【インタビュー】映画『あんのこと』入江悠監督が語る「あん」が居た場所/“最悪だったコロナ禍”と“社会の不寛容さ”

──はじめて、生きようと思った。
窓を開け、風を頬に受けて、その先に広がる世界を肌で感じた。
そんな彼女の心を、突然のコロナ禍が容赦なく削り取っていく。

映画『あんのこと』は実際にあった事件をもとに製作されています。発端となる1本の新聞記事を読んだ入江悠監督が、綿密な取材で得た証言や複数の事件、資料と向き合って脚本を紡ぎました。

「自分がこれを描かなければいけない」入江監督にそのように思わせた心情について、今回直接伺ってみました。

入江悠/監督・脚本
1979年生まれ、神奈川県出身、埼玉県育ち。 日本大学芸術学部映画学科卒業。
『SRサイタマノラッパー』シリーズ、『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』(2011)、『ビジランテ』(2017)、『AI崩壊』(2020)、『シュシュシュの娘』(2021)、『映画ネメシス 黄金螺旋の謎』(2023)など。

僕はたまたまコロナ禍で生き残った

──この作品の最初のインスピレーションを新聞記事から得られたと伺いました。

入江悠監督:はい、最初は新聞記事ですね。この『あん』の元になった女の子の話では、コロナの前ぐらいから薬物依存と戦って学校に通い出したということがあったんです。記事を読んで、「これは映画の脚本にしたい」と思い、記者さんに取材へ行って話を伺って、少しずつ作り上げていった感じです。

その記事が載っていた媒体とは別のところで違う出来事も起きていたんですが、ただの美談だけではない人間模様があったので、それも脚本に入れ込んでいます。

──じゃあ、いくつかある事実が組み合わさって構想として成立して行ったんですね。

入江監督:ただ、最初のきっかけというか動機としては、2020年のコロナの時の空気感を残しておきたいというのが強かったですね。

──監督がこの作品を手掛けるにあたり、同情を誘うような距離感では絶対お作りになってないっていうのは感じたんです。すごくフラットな目線というか、 カメラワークも寄り添う感じがすごいと思いました。
監督は「香川杏」というキャラクターとの距離感を、どういう風に取ろうとお考えでしたか?

入江監督:これは、事前に(モデルとなった女の子のことが)全くわかんなかったんですよね。どういう子だったんだろう。その容姿とか喋り方も含めて、ひたすら想像していくんですよ。この女の人ってどんな人だったんだ、みたいな。

先ほどおっしゃったように、同情の対象として描くんじゃなくて「この人は何を考えてたんだろうか」とか「こういう時、何を思ってたんだろうか」みたいなことを想像するんですけど、想像すればするほどわからなくなるんですよね。

僕自身はそのコロナ禍を“生き残った”側なんですけど、「上から目線」みたいなことは絶対にやめようと思って描きました。撮影しながら少しずつ、カメラと杏との距離感がなんとなく見えてきた感じですね。

──同じ目線であろうというのはすごく伝わってきました。作品冒頭は、もう「空っぽのあん」と「空っぽの街」が象徴的でした。この2020年に何があったのかという描写でした。

入江監督:僕がコロナ禍で死ななかったのは、ただの偶然だなと思っています。僕ひとりだけだと、どんどん袋小路にはまってくいんですけど、幸いにも映画製作っていろんなスタッフがいるので助けられました。

『PLAN 75』(2022年)などを撮られたカメラマンの浦田秀穂さんが「この距離感でこう構えた時、これだったら杏っていう人が捉えられるかな」といくつも試してくださり、それによって被写体との距離感がわかってきたというのもあります。かなりいろんなスタッフに救われた部分がありますね。

──撮影中は、監督も心情的にしんどかったですか?

