『ストレイチルドレン』レビュー:迷えるコドモの視点でオトナになった自分のストレスと向き合える一作
唐突だが、この世の中は辛いだろうか?
それとも、意外と優しくできているだろうか?
筆者の回答はもちろん、「この世の中は辛い」。インフルエンザは流行るし、税金も保険料も上がり続けるし、通勤時の満員電車はストレスフル。これで優しいわけがない!
……そう、思っていた。けど、オニオンゲームスの新作RPGである本作、『ストレイチルドレン』をプレイして、すこしだけその心境が変わり始めている。だからこそ、是非ともこのゲームの紹介をさせていただきたい。
伝説のアンチRPG『moon』の魂を引き継ぐ新作RPG
『ストレイチルドレン』を制作したオニオンゲームスは、かつてラブデリックというゲームデベロッパーに所属していた木村祥朗が率いるゲームデベロッパーだ。ラブデリックはもう存在しないゲームデベロッパーだが、生み出したゲームは非常に個性的な魅力を放っており、今もなお熱烈的なファンが存在している。
その最たるものが、伝説のアンチRPGと呼ばれる『moon』だろう。『moon』は伝説の勇者がモンスターと戦う……という王道ファンタジーRPGをベースにしつつ、実は街の人は勝手に家へ上がり込みモノを物色する勇者に困っているだとか、善良な動植物が勇者によって虐殺されているといった具合に、通常想像するようなRPGとはまったく逆の世界観を表現、提示した。近年では『UNDERTALE』を筆頭とする現代のインディゲームに、その影響を見ることができる。
▲画像は『moon』 Nintendo Switch版
オニオンゲームスは、そんなラブデリックの魅力を引き継いだゲームデベロッパーだ。一般的なゲームとは一風変わった世界観、どこの国の言葉でもない架空の言語「ハナモゲラ語」を使った音声表現などなど、かつてラブデリック作品が持っていた要素・性質をストレートに継承している。そんなオニオンゲームス作品の中でも、本作『ストレイチルドレン』は、明確に『moon』を引き継いでいる。
『ストレイチルドレン』の冒頭では、主人公である子どもの父親がゲームの世界に引きずり込まれたことが語られ、主人公もまた、ゲーム世界へと引きずり込まれてしまう。そのゲームとは、作中で「ミカヅキ」と呼ばれる作品。
「ミカヅキ」……moon(ムーン)!
タイトルが似通っているだけではない。「ミカヅキ」内の世界は王道ファンタジーRPGをベースにしつつ、実は街の人は勝手に家へ上がり込みモノを物色する勇者に困っているだとか、善良な動植物が勇者によって虐殺されている、そんな世界観。これはもう、まぎれもなく『moon』なのだ!
しかし、ただ『moon』をパロっているわけではない。発売から多くの年月が経過しているため、今では「ミカヅキ」をプレイする人間がおらず、その影響で「ミカヅキ」の世界は崩壊しかかっている。
ちなみに、この記事は『moon』『ストレイチルドレン』いずれの作品についても、ネタバレをするつもりがない。そのため詳細までは語らないが「プレイする人間がいないと、世界が崩壊に向かう」という点は『moon』という作品にとって特別な意味を持っている。この点は『moon』を最後までプレイした人であれば心に引っかかる点だろう。
とはいえ、本作は『moon』を(最後まで)プレイしなければ楽しめない作品ではない。というのも、「ミカヅキ」の世界が舞台となるのは冒頭だけなのだ。
物語が展開することで、舞台は本作『ストレイチルドレン』の世界へと移る。そこは、どの国もコドモたちだけという世界。オトナは国の外側におり、旅行者を襲う存在となっている。
汚れたオトナを殺すのか? 悲しいオトナを成仏させるのか?
