「労多くして功少なし」とはどんな意味?その由来や類義語は?
努力と結果が見合わないことを「労多くして功少なし」と言います。
しかし、そもそもこの言葉はどのような意味を持つのでしょうか?
今回は「労多くして功少なし」の意味はもちろん、由来や類義語も併せて解説します。
「労多くして功少なし」とは
ここでは「労多くして功少なし」の意味を解説します。
「労多くして功少なし」の意味
「労多くして功少なし」は、苦労が多かった割に効果が少ないことの例えです。
労力をかけることが多い割には、それに対する見返りが少ないことを言います。
ここでの「労」は骨を折るという意味で使用されているのが特徴です。
対して「功」は手柄を得るという意味で使用されているのが特徴です。
つまり、わかりやすく表現すると「無駄な努力」を表現したことわざと言えるでしょう。
「労多くして功少なし」の用い方・例文
「労多くして功少なし」は苦労と効果が見合わない場面で使用します。
・例文1:うちの社長は従業員たちの頑張りではなく成果でしか良し悪しを判断しない人だ。ゆえに労多くして功少なしとなることも珍しくない。
・例文2:どれほどマメに連絡してデートに誘ったとしても相手が振り向いてくれるとは限らない。恋愛は労多くして功少なしの代表的なものである。
・例文3:お人好しな人ほど労多くして功少なし。たくさんの仕事をこなしているにもかかわらず給料は入社時から一切変わっていない。
このように「労多くして功少なし」は本人の努力に対して見返りがあまりないような場面で使用します。
要は無駄な努力に終わってしまった場面に対して使用する言葉となります。
単に苦労が多いことや効果が少ないことを指すのではなく、努力したにもかかわらず見返りがなかったことを表現するので注意しましょう。
「労多くして功少なし」の由来
ここからは「労多くして功少なし」の由来を解説します。
「労多くして功少なし」の出典
「労多くして功少なし」は『荘子-天道篇』の一節が由来です。
『荘子・天道篇』には「今蘄行周於魯、是猶推舟於陸也」「勞而無功、身必有殃」とあります。
これを日本語に訳すと「現代に周のやり方を魯でやろうというのは陸で舟を推して進めようとするようなもので、苦労は多いが利益は少なく必ず問題が生じるであろう」となります。
その一部から「労多くして功少なし」という言葉に変化したそうです。
出典元の『荘子』とは
『荘子』は中国戦国時代の思想家、荘子が書いた書物の1つです。
全33編あるとされ、戦国末(前3世紀末)にまとまった思想とされています。
荘子は道教の始祖ともされる人物で、その思想は「あるがままの無為自然を基本として人為を忌み嫌う」のが特徴です。
現に荘子の思想は俗世間を離れ無為の世界に遊ぶ姿勢で展開されるのが特徴です。
この『荘子』に登場する言葉から来たのが「労多くして功少なし」だったとされています。
「労多くして功少なし」の類義語
ここからは「労多くして功少なし」の類義語を紹介します。
骨折り損のくたびれ儲け
「骨折り損のくたびれ儲け」は、疲れただけで何も得られないことの例えです。
骨の折れることをしても何も得られず、残ったのは疲労だけという状況を表現したことわざとなっています。
その点が「労多くして功少なし」と似ているのではないでしょうか。
ただし「労多くして功少なし」は努力に対して見返りがないことを言います。
対して「骨折り損のくたびれ儲け」は努力に対して疲れが残ったことを言います。
両者は似た言葉ではあるものの使用する状況によってニュアンスが変わることもあるので、上手に使い分けるのがおすすめです。
楽屋で声を嗄らす
「楽屋で声を嗄らす」は、いくら骨を折っても人に認められないことの例えです。
言葉自体は役者が楽屋で稽古をし過ぎて声を嗄らし、本番の部隊で声が出なくなってしまうことを意味しています。
転じて、無駄な努力をすることの例えとして使用されるようになったとか。
その点が「労多くして功少なし」に通ずるものがあると言えるでしょう。
まとめ
「労多くして功少なし」は努力と結果が釣り合わないことを言います。
現代でも「労多くして功少なし」という言葉がぴったりな状況に遭遇することはあるのではないでしょうか。
実際に頑張ったのに何も成果が得られないこともあるはずです。
そんな時は「労多くして功少なし」と表現してみてはいかがでしょう?
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