と言ってくれたりしていて。気持ちよく応援してくれています」(早紀さん)(写真撮影/内田伸一郎)
宿泊者の8~9割が海外からで、「大観光地の広島から福岡へ移動のするときのリラックスタイムに山口市を選ぶゲストが多いです」と賢三郎さん。「WEBサイトで“田園風景”“ファームステイ”といったワードで検索してるみたい。過去のお客さまが書いたレビューを読んで、日本の田舎暮らしを楽しみに訪れてくれています」(賢三郎さん)
だから、ニューヨークタイムズに山口市が観光地として選ばれたというニュースには、
「まずびっくり、そして心配になりました。観光客が来過ぎると好きな場所を好きなタイミングで楽しむことが難しくなってしまう。
でもやっぱり、コンパクトさが魅力だとニューヨークタイムズでも紹介されているように、京都や北海道ほどの観光資源は山口にはないから観光客があふれることもなさそう」と笑う賢三郎さん。
「そもそも、ウチのお客さまは発見力が高いみたい。自転車をお貸しすると小さな神社や季節の花を見つけた、と興奮して報告してくれる。周りの山を見て、おすすめハイキングコースの質問もよくあります。国宝の瑠璃光寺五重塔や明治維新の史跡が有名だけど、同時に日本の田舎を体験できる魅力があるんです」(賢三郎さん)
千葉県出身の早紀さんも「夫は学生時代から山口に帰りたいと言っていたし、私もUターンを自然に受け入れていました」
「聞いていたとおり、日本海と瀬戸内海に挟まれているので魚の種類が豊富で美味しい。野菜も果物も地元でいろいろ生産されているので、旬の味覚がわかるようになりました」
栽培した作物を使って提供する食事は大好評。つくりたい料理のレシピを持ち込む海外ゲストもいて、一緒に料理することも楽しみのひとつだ。
民泊に来たオーストラリアからの観光客とBBQをする様子。宿泊者は子どもたちとも触れ合い、山根さんたちの生活を疑似体験し楽しんでいる(写真提供/山根早紀)
とはいえ、静かな地域で宿泊施設を始めることに、近隣から反対はなかったのだろうか?
「むしろご近所さんにはたくさん応援してもらっています。道向こうの農家さんが『外国人さんが来た!』と興奮していたので、声を掛けて一緒に食事してもらいました。英語をほとんど話せないのに身ぶり手ぶりと日本語で、すぐ打ち解けていましたよ。見知らぬ日本人にも山口市の人は親切で。自分もいきなり銭湯で話しかけられたり、野菜を山ほど分けてもらったり、東京ではなかった経験がいっぱい。都会は人が多すぎるので逆に声をかけにくいですもんね」(早紀さん)
「歴史的には室町時代から中国や朝鮮半島との貿易で栄えた豊かな場所。ゆとりがあるしいろいろな文化を受け入れることができるから、来る人にも優しいんじゃないかな。持論ですけど。
家の周りは自然にあふれてて、食べ物も最高に美味しい、いい人ばっかり、仕事も楽しい。ノーストレスで暮らしてます。あえていえば少し家から離れた保育園の送り迎えがたまに面倒くさいくらい」と賢三郎さんは満面の笑顔だ。
食とアートを融合して街のにぎわいをつくる粉川さん・ロベルトさん夫妻「イタリア食堂 ベケ!?」
続いて丸本さんが、「ご自身が移住者という立場で、山口市の土地や人々に受け入れてもらうという経験をされている。さらに山口市の魅力を料理や地域おこし協力隊を通して、外部に発信することに挑戦している」と案内してくれた、龍福寺(大内氏館跡)北面に隣接する「イタリア食堂 ベケ!?」を営む粉川妙(こかわ たえ)さんも、山口市の食材の豊富さに太鼓判を押す。「りんごは西日本最大級の産地で、レモンも市内で生産されているんですよ。野菜も魚も肉も市内産があって安く手に入る。加工のしがいがあります」
市内の中心部、大殿地区でイタリア人の夫とともにレストランを経営する粉川妙さん(写真撮影/内田伸一郎)
粉川さんが山口市でレストランを開業するまでの経緯がユニーク。
出身地は神戸で、大学卒業後は製薬会社でMRを務めていた。30歳を前にイタリアへ渡航して料理ライターを目指し、レストランなどで修業、その後食に関するライターや通訳、ガイドを生業としてきた。