「コドモ対オトナ」の対比を描く作品は少なくない。そして大抵の場合、コドモは純粋な心を持った無垢な存在であり、オトナは純粋な心を失った汚れた存在、あるいは悲しい存在……というかたちで表現されることが多い。本作もパッと見は、そのように思える。しかし、少しプレイしてみると、バトルシステムを通してそうではないことがわかってくるだろう。
本作のゲームシステムは、一般的なRPGと同様に街やダンジョンを探索し、敵(=オトナ)とバトルを行うというかたちになっている。限られた移動時間を使っていかに探索するかがポイントとなっていた『moon』とは異なり、『ドラゴンクエスト』をはじめとするオーソドックスなRPGのシステムに近い。ただ、バトルシステムは独特だ。
戦闘はコマンド選択後にミニゲームを行う……という形式。「たたかう」を選んだ場合、ボタンダウンでゲージをタイミングよく止めるミニゲームが発生。ミニゲームに成功するとダメージと攻撃回数が増え、失敗すると攻撃は不発となる。
この攻撃によってオトナのHPをゼロにすると、オトナを「殺す」ことができる。
また、「ことば」を選んだ場合、「真・女神転生」シリーズのように敵との対話が可能。敵ごとに異なる選択肢が複数出現し、正しい選択肢を正しい順番で選ぶことで、オトナを成仏させることができる。
プレイヤー側の行動が終わってオトナの行動ターンに移ると、ここでもミニゲームが発生する。ミニゲームの内容はオトナの種類によって異なるが、基本的に主人公を移動させて大人の攻撃を回避するというもの。形式としては弾幕シューティングゲームに近い。
ただ、オトナの種類によっては足場を飛び移っていくジャンプアクション的なミニゲームが待っていたり、主人公側も弾を発射可能なインベーダーゲーム的ミニゲームになったりもする。
まとめるとプレイヤー側の立ち回りは、オトナを「たたかう」によって殺すか、「ことば」によって成仏させるかの2択。「殺す」という言葉は物騒だが、作中では明確に「死ぬ」という単語で描写している。おそらく、あえてそうしているのだろう。
これを踏まえて考えると、「ことば」によってオトナを成仏させるのが妥当な立ち回りと考えられる。ただ、オトナを成仏させようと思うと、途端に難易度が上昇する。
なぜなら、正しい選択肢を正しい順番で選ばなければならないため、たとえ正解が分かっていても正解までに数ターンかかる。実際には最初から正解がわかっているわけではないため、試行錯誤のターンも含めると10ターン以上かかることも珍しくない。ということは、その間、ミニゲームによってオトナの攻撃を回避し続けなければならないのだ。
この、ミニゲームで敵の攻撃を回避しつつ、正しい選択肢を探る……というバトルシステムは『UNDERTALE』のバトルシステムに近い。異なる点は、本作がバトルシステムを通じて、「プレイヤーに世界への理解、オトナへの理解を促そうとしている」ところだろう。
オトナを成仏させるための正しい選択肢は、決してしらみ潰しに探さなければならないわけではない。ダンジョン内にはオトナの亡骸のようなものが転がっており、その亡骸のようなものを調べると、正しい選択肢のヒントが手に入る。ヒントなので必ず正解が分かるわけではないが、おおむね推測できるかたちになっているため、試行錯誤するターンを軽減できるわけだ。
このため、成仏を目指す場合、正しい選択肢のヒントが手に入るまではオトナから逃げつつマップ内を丁寧に探索。正しい選択肢のヒントが手に入ったら戦う……という立ち回りが基本となる。
そしてこの立ち回りを行っていくと、必然的にプレイヤーは本作の世界の隅々に至るまで情報を獲得することができる。と同時に、オトナたちが過去にどんな事情があったのかを理解することになる。「プレイヤーに世界への理解、オトナへの理解を促そうとしている」と書いたのはこのためだ。
本作に登場するオトナたちは、一見、だらしなかったり、汚らしかったりする。ではそんなオトナと「たたかう」ことが正解なのだろうか。その結果、オトナが「死ぬ」ことになっても?
もちろん、たかがゲームのキャラクター。これがFPSだったら殺すのも死ぬのも当然の話で、いちいち悩むような話ではない。ただ、本作のオトナたちの事情を知ると、そこにある種の悲しさが見えてくる。
じゃあ「ことば」で成仏させるのが正解なのだろうか。ただそうするとなると、半強制的に難易度が引き上がってしまう。「オトナ」にはそこまでする価値があるのか?