入江監督:やっぱり撮っててしんどいですよね。基本的にハッピーなシーンがそんなにないですからね。

──おそらくこの作品のテーマでもある、何かを「積み上げていく」「満たされていく」っていうのはとてもホッとする部分でもありますし、それが失われるのはあらゆる描写の中でも、最もつらい部類に入ると思います。

入江監督:ただ、(主演の)河合優実さんがね、ふとした拍子に見せる顔が、すごく良かったりとか。笑ったりするとね、すごくこちらも嬉しくなるんですよね。それは大きな発見ででしたし、救われた部分は大きいですよね。

──作中「サルベージ赤羽」の場面で河合さん「杏」の初めて見せる笑顔、見ていてすごく癒されました。

入江監督:本当にドキュメンタリーを撮っているような、撮りながら僕も感情が動いていった感じです。

──撮り進めるに従って、監督自身も一緒に入り込んでいったんですね。

入江監督:そうですね。よく「演技指導どうしたんですか」って言われますけど、そういうのは一切してなくて。
泣いてもいいし、笑ってもいいし、声大きくしても小さくしてもいい。僕は本当にただ脚本を書いて、いろんな衣装とかを一緒に考えて、あとは撮影の時にもう横でじっと見てた、っていう感じに近いんですよね。

役者は巫女のような仕事なのかもしれない

──緻密なオーダーをされてたのかと思ってました。

入江監督:ないです、ないです。(作品の性質上)俳優が演じてても、その心情はきっと辛いじゃないですか。
だから負担がかかりすぎないようにしようとは思ってました。けれど、何かをこちらからディレクションするみたいなことはなかったです。
そういう意味で言うと、映画監督は英語ではディレクターって言いますが、現場での僕はディレクターではなかったかもしれないですよね。

──舞台というか、環境を整えて引き出す役割ですね。

入江監督:そうです。なるべく環境だけは整えようと思いました

──河合優実さんをはじめとする、皆さんの芝居を引き出す重要な役割を。

入江監督:いやいや、引き出したとかないですよ。彼女について言えば、彼女がいろんな角度から、役のモデルとなった人に対してすごく真摯に向き合ってるなと思いました。ひたすら敬意を払って向き合ってるな、と思いましたね。

──とても感じました。

入江監督:歩き方とか、ちょっと猫背の感じとかも含めて、うん、なんだろうな……どっか品があるというかね。
河合優実さん自身も、なんとなく、こう、スッと体に入ってきた感じを演じてるみたいなとこがあって。
言葉が難しいんですけど、降ろしてくる感じが巫女さんみたいだなとか思ったりしてました。俳優ってもしかしたらそういう仕事なんじゃないかとかも現場で思ったりしましたね。

──佐藤二朗さんや稲垣吾郎さんも同じ感じでしたか?

入江監督:佐藤二朗さんはすごくアイデアが豊富なんです。演技することがとても好きな方なんで「こうしたらどうか」とかたくさん提案してくださいました。「監督、ちょっとやりすぎてたら言ってくださいね」って言いながら、道にツバをペッて吐いたり(笑)。

──ものすごく粗野な感じが、そのこと自体は決して良くないんですけど「良いなぁ」って思いました(笑)。

入江監督:「なんか昭和の刑事っぽいですよね、こういうの」とかって言いながら、どんどんアイデア出してくれるんですよね。河合優実さんや稲垣吾郎さんは、なんとなくこう、役がスッと降りてくるのを待ってるみたいな感じでした。

──知っている役者さんのはずなのに、途中から役者の河合優実さんとか稲垣吾郎さんとか佐藤二朗さんだった、ってことがわからなくなるくらい、“役柄”が勝っていました。
では、オーダーというほどのオーダーは無く、空っぽのところにいろんな人たちが何かを埋めていってくれたような感じでしたか?

入江監督:本当にその通りだと思いますね。元になった事件があったからこそ、こっちから何か押し付けちゃいけないと思っていました。「1回、空っぽのまま向かい合おう」みたいなのがあって、そこにいろいな人がいろいな目線を加えてくれました。

──その「空っぽからのスタート」は、最初にみんなで意思統一してから?