11年ほどイタリアで過ごす間にアーティストのロベルト・ピビリさんと出会い結婚。
「しばらくしてロベルトが日本に移住したいと言い出したんです。自分の仕事は順調だったので悩みましたが、日本の新たな土地へ、一緒に冒険の旅に出ることに決めたんです」
ロベルトさんの故郷はイタリアの地方都市。
「大都市はきっと向かないし、自分のキャリアを活かすなら埋もれた魅力を引き出して紹介することが仕事になる、ローカルエリアがいいという直感がありました」と妙さん。
山口市に移住したのは「たまたまそのときに地域おこし協力隊員を募集していたから、です」(粉川さん)
2016年の地域おこし協力隊に採用されて帰国し、任命されたミッションは歴史的建造物が残る大殿エリアの交流人口拡大だった。
粉川さんが着目したのはホタルを入れて光を楽しむ虫かごづくり。山口市中心部、大殿エリアを流れる一の坂川はゲンジボタルの名所で5月下旬から6月上旬のひとときホタルが乱舞する。農村エリアの工房を訪ね、製作を教わることから始まった。
かつてはホタルを閉じ込めて光を楽しんだホタルかご。いまは天然記念物であるホタルは入れずにインテリアとしての風情を楽しむ(写真撮影/内田伸一郎)
超民家やまねの室内でもホタルかごが飾られていた(写真撮影/内田伸一郎)
粉川さんはホタルかごのつくり方を地元の方に学び、協力を得て、ホタルかごをホタル観賞時期に店舗や住宅の軒先に飾るプロジェクトを企画。地域おこし協力隊を卒業してからは、設立した任意団体「つむぎラボ」に企画を引き継ぎ、今やホタルかごは大殿エリアの初夏の風物詩になりつつある。
粉川さんたちがホタルかごのつくり方を学んだのは、昭和期に老人生きがい対象モデル地域として県の指定を受けたことから始まった、山口市内の田園地帯にある「ゆめ工房」。(写真左の建物)。工房のメンバーは工芸品の製作・販売だけではなくハイキングコースの整備を主導するなど、地域ならではの魅力を守り育てている場所だ(写真撮影/内田伸一郎)
ホタルかごの材料は麦わら。ホタルかごに適した真っすぐで固い麦わらの選別と加工もゆめ工房で行っている。ホタルかご・しめ縄・竹とんぼづくりなどを体験できる(要予約)。海外観光客からも好評だ(写真撮影/内田伸一郎)
工房の一番人気商品はしめ縄だそう。会社員・公務員などを退職した6人が常駐メンバー。田畑を所有していることが多い地域で、当日は繁農期のため2人がお休み。左から吉岡秀人さん 福田嘉夫さん 岸本正志さん 藤井真哉さん。移住者の住まいや職探しも手伝う頼もしい皆さんだ(写真撮影/内田伸一郎)
軒先にずらりと並ぶホタルかご。フォルムが可愛く、涼しげな印象をもたらしてくれる(写真提供/丸本華代)
ホタルかごづくりは誰でも体験できるワークショップにも仕立てられている。作業自体がコミュニケーションの場になり、持ち帰って家に飾ってもらえるといい思い出として残るので観光客にも人気があるツアー内容の一つ、と丸本さん。ホタルかごマイスター制度もあって、認定された人たちからさらに広がりを見せているのだそう。
「自分は形だけつむぎラボ代表と名乗ってますが、今は他のメンバーがしっかり運営してくれていています」と粉川さん。
地域おこし協力隊の任命期間3年のラスト1年は、レストラン開業準備を同時進行。日本に惹かれたロベルトさんの理想に近い古民家を見つけて、借り受けることができた。
「おおらかな大家さんが自由にリフォームさせてくれました。ロベルトがフレスコ画をイメージしてペンキを塗ったり、手づくりライトを飾ったり。アーティストの本領を発揮できたスペースになったと思う」(粉川さん)
さらには、「ロベルトが山口県美展で大賞を取ったんです。いいタイミングでした」(粉川さん)
イタリア・スポレート出身のロベルトさん。取材時は帰国中だったが、普段はランチの前菜を担当している。写真展の開催などアーティストとしても活躍中(写真提供/粉川妙)
「イタリア食堂ベケ!?」は周囲の大内氏築山跡など歴史遺構に溶け込んでいる(写真撮影/内田伸一郎)