本作の投げかけるこの問いが、筆者の心には刺さった。
この世の中が辛いのか? 自分自身が辛いのか?
筆者はかつてコドモだった。ただ今では純粋な心を失い、汚れた悲しい存在になっているように思う。これはまさしく本作で描かれているオトナだ。ただ、本作のオトナたちはいずれも、純粋な心を失うに至った経緯がある。なかでも筆者の心にもっとも響いたのが、ボスキャラクターの一人して登場する「ギガントポール」の過去だ。
「ギガントポール」はかつて会社員だったが、社会で活躍できず、家族からは邪険にされ、それでもストレスフルな満員電車に揺られながら会社に通勤し続けた。現在の筆者は会社員ではないものの、かつて会社員だった時代もあったし、「仕事」という大きなくくりで見れば、「ギガントポール」の感覚がわかる。
取引先や同僚から批判されたり、家族と険悪な状況になったりする中、それでも仕事に向かうというのは苦痛だ。満員電車の中でもみくちゃにされながら足を踏まれることも、肘でつつかれることも、罵声を浴びせられることもある。イライラせずにいられなかったことは一度や二度じゃない。
だが……本作をプレイして感じた。「自分のイライラ」を正当化させ、「ファイティングポーズ」をとるのは、果たして正解なのか?
本作は、「ギガントポール」をはじめとするオトナたちとの対話を通じて、プレイヤー自身の心の中にもある「オトナの心」を見せてくれる。「オトナの心」とはすなわち、他人を怒鳴りたいと思う心や、仕事を怠けたいと思う心のように、本作の「オトナ」たちが抱える「負の心」のこと。
「オトナ」たちが抱えるものを無視して「オトナ」を殺してしまえば、「オトナ」が救われることはない。これは同時に、プレイヤーの中にいる「オトナ」も救われないことを意味している。しかし、「ことば」によって「オトナ」を成仏し、救ってあげれば、プレイヤーの中にある「オトナ」もまた救われる。
満員電車はつらい。仕事で他人から批判されたり、家族と険悪な状況になったり、罵声を浴びせられるのは嫌だ。けど、満員電車の中でも席を譲ってくれる人や、体調が悪いときに気遣ってくれる人もいる。仕事で褒められたり、家族で笑い合ったり、嬉しい言葉をもらえることだってゼロじゃない。
それでも、そんな優しい人たちと常に出会えるわけじゃない。ただ、世界でただ一人、自分だけは自分自身の「負の心」に対し、救いの言葉をかけてあげることができるハズ。しかし自分に対して優しい視点を持つためには、そもそも世の中に対して優しい視点を持たなければならない。
人間は、自分の中に基準を持ってしまう生き物なので、他人に対して攻撃的で厳しい視点を持つと、自分自身のハードルも上がり、がんじがらめになってします。つまり、「この世の中は辛い」のは、自分自身の視点が原因となっている可能性がある。
どんな視点で世の中を見るのか?「たたかう」、それとも「ことば」で癒す? 「この世の中は辛い」のだろうか、それとも「意外と優しい」のだろうか?
筆者は、プレイを通じて、心に何かを残してくれるゲームにはプレイする価値があると思っている。そして本作『ストレイチルドレン』はプレイする価値のある一作だ。
ただここまで紹介してきてこんなことを書くのは申し訳ないが、本作は手放しで名作と言える作品ではないかもしれない。前述した『moon』がそうであったように主人公の移動速度が遅い上、ダッシュができないし、一部のミニゲームは難易度が高すぎるように感じた。
これらの理由から万人がプレイして楽しいと感じられる作品ではないかもしれない。しかし筆者のように、世の中へのストレスや、オトナになった自分への悲しみを抱えている人には強くオススメしたい。
本作を『ストレイチルドレン(=迷えるコドモ)』の視点からプレイすることで一度、オトナになった現在の自分のストレスや悲しみと向き合ってみてもらいたい。
(文/田中一広)
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