【栃木県旧二宮町(真岡市)】二宮尊徳の名を残すままに
日本中では目まぐるしく、日々いろんなイベントがひらかれている。「そんな日本には、どのような土地があるのだろう」と、写真家として活動している私(仁科勝介)は、“平成の大合併”時に残っていた、旧市町村をすべて巡る旅に出た。その数は2000を超える。
今回、地域や自治体、企業の取り組み、新商品などの情報を発信するニュースサイト「ストレートプレス」で、それらを紹介する機会をいただいたので、写真を添えて連載をスタートした。
「ストレートプレス」内に登場するローカルな市町村と、関係があるかもしれない。
今回は、栃木県旧二宮町(真岡市)を写真とともに紹介する。
Vol.117/栃木県旧二宮町(真岡市)
日本を巡っていると、「二宮」の地名に出会うことはたまにある。およそ由来は神社からきていて、「二之宮」の神社があったりするわけだ。ただ、栃木県真岡(もおか)市の旧二宮町は違う。「二宮尊徳」が村落を復興させたことによる、二宮町なのだ。神奈川県小田原市で生まれた二宮尊徳は、この地(桜町)へ30代後半で家族とともに移住し、当時貧しかった桜町の復興のために身を尽くした。
ということを、二宮尊徳資料館へ訪れて、今までそのことを知らなかったわけだけれど、学んだ機会なのであった。
全国各地で、二宮尊徳の少年時代の像を見かけることも多い。その土地と二宮尊徳にどれぐらいの関わりがあったのかはわからなくても、いかに二宮尊徳が、人々から敬愛されているかは毎回感じられる。旧二宮町ではその二宮尊徳が、直接復興のために身を尽くした。それは見違えるように集落が良くなっていったんじゃないか、と思いきや、違った。資料館で二宮尊徳の動画を視聴すると、集落の人々とうまくいかずに苦しんだ時期もあったと。でも、それを乗り越えての二宮尊徳なのであり、人々の暮らしのことを第一に考えた思想が今も愛されているわけであり、余計にかっこよく感じられた。
(仁科勝介)
仁科勝介(Katsusuke Nishina にしなかつすけ)/かつお
写真家として活動。1996年、岡山県倉敷市生まれ。広島大学在学中に、日本の全1741の市町村を巡る。
『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)、『環遊日本摩托車日記(翻訳|邱香凝氏)』(日出出版)をはじめ、2022年には『どこで暮らしても』(自費出版)を刊行。
旧市町村一周の旅『ふるさとの手帖』:https://katsuo247.jp
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