人間の深部を覗き込む物語〜ハーディング『呪いを解く者』
憎悪は心を侵す毒となる。誰よりも、自分自身にとっての。
当代随一の幻想作家、フランシス・ハーディングの長篇が翻訳された。『呪いを解く者』は2022年の作品で、ハーディングにとっては第十長篇にあたる。今回の舞台となるのは霧に包まれた沼の森〈原野(ワイルズ)〉を抱えた、ラディスという架空の国だ。ラディスの人々は〈小さな仲間〉と呼ばれる存在を怖れていた。外見がクモによく似た〈小さな仲間〉には呪い人を生み出す能力が備わっているのである。誰かに対する憎悪に囚われた人間が呪い人になる。呪いにかけられた人間は、別のものに変貌してしまうのである。動物や無生物、自然現象といった何かに。呪い人はラディスの社会を脅かす脅威と考えられ、捉えられると〈赤の病院〉という施設に幽閉されることになっている。
コンビを組んで旅をする15歳の少年少女が本篇の主人公だ。ケレンは人にかけられた呪いをほどく能力を持っている。呪いは目に見えないが、誰かから投げかけられた網をほどいて無化してしまう感覚とでもいえばいいのだろうか。その力が勢い余ってか、最近のケレンは周囲にあるものをなんでも無意識のうちにほどいてしまうようになっていて、力を抑制するため鉄の手袋をしている。ケレンの相棒がネトルだ。ネトルはかつて呪いをかけられていたことがあり、ケレンによってそこから解放されたのである。呪いをかけたのは、彼女の継母だった。継母は血のつながらない四人の子を疎ましく思い、呪いをかけて鳥にしてしまった。サギにされたネトルは回復したが、カモメにされた兄のヤニックは人間に戻ることを拒み、今も鳥の姿でいる。四人のきょうだいのうち一人は、鳥にされたことが原因で命を落とした。この経験は今もネトルの心に深い傷を残している。
この二人がさまざまな呪いをほどいていく。ほどくは漢字で表せば解く、である。かけられた呪いを解くためには、誰が呪い人なのかを突き止める必要がある。つまり犯人捜しだ。だからケレンとネトルは、風変りな探偵のようにも見える。おや、今回の物語はコンビ探偵がいろいろな事件を解決していく話なのかな、と思って読んでいると、様相が変わっていく。異議を申し立てる間も与えず二人を雇い入れたゴールという男は、どうやら何らかの政府機関に属しているらしいのだ。ゴールが戦っている組織の存在も明かされ、その対立構造が推進力を作り出す物語であることがわかってくる。
ハーディングの描く主人公は、なんらかの理念を信奉し、組織に服従することが似合わない人々だ。彼らには彼らの生きるための目的があり、それが特殊であるためにしばしば他人と相容れないのである。たとえば三番目の邦訳作となった『影を呑んだ少女』(創元推理文庫)は、清教徒革命ただなかの英国に舞台が設定されていた。王に服従を誓う者と背く勢力との間で国土は二分され、いずれかの陣営に身を置かなければ生き残ることも難しかったのである。だが主人公のメイクピースには、どちらに属することもできない事情があった。彼女が特異な体質であることは誰にも知られてはいけない秘密であり、それをひた隠しにしていることで孤立してしまう。これが『影を呑んだ少女』に施された仕掛けで、孤独にしか生きられない主人公が、放浪の果てに自分を曲げずに生きられる場所を見出すという物語なのである。
『呪いを解く者』のケレンは激怒しやすく、誰の言葉も曲解して受け止めるような性格だ。それをいなして手綱を引き、ケレンが暴走しないように見張っているのがネトルで、二人で一人のコンビなのである。これまで訳されたハーディング作品はすべて少女の視点で語られていたので、ケレンのように少年が主役になるのは珍しい。ただし物語の真の主人公はネトルで、ケレンは彼女の心を形にするための反響板のような存在であることがだんだんわかってくる。ネトルは、誰にも言えない哀しみや苦しみを心の中に押し込め、最も近いケレンにさえそのことを言わずにいる。鳥にされてしまっていた時の記憶が今もネトルを縛っていて、現在の体が「自分の居場所のように感じられない」「人が多いところにいて、その一員のようなふりをしている」ためにひどく緊張していて「前は飛べたのに、いまは飛べない」という違和のために実は疲弊しきっている。このよるべなさはハーディングの主人公が抱える特徴だ。
ケレンとネトルはゴールによって一方の陣営に引き込まれる。そのため物語の前半では、彼らがある組織と闘うことになるのである。これは非常にハーディングらしからぬ展開だ。世の中を二つに分け、それぞれにレッテルを貼るような単純さを最も嫌うのがこの作者だからである。しかしこれは物語の仕掛けというもので、対立構造の中に組み入れられた二人は、やがてそこからはみ出し、彼らだけが持つ目的意識によって動き出すようになる。その中でケレンとネトルの間にさえ共有できない要素が生まれてくる。自分の中にあるものは自分だけにしか見えない、誰とも共有できないとわかったとき、彼らはいったいどうするのだろうか。そこが彼らにとって最も大事な局面となる。
一口で言えば憎しみの感情についての物語である。ラディスの呪いは憎しみから発せられるものだ。ケレンのほどく能力は憎しみの所在を明らかにし、それを無化する。憎しみがすべての争いの元であることは論証を待たない。戦争もまた、憎しみの感情を他者への攻撃という具体的な形に昇華させたものだろう。したがって、人を憎む行為は悪である、ということは常に是であるように思える。
だがそれは、憎しみが湧いてしまう心をすべて否定してしまうということなのだろうか。たとえば虐げられた者は、自分の尊厳を侵すものを強く憎むだろう。その感情まで否定してしまうのか。人を憎んでしまう自分、怒りの炎を燃やさずにはいられない自分は果たして悪でしかないのだろうか。ハーディングはそこまで踏み込んでこの物語を書いている。心の中に影を宿している者、負の感情を捨て去ることができない人々に手をさしのべる。負の一面があっても、いや、それがあるからこそ人間といえる存在なのだから。人間の弱さを決して否定しない作家だからこその物語が展開していく。そうした思索に読者を招じ入れていく手つきも非常に巧みだ。ハーディングが書けば、冒険小説もまた人間の深部を覗き込む小説になるのである。
ミステリー的な趣向も相変わらず巧い。邦訳がある中で最もミステリーとして仕掛けが成功しているハーディング作品は『ガラスの顔』(東京創元社)だと思う。それには及ばないが、本作にもミステリーの構造を利用したひねりがいくつかあり、先を読ませない展開を作り出している。驚いたのは、探偵の存在論と受け止めることが可能なくだりがあることだ。詳しくは書かないが、単純な善悪二元論を嫌うこの作家ならではの意見表明であり、深く首肯させられた。
他人を打ち負かして論破を気取る浅薄さから最も遠くにある小説であると思う。いろいろな人に読んでもらいたい。大人はもちろん、ケレンやネトルと同じ十代の読者に。
(杉江松恋)
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