ロベルトさんの作品があちこちに飾られていている店内。日本文化とイタリアアートの混ざり合いが不思議とよく馴染む(写真撮影/内田伸一郎)
豊富で新鮮な地元の食材でイタリア・スポレートの家庭料理を提供するレストランは開業してほぼ5年。予約で埋まる人気店だ。
ランチは通常週6日、前菜盛り合わせ・パスタ・デザート盛り合わせのミニコースを提供。地元のリピート客で席が埋まるが、「観光地としてもっと盛り上がってきたら観光のお客さまの割合が増えていくかも」(粉川さん)(写真撮影/内田伸一郎)
おすすめワインを説明しているふうの看板猫トイ(写真撮影/内田伸一郎)
「オープンしてすぐたくさんのお客さんが来てくれました。イタリア人でかつアーティストの夫とイタリアで修業した妻、と、注目されやすい部分もあったけど、山口市民が好奇心旺盛で、いいものを素直に受けとめる気質があるんじゃないかな。この地で盛り上がった明治維新は、たった3世代、4世代前の出来事です」と粉川さん。
「総理大臣もたくさん出ているし誇りを持つのは当然で、誇りがあるからこその勤勉さと丁寧さも山口市住民の特性だと思います。移住者の私たちも、わざわざ山口に来てくれてありがとう、という温かい気持ちで迎えられました」
店前での粉川さん・ロベルトさん。2人の経営するイタリア食堂には地元の人たちが多く集う(写真提供/粉川妙)
加えて粉川さんが語るのは、山口市での起業の勧め。
「山口市には大きな会社がないから雇用も多くない。でも、個人が起業するにはブルーオーシャン。不動産が安いし、例えばレストランなら食材も安く調達できる。約19万人の人口があるので商売が成立できる規模です。面白い人同士が繋がりやすいのもいい。アーティスト同士でも大都会だとグループが分かれてしまうものだけど、山口市の規模だったら全員と知り合いになれて発想が広がりやすい。地域のキーパーソンにも繋がりやすいですよ。知り合いを辿っていくとたいていどこかで繋がるものです」
歴史、アート、食、自分なりの発見ができるのが山口市の魅力
観光地としては、「山口市は車がないと移動が難しく、都会の友人にはなかなか滞在を提案できない。秋吉台、錦帯橋といった有名スポットもないので、素通りされないような工夫がもう一段必要かも」とガイド経験のある粉川さんは辛口だ。一方で「食べ物が美味しい」「文化度が高くて面白い人が多い」「病院や買い物にも困らない」と住み心地を絶賛してくれた。
地元で育った丸本さんにも山口市の魅力を聞いてみると、「山根さん夫妻や粉川さんが言うように、山口市民には移住者や観光客に親しくできる気質があると思います。海に開かれた立地で、室町時代から大内氏が交易を育んできた歴史が私たちを育ててくれたんでしょうね」と笑う。
国宝 瑠璃光寺五重塔(2026年3月まで改修中の予定だが、時期は変更の可能性あり)、一の坂川のホタル、湯田温泉、山口情報芸術センター、知ると訪れたくなるスポットも多いが、山口市が9月に発表したインバウンドの宿泊数※は期待ほど伸びていなかった。
「昨年比約1.4倍とはいえ、元の総数が少ないのでニューヨークタイムズのニュースの影響はまださほどでもなさそうです。大観光地ではないため宿泊施設も限られていますし」(丸本さん)
だからこそ、日々の暮らしやすさが移住者には魅力となる。歴史と文化に裏打ちされてゆとりがあり、食べ物が美味しいならこれ以上はない。温かい地元のサポートもある。とくに、「移住者や観光客を違和感なく受け入れられる気質」(丸本さん)や「繋がりたい人と繋がりやすい街の規模」(粉川さん)といった特徴は移住してからのチャレンジに追い風となりそうだ。
山口市はただ旅するだけじゃもったいない、むしろ暮らしたい街だった。
※湯田温泉旅館協同組合加盟ホテル・旅館におけるインバウンド宿泊人員
2023年1月~7月6259人
2024年1月~7月8743人
●取材協力
超民家やまね
イタリア食堂ベケ!?
ゆめ工房
山口の小さな旅行屋maru旅遊社
山口市交流創造部 観光交流課
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