不思議に満ち満ちた「杳」をめぐる物語〜小松万記『幻想命名記』

 緑沢伊織(みどりさわいおり)は、取材場所として指定された関東の山奥へと向かっていた。画業を生業とするも、安い挿絵の仕事で日々を暮らしている彼にとって、大手出版社を介して舞い込んだ小説家からの依頼は願ってもないものだった。そのため、取材の内容も依頼者の素性も事前に確かめず出向いた伊織を待っていたのは、自らを「宇宙人」と名乗り、派手な星型のサングラスをかけた外国人の男性・ミカだった。

 彼は伊織に挿絵を依頼した理由について「君にしか描けないと思ったから」だと言い、山を登りながらこう語る。「君は『杳(よう)として知れない』という言葉を知ってるかい?」「行方や動機が判明しない 暗くて見定めがたい明確でないものって意味だ」と。怪訝な顔の伊織に、ミカはさらに話を続けた。「その言葉が一番しっくり来たから 僕は略して杳と呼んでるんだけど…」それはミカと伊織にしか見えない、「ある存在」のことを指していた。

 のっけから満ち満ちた不思議の数々に、胸が躍った。「人間の空想と自然の間にある曖昧なもの」とされる「杳」も、彼らの存在を当然のものとして愛おしむミカも、何もかもが謎ばかり。そして僻地まで駆り出された伊織はと言えば、かつて画集としてまとめるほどに描けた「杳」を、今では見ることすらかなわなくなっている。彼の目が「杳」を捉えると、同時にそこには人形(ひとがた)の真っ黒い影が浮かび、伊織を苦しめるのだ。それもまた謎の一つであり、物語の重要なキーとなる。

 1話読み切りの連作形式で描かれた本作は、『月刊コミックジーン』で連載されている。各話ごとに登場する印象的なフレーズは、古の人々による格言やことわざで、その言葉たちは本作における不思議を静かに彩っていく。

 さて、懐事情により結局「杳」を描くことになった伊織は、ミカとコンビを組んであちこちに出向いていく。積極的に「杳」を名付け、記録したいとテンション高く話すミカに、頭を抱えながらも対応する伊織。凸凹なバディの様子はほほえましく、そのコミカルなやりとりと、「杳」と二人の過去をめぐるシリアスな謎解きのバランスがいい。

 巻末には「杳」たちが、二人によって記録したとされる『鈴賀原陸遊鯨(すずがはらろくゆうくじら)』としてまとめられている。そして紙の書籍では、カバーをめくった下の表紙にもイラストが収録されていて、著者の筆と想像力をより堪能できる。もし紙版を手にしていたら、ぜひめくってみてほしい。

(田中香織)

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