入江監督:いえ、書いた脚本だけあって、皆さんどう読みますか、と。そしてそれもどんどん変わっていくんですよ。終盤も撮ってるうちに二朗さんたちと話しながら「やっぱりなんかこれ、こうした方がいいですよね」って変わっていきました。

あの最悪の閉塞感を記しておきたかった

──この言葉が正しいかわからないんですが、ステレオタイプな描写ではなく、“本当に居る人”だって思いました。撮ってらっしゃった皆さんのその時の心境が、映像の中にぎゅっと凝縮されているような。

入江監督:コロナ禍をどう過ごしたかって人それぞれだったと思うんですけど、僕自身はいろんなことが閉じられていく閉塞感が結構しんどいなと思っていました。
僕がフリーランスの人間だからというのもあるかもしれません。急に災害が起きるとかじゃなく、ずっとじわじわ、じわじわ苦しいみたいなのが本当嫌なんですよね。

特に社会が寛容さを失っていくような空気が、もう最悪だなと思っています。そういう、自分が嫌なものを「皆さんはどうですか?」と訊きたい気持ちがあります。

──あの時の気持ちを記憶しておきたいっていう思いもあり、一方でみんなに同意を求めたい気持ちもあり。

入江監督:またああいうことってあるだろうなって予感もあるんです。ウィルスとは違う形かもしれないけど、閉塞感が一気に充満するみたいなことって、 多分また起きると思うんですよね。その時になんかちょっとでも良くなっててほしいなと思っているんです。

──『AI崩壊』みたいにドラスティックなことが起きるよりも、じわじわと詰められていく方が怖い。

入江監督:じわじわ崖っぷちに追い詰められていくみたいなのは本当に怖いですね。
今回描いてないですけど、インターネットとかもそうです。SNSってどんどん普及しているけど、10年前よりなんだか息苦しくなってないか?って。

それに対してどうしたらいいかってのはわからないんですけど、それこそ『AI崩壊』とは違うアプローチを今回はしたという実感はあります。

──たとえばですが、SNSなんかの持つ新たな閉塞感をテーマに次の作品を描く可能性も?

入江監督:そうですね。僕は多分、そういう息苦しさに対する恐怖心が人一倍あって、ひとりで抱えていたくない感情が強いと思うんです。

映画ってどんなフィクションでも、ある種ドキュメンタリーみたいな側面があって、その時代が生んでいる一面があるでしょう。今回の作品では「2020年っていう時に自分が居たっていうこと」が今回見つめられた気がしていますから、5年後かわからないですけど、こういうアプローチでまた映画を作りたいなとは思います。

──『あんのこと』は孤独の描き方がすごくセンシティブだったんで、監督の孤独に対する怖さとか切なさがものすごく伝わってきました。次回作も楽しみにしています!

入江監督:ありがとうございます。

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誰かが新しい場所に向かって何かを積み上げていく。空っぽだったところに何か新しいものが満たされていくとき、それを幸せと呼ぶのかもしれません。

「断裂」や「社会の不寛容さ」といったひとことでは言い表せないものを逆説的に描いたこの作品が、残酷でありながらもただの悲壮な物語にしていないのは、監督の絶妙な間合いと、役者陣の痛烈な力量によるところだと思います。

人間の繋がりを描いた傑作を、是非ご覧ください。

『あんのこと』

新宿武蔵野館、丸の内TOEI、池袋シネマ・ロサほか全国公開中
河合優実 佐藤二朗 稲垣吾郎
河井青葉 広岡由里子 早見あかり
監督・脚本:入江悠
製作総指揮:木下直哉 企画:國實瑞惠 エグゼグティブプロデューサー:武部由実子 プロデューサー:谷川由希子 関友彦 座喜味香苗 音楽:安川午朗 音楽プロデューサー:津島玄一
撮影:浦田秀穂 照明:常谷良男 録音:藤丸和徳 編集:佐藤崇 音響効果:大河原将 美術:塩川節子 スタイリスト:田口慧 ヘアメイク:大宅理絵 金田順子
助監督:岡部哲也 キャスティングディレクター:杉野剛 制作担当:安達守 ラインプロデューサー:山田真史
製作:木下グループ 鈍牛倶楽部 制作プロダクション:コギトワークス 配給:キノフィルムズ © 2023『あんのこと』製作委員会 PG12
上映時間:114分 公式サイト:annokoto.jp 公式X:@annokoto_movie [リンク]

オサダコウジ

慢性的に予備校生の出で立ち。 写真撮影、被写体(スチル・動画)、取材などできる限りなんでも体張る系。 アビリティ「防水グッズを持って水をかけられるのが好き」 「寒い場所で耐える」「怖い場所で驚かされる」 好きなもの: 料理、昔ゲームの音、手作りアニメ、昭和、木の実、卵

TwitterID: wosa

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