結城真一郎の隙のない連作短篇集『難問の多い料理店』

結城真一郎の隙のない連作短篇集『難問の多い料理店』

 中央に大きな穴がある物語である。

 ぽっかりと空いた穴は、何でも受け入れてくれるように見える。胸の裡を打ち明ければ、何も言わずに聞き届けてくれそうだ。

 一方で、底の見えない恐怖もある。そこに入ってしまったらどうなってしまうのか。誰にもわからない。ただただ穴は黒々と口を開けているだけである。

 結城真一郎『難問の多い料理店』(集英社)は、2021年に上梓した短篇集『#真相をお話しします』(新潮社)が話題となり、一気にミステリー・ファン以外からも注目されることになった作者の最新作である。六篇から成る連作で、主舞台は同じ場所に設定されている。

 ゴースト・レストランという営業形態をご存じだろうか。新型コロナウィルス流行に伴い、外出を控えた人々がデリバリーで食事を注文することが増えたことで、よく知られるようになった。中華やフレンチ、丼物というように複数の看板、屋号を持っているが実は一つの厨房ですべて調理が行われているような店のことを言う。本篇の主人公はその、ゴースト・レストランのオーナーシェフなのである。東京都港区六本木に、夜だけ営業して客の注文を受け付けている店がある。

 その店に、ときどき奇妙な注文が入ることがある。ナッツの盛り合わせ、雑煮、トムヤムクン、きな粉餅。この最悪な食べ合わせの四品を同時に発注することは、オーナーへの特別な依頼を意味するのである。第一話「転んでもただでは起きないふわ玉豆苗スープ事件」では、この店から配達を請け負っている大学生の〈僕〉が視点人物となる。彼はある日、オーナーシェフから料理ではない届け物を頼まれた。報酬は一万円である。どうやらオーナーシェフは、レストラン経営以外に表からは見えない仕事を手がけているようなのである。謎めいた裏稼業の一つが、探偵仕事だった。

 先ほどの怪しげな四つの注文は、解いてもらいたい謎があるという依頼なのである。ちなみにサバの味噌煮、ガパオライス、しらす丼なら人探し、梅水晶、ワッフル、キーマカレーなら浮気調査だ。第一話でオーナーが解くことになるのは、こんな事件の謎である。

 梶原涼馬という大学生の部屋が火事になった。おそらくは煙草の不始末が原因だと思われる。自力での消火を諦めた涼馬は早々に部屋から脱出し、アパートの各部屋に声をかけて回り、脱出させることにした。そのおかげで幸い住民に死傷者は出なかったのだが、涼馬の部屋から死体が発見された。諸見里優月という女性で、以前涼馬と交際していた人物である。奇妙な目撃証言がある。火が燃え広がっていく中、涼馬の部屋に駆け込んでいった人影があったというのだ。それが犠牲者の優月だったのだろうか。

 依頼を受けてもオーナーは調理場から出ることはなく、配達員たちに調査を任せる。そのときに出される指示は、的外れに見えるものが多く、なぜそんなことを調べなければならないのか、と首を捻らされる。そうした問いの意味は、謎解きの段階になって初めて理解できるようになる。このへんの呼吸は、探偵・ホームズと助手・ワトソンの関係性を描くときにおなじみのものだ。オーナーはほとんど外に出てこないので本作は、現場に行かずに謎を解く安楽椅子探偵ものと定義することができる。

 読者がオーナーに感情移入をしないよう、作者は手を尽くしている。名前を与えないだけではない。その外見も非人間的なのである。「ダークブラウンの流麗なミディアムヘアーにきりっと聡明そうな眉、アンニュイな雰囲気を漂わせる切れ長の目。まっすぐ通った鼻筋しかり、シャープな顎のラインしかり、不自然なまでに完璧すぎるその造形からは、どこか人工的な匂いがしてくるほど」であり、「無機質で無感情」な瞳が特徴的で「すべてを見透かすようでありながら、こちらからは何の感情も窺い知ることができない」と書かれる。穴である。深い穴。何も光を返してくれないブラックホールのような穴。

 各篇の謎解きもさることながら、このオーナーはいったいどんな何者なのか、という疑問が読んでいると湧いてくる。結婚していた男性が交通事故で死亡したことからにわかに持ち上がった疑問を解いてもらいたいという依頼が寄せられる「おしどり夫婦のガリバタチキンスープ事件」、妹の部屋に空き巣が入ったのは何か裏事情があるのではないかと疑う兄が依頼人となる「ままならぬ世のオニオントマトスープ事件」を経て、第四話「異常値レベルの具だくさんユッケジャンスープ事件」では、物語の転換点となるある出来事が起きる。こうして見ていて思うが、各話の題名はレシピ本の見出しのようでほのぼのしているが、内容はそれどころではない黒々としたものが多い。この取り合わせは故意だろう。グロテスクな呪具は、ファンシーな容器に入れられたときにもっともその禍々しさが際立つ。

 入れ物がとにかく特徴的なのである。事件はだいたいどろどろのごたごた、それが無機質で画一化された器に入れて出される。探偵の依頼があればオーナーが「さて、またどこかの誰かさんがお困りのようだ」と言い、推理が結論を導きだせば「それじゃあ、試食会を始めようか」と言ってそれが開陳される。毎話の印象的な題名は、その解決を依頼人に示すためにつけた特別な料理名なのである。スープ限定なのは、解答を注文するのが「汁物 まこと」だから。知る者誠の駄洒落だ。全話で同じ、まったく同じ。これは謎解きのタッパーウェアパーティーだ。

 ここまで定型化された連作というのは最近だと珍しいし、オーナーシェフが感情移入を拒むキャラクターに設定されているのは天才探偵の系譜に則ったものである。つまり道具立ては新しいが、古典的な探偵小説のフォーマットにかなり忠実な作品なのだ。違いはワトスン役が毎回変わることで、違った事情を抱えた配達員がそれぞれの事件を調べる。彼らはみな自分だけの事情を抱えていて、事件を通してそれに向き合うことになる。これは、いわゆる仕事小説のフォーマットだろう。仕事小説とは、なんらかの欠落や不満を抱えた主人公が職業を通して自分と向き合う物語なのだから。ミステリーの謎解きとそれが見事に融合している。誠に隙のない連作短篇集である。

 結城真一郎、いつの間にかすごい短篇作家になっていた。末恐ろしや。この作品、絶対映像化の話が来ると思う。というか、もう打診はされているだろうな。最近の俳優には詳しくないが、私の中ではオーナーシェフは斎藤工のイメージだ。出演料高いかな、無理かな。

(杉江松恋)

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