「九牛の一毛」とはどんな意味のことば?その由来や類義語は?
多数の中の極めて一部分のことを「九牛の一毛」と言います。
これらは取るに足らないことの例えとしても使用されます。
しかし、それがなぜ「九牛の一毛」なのでしょうか?
今回はそれら「九牛の一毛」について解説します。
特にここではその意味と由来、語源について説明します。
「九牛の一毛」とは
まずは「九牛の一毛」の意味について見ていきましょう。
「九牛の一毛」の意味
「九牛の一毛」とは多数の中の極めて少ない一部分の例えです。
9頭の牛における1本の毛くらい少ないという例えです。
これらは近年、取るに足りないことの例えとしても使用します。
実際に大多数に比べると些細なことであることを言う表現としても使用されることが多いです。
見た目に対しては用いないので注意
「九牛の一毛」は見た目に対して使用することはありません。
一見すると1本しか毛が生えていないことを言う言葉のように思えますが、それは違います。
9頭いる牛の中での1本の毛という意味があるわけです。
つまりはたくさん体毛が生えている9頭の牛にとって、少量の毛など取るに足らないことだということです。
そこから転じて、些細なことを指すようになりました。
「九牛の一毛」の由来
では「九牛の一毛」はどこから来た言葉なのでしょうか?
史記をまとめた司馬遷が友人に送った手紙の一節から
「九牛の一毛」は古代中国の「文選」に収録されている手紙の一節から来ています。
特に前漢王朝の時代、歴史家として活躍していた司馬遷の文章から来ていると考えられています。
その昔、司馬遷は皇帝の怒りを買い、極刑の宣告を受けます。
後に彼はその時のことを振り返り「もし自分が死刑になったとしても『九牛の一毛を亡う』ようなもので、世間には何の影響もなかっただろう」と述べたそうです。
つまり、たくさんの牛の中で1本の毛が失われるくらい些細なことだったろうと言ったわけです。
そこから取るに足らないようなことを「九牛の一毛」と表現するようになったとされています。
屈辱的な刑を受けたのは大いなる仕事をやり遂げるため
死刑宣告を受けた当時の司馬遷は歴史書を執筆中でした。
当然、彼自身が死ぬことは世の中にとって些細なことだったものの、彼自身は死ぬにも死ねない状況だったのです。
そのため、死刑の代わりに宮刑という屈辱的な刑罰を受ける道を選んだのだとか。
その結果、不朽の名著「史記」を後世に残すことができたとされています。
宮刑とは生殖器を切り落とす刑のこです。
当時、生殖器を失うことは何よりも屈辱だったに違いありません。
しかし、そうまでして司馬遷は歴史書を完成させたかったということでもあるわけです。
事実、その刑罰を選んだことで生き延び、超大作を完成させることができたと言えます。
同時に生まれた言葉「命を鴻毛の軽きに比す」「木石に非ず」
司馬遷の文章から生まれた故事成語は他にもいくつかあります。
それが「命を鴻毛の軽きに比す」と「木石に非ず」などです。
最後にこれら「命を鴻毛の軽きに比す」「木石に非ず」についても見ておきましょう。
「命を鴻毛の軽きに比す」とは
「命を鴻毛の軽きに比す」とは大切なもののためであれば、命を捨てても惜しくないことの例えです。
司馬遷が皇帝の怒りで極刑宣告を受けたのは前述の通りです。
しかし、そこで「死はある時は泰山よりも重く、またある時は鴻毛よりも軽い」とも述べていたのです。
彼はその言葉で「何のために生き何のために死ぬかが大切だ」ということを説いたとされています。
そして、執筆中の歴史書を書き上げるため、死刑の代わりに宮刑を受けて生き永らえる道を選んだのです。
転じて、譲れないことのために命を捨てるくらいの覚悟を持つことを言うようになったとされています。
「木石に非ず」とは
「木石に非ず」とは人間は感情を持つ弱い存在であるということです。
もともと司馬遷は正しいと思って行ったことが原因で皇帝の怒りを買うことになってしまったとされています。
そして死刑の判決を受けた際に「私の体は木や石ではないのに」と嘆いたのだとか。
これは牢獄に閉じ込められたにもかかわらず、誰も助けてくれる人がいなかったことを回想した際の言葉とされています。
もしかしたら覚悟を持っていた司馬遷も、周囲はもちろん自分自身も弱い存在だと思っていたのかもしれません。
まとめ
「九牛の一毛」とは取るに足らないことの例えです。
大多数の中においては些細なことであることを言った言葉です。
これらには多数の中の極めて一部分のことという意味もあります。
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