「シャーリイ・ジャクスンらしさ」が集ったアンソロジー『穏やかな死者たち』
一つの単語に集約することが難しい感覚を、小説という形式で表現せよ。
アンソロジー『穏やかな死者たち シャーリイ・ジャクスン・トリビュート』(創元推理文庫)に参加した作家たちに求められたのは、つまりそういうことなのである。
その感覚とは何か。「シャーリイ・ジャクスンらしさ」だ。編者エレン・ダトロウの序文によれば、執筆にあたって寄稿者には「ジャクスンの作品のエッセンスを自作にとり入れること」「彼女と同種の感受性を発揮すること」「穏やかな外観の下にある異様なものやダークなものを表現すること」などを求めたという。
18作品が収録されており、その中には巨匠ジョイス・キャロル・オーツや、先程日本独自編纂の短篇集『最後の三角形』(東京創元社)が刊行されて話題となったジェフリー・フォード、世界幻想文学大賞他の受賞歴があり、近年の注目株であるケリー・リンクなど、錚々たる顔ぶれが加わっている。
表題作は、マレーシア生まれのカッサンドラ・コーによるものだ。女性が皮をはがれて木にボルトで固定されるという殺人事件が起き、現場となった共同体は自衛のために境界を封鎖して閉じ籠る。その決断を下したにもかかわらず、犠牲者は増え続けるのである。小さな共同体の中で殺人事件が起きることで、取り繕っていた表向きが壊れ、その下にあった黒々としたものが見えてくる、という形式のスリラーにこの短篇は似ている。違うのは、見えてくる人間関係というものがないことで、住民たちは淡々と死んでいく。だから「穏やかな死者たち」なのだ。彼らが迎える死の理由とは何か、ことによるとそれは、特定の誰かが原因なのではなく、それまでの生き方そのものが罰せられているのではないか、と説いたくなる。後戻りのきかない事態の中に足を踏み入れてしまったという感覚があり、恐怖よりも先に諦念が襲ってくる物語だ。
ミステリー読者向きの短篇をいくつか紹介しておく。リチャード・キャドリー「パリへの旅」は、自分以外の家族が全員急死した女性を主人公とする物語だ。そのロクサーヌ・ヒルは、周囲からどのように見られているか、どんな声をかけられるかということに気を配りながら一人だけになってしまった家で暮らしている。台所の壁に我慢ができないくらいカビが繁殖してしまい駆除しようとするが、彼女の努力を嘲笑うかのように汚らしいしみは増殖していくのである。読みながら、ああ、あのパターンか、と勘のいい方は気づかれると思うが、着地点の鮮やかさに舌を巻かされる。ジュヌヴィエーヴ・ヴァレンタイン「遅かれ早かれあなたの奥さんは……」はその逆で、どういう内容か意味を取り損なう読者も出てきそうな短篇だ。起きている場所や状況が異なる事象がいくつも綴られていく。重なり合う部分もあるが、個々に見れば独立した出来事である。並べられているうちにそれらは、根底にあるものを透かし彫りのように浮かび上がらせるだろう。暴力そのものを描かず、可能性としてほのめかすという技巧が秀逸である。
構造がおもしろいものをもう一つ。スティーヴン・グレアム・ジョーンズ「精錬所への道」は、一夜の出来事を行き止まりのような時間感覚の中に封じ込めた短篇である。映画『愛と青春の旅だち』のビデオを観ているときに親友のカーラから電話がかかってきて、一時停止ボタンを押したままでジェンセンは飛び出していく。カーラは実の父親にトラックで追い回され、危うく轢き殺されかけていた。トラックが鉄道の線路に乗り上げたので助かったのだ。駆けつけたジェンセンの車にカーラは乗り込み、もうここにはいたくないからどんどん走って、と告げる。貧困と無理解が牢獄の鉄格子となった小さな世界の出来事である。カーラを乗せたジェンセンは、そこから彼女を連れ去ろうと夜の道を走り出す。だが、どこに行けばいいのだろうか。ある事実が判明したために世界はぐにゃりと歪み、ジェンセンたちは夜の中に囚われることになる。
シャーリイ・ジャクスンの小説から読み取ったものを自らの文章として還元しようと書かれた18の物語である。改めて説明するまでもないとは思うが、ジャクスンは『丘の屋敷』『ずっとお城で暮らしてる』(創元推理文庫)などの長篇が代表作として知られる幻想作家だ。この二作は古い屋敷を舞台とするゴシック・ホラーとも言えるが、それのみに留まらない広い作風の持ち主であり、ジャクスンはごく普通の人間に潜む悪の形を描いた短篇「くじ」のように、スーパーナチュラルの要素を使わずともあっさりと非日常の恐怖を描くことができた。その「くじ」は雑誌「ニューヨーカー」1948年6月26日号に発表され、駆け出しだった作家を一躍有名人にした。300を超える投書が作品に対して寄せられたからである。そのほとんどは「くじ」が人間の暗部に当たるものを剥き出しに描いたことに激怒していたという。それほどまでに指摘されない真実を明らかにしていたということでもあり、ジャクスンは恐怖小説の定型を破り、新たなものを付け加えたのだ。同作で1949年にО・ヘンリー賞、1966年にはアメリカ探偵作家クラブの最優秀短編賞を「悪の可能性」(『なんでもない一日』創元推理文庫所収)で受賞している。
ジャクスンには『野蛮人との生活』(ハヤカワ文庫NV)という著書もある。これは三人のこどもとの生活を描いたもので、ホラー要素はまったくないコミカルなエッセイである。同作を最初に読んだ人は、ジャクスンは完璧なヒューモリストだと信じ、ホラー作品を手に取って仰天したはずだ。白状すれば私がそうだった。このように作風は多岐にわたり、そのどこにもジャクスンはいた。『穏やかな死者たち』の編者ダトロウは、寄稿に際して原典の焼き直しや、ジャクスン自身をモデルにした作品を求めなかった。原典のどこを切り取っても、また作者自身に作品を還元しても、ジャクスンらしさは再現できない、もしくは失われると考えたからではないだろうか。作品の一要素としてしかジャクスンが自身とその個人史を語らなかったように、他者は小説化というフィルターを通じてのみこの作者に辿り着くことができる。『野蛮人の生活』と「くじ」の世界をシャッフルしたような仕上がりの「ご自由にお持ちください」を書いたジョイス・キャロル・オーツは、その意味で最もジャクスンに近づいた寄稿者かもしれない。
18編、それぞれに好みがあるだろう。夢のような分量と多様さなので、ぜひご自分のお気に入りを探してみていただきたい。多くの人が最もジャクスンらしいと挙げるのはジョシュ・マラーマン「晩餐」だと思うが、どうか。私のお気に入りはケリー・リンク「スキンダーのヴェール」である。リンクらしくポップな、エヴリデイ・マジックのファンタジー作品でもある。なのに読み終えると夢から醒めたときのような喪失感があるのだ。これってジャクスンぽいよね、と言われたら頷かざるをえない。
(杉江松恋)
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