辛かった思い出も細やかに描く〜村山由佳『記憶の歳時記』
ある編集者と雑談をしている時、作家という職業の人たちについてとても印象的なことを言っていた。
「作家は、いろんなことをよく覚えている人が多いですね。昔のことも、細かい部分まで鮮明に記憶に残っているみたいで驚くことがあります」
何かを表現する力とは、記憶しておく力と深い関係があるのだろうか。なんでもすぐに忘れてしまう私だが、このことは覚えておこうと思った。
このエッセイも、作家の豊かな記憶が題材になっている。「歳時記」とタイトルにあるから、自然の美しさや丁寧な暮らしが描かれているのではないかと思ったが、読んでみるとだいぶ印象が違う。季節ごとの行事、家族の思い出、子供の頃から親しんだ着物、愛してやまない猫たちなど、ふんわりと優しそうなテーマに、ざらっとした手触りの記憶が混ざるのだ。理不尽な扱いを受けたこと、苦い恋愛、二度の離婚にまつわる出来事、そして長年に渡る母との確執……。エピソードの一つ一つがとても細やかに描かれていく。その時に著者の目の前にあった光景や、気持ちの変化が鮮やかに伝わってくる。
印象的だった著者の記憶の一つが、小学校の時の出来事だ。図工の時間に絵を描いて、筆をビニール容器の中で洗ったら、水がきれいな色に染まった。容器ごと取っておいて、時々眺めていたところ、苦手だった先生から咎められ「だらしないところは、昔からちっとも直っていない」と言われてしまったという。
子どもって変なものを大事にするよね、と笑い話の枠に収めることもできるエピソードだ。だけど著者は、美しい色の水を大切に思ったことも、取っておいた理由を説明できなかった悔しさも、ごまかさずに丁寧に描いている。他人の記憶のはずなのに、心がきゅっと痛くなったのは、著者の記憶に刺激されて、同じくらいの年齢の時にあった忘れていた出来事を鮮明に思い出してしまったからだ。
記憶って、砂のようなものなのかもしれないと思う。細かく崩れた状態にはなっているけれど、失われてしまったわけではないのだ。私の中に残っていたものが、村山氏の記憶に呼びかけられるようにして集まってきて次々に形になっていく。村山氏の静謐な文章は、辛かった思い出も元の形より少し丸くしてくれている。悲しかったことも苦しかったことも自分の一部なのだと、心から思えた。このエッセイに出合わなければ、そんなふうに過去と向き合える日は来なかったと思う。
「私生活が幸福であることは小説家にとっての不幸」だと思っていた著者だが、最近は毎日が満ち足りていることを怖いと思わなくなった」と書いている。たくさんの苦しみと悲しみを乗り越えて、今幸福に暮らす著者だから、このエッセイを読者に贈ってくれたのかなと思う。この本を読んだ後には、ぜひ実在の人物である阿部定を主人公にした小説『二人キリ』(集英社)も読んでいただきたい。これも、想像とはかなり違う一冊だった。予想していたよりも、ずっと深く心に刺さる小説だ。
(高頭佐和子)
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