癖になるスパニッシュ・ホラー〜マネル・ロウレイロ『生贄の門』

癖になるスパニッシュ・ホラー〜マネル・ロウレイロ『生贄の門』

 謎が解かれた後に残るものは希望か絶望か。

 論理的な解明を旨とするミステリーを、論理を超えた不安や恐怖の醸成を目的とするホラーと融合させた作品はこれまでも数多く書かれている。スペイン作家マネル・ロウレイロが2020年に発表した長篇『生贄の門』(宮﨑真紀訳/新潮文庫)もその一冊で、この技法がどのような可能性を秘めているかを見せてくれる佳作であった。

 物語の舞台はスペイン北西部のガリシア州、セイショ山系のビアスコンである。小説の冒頭では、そこで起きた惨劇の模様が描かれる。二人の男が風力発電機の修理をするため山中に分け入り、そこで信じられないものを見てしまう。後に別の登場人物視点で描かれることになるその事件とは、若い女性が殺害され、遺体のてのひらに自らの心臓が置かれた状態で発見されるというものだった。かたわらにはもう一つ、喉笛を切り裂かれた男の死体が。これは冒頭に登場する不幸な目撃者である。

 主人公を務めるラケル・コリーナは、自ら異動願を出してこの辺鄙な地域にやってきた捜査官だ。もともとの所属は治安警備隊視覚捜査中央部隊、一般の捜査官には手に負えない犯罪現場を、蟻の這いでる隙もないほど細かく、ミリ単位で捜索するのが仕事という、その道の専門家だった。それが自ら閑職を選んだのには訳がある。最愛の一人息子・フリアンが脳腫瘍のため余命いくばくもないという診断を受けてしまった。藁をもすがる思いでさまざまな代替医療にも手を出したラケルは、ネット上で一人のヒーラーを探し当てた。ラモーナ・バロンゴというその女性は、医師に見放された末期癌患者をもう何人も完治させたというのである。住居のある首都マドリードから何時間もかけて面会に来たラケルに、ラモーナはフリアンを絶対に治せると請け合った。他に選択肢はない。ラケルは自らの未来を投げだし、僻村でヒーラーに息子を託す道を選んだ。

 だが実際にビアスコンに赴任した彼女を待ち受けていたものは失望だった。いるはずのラモーナが行方不明になり、彼女につながる道筋にいた人々もことごとく消え失せてしまっていたのだ。やむをえずラケルはアガタという老婦人の住む屋敷を間借りし、ラモーナを捜しながらビアスコン駐屯地で勤務につき始める。着任早々彼女が直面することになったのが、前述の奇怪な殺人事件だったのである。

 最初から不穏な空気が漂っている。家主のアガタは好人物だが、その館であるカサ・グランデには奇妙な点が多かった。扉で閉ざされた館の一画には決して足を踏み入れないように親子は忠告された。到着早々フリアンは、初対面の少女と親しげに話し始める。だが、ラケルには、息子が話している相手はまったく見えないのだった。脳腫瘍の末期症状で幻覚を見てしまっているのだろうか。それとも。変事はそれだけではなく、ラケル自身も館ではいるはずのない人々を目撃することになる。

 無惨な殺人事件の起きたセイショ山の頂は、普段は誰も足を踏み入れることのない場所で、地元ではポルタレンと呼ばれている。ガリシア語のポルタ・ド・アレンを短縮したもので、スペイン語に直せば「冥界の門」という意味になる。この世とあの世がつながっている場所ということで、三千年前にはケルト人の聖地であった。この先住民の信仰がどのように事件に絡んでいるのか、ということが謎解きの鍵になる。最先端の科学捜査に従事していたラケルがそうした土俗的なものといかに切り結んでいくかということが中盤の興味になっており、ホラー的要素が顔を出すまでの読み味は完全に警察捜査小説のものだ。その緊密な構成が崩れ、中からどろりと怪しいものが顔を出す。その崩壊点がどこに来るかがまったく予測できないので、読者はもどかしい思いでページをめくらされることになるのである。

 小説の中心にいるのはラケルだ。彼女は捜査官という公の職分だけではなく、母であるという私の理由でもビアスコンに縛られている。前述したように愛児フリアンの病を治してくれるはずのヒーラーを捜し続けているからだ。大方の読者が予想するように、そうしたオカルト的な治療がうまくいくはずはない。いや、虚構の中だから奇跡が起きる余地はいくらでもあるのだが、魔法医者のおかげで現代医学が見放した難病が治りましためでたしめでたしでは、読者を納得させることはできないのである。ハッピーエンドにするにせよ、その逆にせよ、奇跡を起こすためにはプロットのひねりと、着地を成功させられるだけの準備が必要なのである。それにしくじればすべては台無しだが、と思いながら読み進めていくと、意外極まりない結末に辿り着く。合理と超常現象、不可避の悲劇とエンターテインメントとしての結末、そしてラケルという主人公の一貫性。これらをすべて満足させるにはこれしかないだろう、と深く頷いたのである。広げられた風呂敷は綺麗に畳まれた。しかも、ホラーとしての不気味な余韻も残して。お見事である。

 解説は日本におけるホラー研究の第一人者風間賢二が書いている。そこで初めて知った用語なのだが、本書には地方の孤立した共同体などを舞台とするフォークホラーの構造が備わっているという。先行作品でいえばトマス・トライオン『悪魔の収穫祭』(角川ホラー文庫)などがこのフォークホラーに分類されるのである。翻訳の宮﨑真紀は、昨年出版されたマリアーナ・エンリケス『寝煙草の危険』(国書刊行会)などのスパニッシュ・ホラーを近年精力的に紹介し、注目を集めている存在だ。解説によれば、作者のマネル・ロウレイロには〈スペインのスティーヴン・キング〉なる異名が奉られているそうで、今後が楽しみな逸材である。そうか、スペインなのか。スパニッシュ・ホラー、どんどん翻訳してもらいたい。この感じ、癖になる。

(杉江松恋)

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