探偵・明智恭介の語られざる事件簿〜今村昌弘『明智恭介の奔走』

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探偵・明智恭介の語られざる事件簿〜今村昌弘『明智恭介の奔走』

 名探偵は退場を許されないことがある。

 今村昌弘が創造した明智恭介がそうだ。最新作『明智恭介の奔走』(東京創元社)で再登場することになった。明智は今村のデビュー長篇であり、第27回鮎川哲也賞を受賞した『屍人荘の殺人』で登場し、前半の主役となった。彼は神紅大学に通う三回生で、自ら創設したミステリ愛好会の会長である。『屍人荘の殺人』は神紅に入学したばかりの葉村譲がこの明智と知り合い、二人だけのミステリ愛好会活動を始めることから話が始まる。明智が愛するのは謎解き、しかも創作物ではなく、現実のそれを解くことで、学内にチラシを撒いて普段から依頼人を募集している。脳試しとして葉村もそれに付き合わされる。ある人物は学生食堂でどんなメニューを選ぶか、など。解こうと思えば謎はあちこちに転がっている。

 ところが、である。ある理由から明智は『屍人荘の殺人』半ばで物語から退場してしまった。まったく続投が期待できないような形で。コナン・ドイルは自らの創造した探偵、シャーロック・ホームズの物語を書き続けることに嫌気がさし、宿敵モリアーティ教授と相討ちになってライヘンバッハの滝に消える、という形で彼を退場させた。やれやれ、と思ったことだろう。これで好きな小説が書けると。しかし読者はこの作者の仕打ちに激怒した。われらがホームズを殺すとは何事だ、と。その抗議に負け、ドイルは「空家の怪事件」で名探偵を復活させてしまったのであった。

 明智恭介もその手でどうかって。いやいや、『屍人荘の殺人』を読んだ方なら、ホームズと同じ手が使えないことはおわかりだろう。それほどまでに見事な退場だったのだから。今村がとったのは、ホームズ・パスティーシュ作者が常用するのと同じ手段、つまり明智恭介の語られざる事件を小説にするというやり方だった。葉村譲が明智恭介と出会ってから別れが訪れるまでの数ヶ月に、彼らはどんな事件や出来事に遭遇していたのだろうか。『明智恭介の奔走』はそれを描いた連作短篇集である。

 最初の「最初でも最後でもない事件」は、葉村譲がミステリ愛好会に入ってから2週間ほど経ったときの出来事であるという。神紅大学にはコスプレ研究部というサークルがある。大学公認で、部室まで持っている。そこに空き巣が侵入したのである。すでに犯人は捕まっているのだが、その証言におかしなことがあった。泥棒は部室内で誰かに殴られて気絶し、着ていた革ジャンなど身ぐるみを剥がれたと主張しているというのである。コスプレ研にとっては迷惑な風説を立てられるもとであり、事件の真相を把握した上でなるべく穏便に処理したい。そういうわけで、学内で便利屋的に名を売りまくっている男・明智恭介に声がかけられたのだ。

 ところがこの明智は、トラブルを収めるよりも掻き立てるほうが得意な人物だったからたまらない。たちまちのうちにコスプレ研の部員とも軋轢が生じ、間に入らされた葉村が困ることになる、というのが話のあらすじだ。第一作ということもあって中篇の長さがあり、明智のキャラクターを立てるためのエピソードにかなり力が注がれている印象がある。それでも論理の組み立てなどに秀でた部分があり、今村がらしさを発揮している。

 次の「とある日常の謎について」が収録五作の中ではもっとも短篇としての完成度が高い。舞台となっているのは学外、藤町二丁目というところにある寂れかかった商店街だ。視点人物は葉村ではなく、藤町商店街で喫茶店を経営している加藤久夫という初老の男性だ。加藤は、少ない小遣いを使って月に一杯酒場で飲むことだけが楽しみというつつましい生活をしている。その彼が商店街に起きた不可解な出来事に気づくことから話は動き始めるのだ。あるおんぼろビルディングを買収した者があるという。その人物はどうやら、以前の商店街に縁があるようなのだ。買うなら他に建物もあるだろうに、なぜそんなぼろビルを、というのが話の謎である。

 本作でおもしろいのは、短篇ミステリーの古典名作に言及があることだ。明智はミステリー・マニアなので、時折過去作を引き合いに出す。そこから解決への糸口が見つかることもあるのだ。本作では、アレかな、と思っていると、なるほどその作品についての言及があり、それに触れたならそういう展開になるだろうな、と読者は納得することになる。古典ミステリーを読みなれていればいるほど、首を縦に振る回数が増えるだろう。そうやって物語になじませておいて、というひねりが巧く、非常に感心した。過去作への言及という意味では四番目の「宗教学試験問題漏洩事件」も、あれをそういう風に使うか、と唸らされる作品だ。

『屍人荘の殺人』を読んだときは、明智恭介がこんなに愛されるキャラクターになるとはまったく思っていなかった。明智本人も、作者が自分をこんなに起用するとは予想だにしていなかったはずである。まさかこんなことまで書かれるとは、という本人の声が聞こえてきそうなのが「泥酔肌着引き裂き事件」である。泥酔した被害者が気づくと、自分がパンツを履いていないことに気づいた。それはびりびりに引き裂かれて転がっていたのである。不思議なことに上のズボンはちゃんと穿いていたのに、というのが事件の骨子だ。誠にばかばかしい事件だが、奇禍に見舞われたのが明智恭介本人だというのだから笑ってしまう。いったいなんでそんなことになったんだ、明智。

 探偵が初登場、即退場した例には、古くはE・C・ベントリー『トレント最後の事件』(創元推理文庫)があり、麻耶雄嵩『翼ある闇』(講談社文庫)のメルカトル鮎もそうである。初登場即というわけではないが、T・S・ストリブリングの創造した名探偵・ポジオリ教授が『カリブ諸島の手がかり』(国書刊行会、河出文庫)で退場しながら要請を受けて再出馬した例もある。そうした再登場探偵の系譜に明智恭介も連なることになった。書下ろしの「手紙ばら撒きハイツ事件」では葉村と出会う前の彼が描かれる。この先どのくらい明智の活躍が読めることになるのだろう。作者は知恵を絞って舞台を考えなければならないだろうが、読者としては無責任に楽しみである。

いまむらせんせいあけちさんのおはなしをもっとかいてください。

(杉江松恋)

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