疎外された人間の袋小路〜ユン・ゴウン『夜間旅行者』
どこにも逃げ場がない世界に生きている。生きていると言っていいのか、それは。
ユン・ゴウン『夜間旅行者』(ハヤカワ・ミステリ)を読んで、しばらくの間、それについて書くことができなかった。言葉は次々に湧き上がってくるのだが、自分のものではないという気がしてならなかったからである。おそらくそれは、込み上げてくる不安が言葉の形をとって噴出していたのだ。自己増殖する黒い雲のように、それは広がって胸の中を埋め尽くした。そういう気持ちにさせられる小説である。
本書は韓国ソウル生まれの作家ユン・ゴウンが、2013年に発表した作品だ。英訳され、2021年に英国推理作家協会(CWA)賞のトランスレーション・ダガーを授与された。アジア圏の作家としては初となる栄誉だ。
ミステリーとして見ればこれは、袋小路のスリラーである。しかも、夢の中に出てくるような隘路である。行けども行けども終わりがなく、開いた扉の先にもまた通路が続いているような無限の空間に放り込まれたような不安を覚える。
言語が意味を喪失する感覚もそれを後押しするはずだ。発せられた言葉は意味を持ち、誰かに伝達されることでなんらかの効果を生じさせる。それがあるからこそ意思疎通が成り立つのだ。しかしこの小説の中では、主人公が発した言葉はしばしば無効となる。たしかに伝わったはずなのに何も起きなかったり、そもそもなかったことのように元の状態に戻されたりするのだ。その繰り返しを通じて主人公は閉塞した状況の中へと追い込まれていく。彼女を通じて読者も自身を囲む檻を意識するようになるはずだ。その見えない檻を感じさせることは、作者の狙いの一つだろう。
主人公のヨナは、〈ジャングル〉と呼ばれる旅行会社に勤めている三十代初めの女性だ。トラベルプログラマーとして、かつては部署の中でも一目置かれる立場にいたのだが、ある時から突然その地位が脅かされるようになった。やりがいの一切を奪われ、かかってくる電話のクレーム処理だけをさせられる。契約者の都合による旅行の中止に対しては一切の返金に応じないという切り口上だけを、言葉を替えて口にし続けるという、疲弊以外の何物も生み出さない仕事だ。かつては尊敬する上司であった男は、服に手をつっこんで胸をつかむというあからさまなセクハラをするようになった。それを拒むと、まだ若いのに、そんなにものわかりが悪くてどうする、となじられる。
ヨナにとって辛いのは、そのキムという上司がセクハラをするのは落ち目になった相手だけであるという事実だった。つまり自分は組織の中でもう上がりの目がないということなのだ。かつてキムの犠牲になった者たちから告発のため共闘しようと呼びかけられるが、ヨナは手を挙げなかった。組織と上司に逆らって破滅するという選択ができなかったのである。
ここで描かれているのは、すでに組織の一部になってしまい、そこを離れては存在することも難しいという自我のありようだ。そこまで〈ジャングル〉と一体化しているにも関わらず、ヨナは組織から身体をもぎ離されていくのである。いつの間にか会社の同僚たちは、ヨナの知らない言葉を口にするようになっていた。会議があったはずなのに行われなかったことを不審に感じて訊ねると、後輩は「今日はパウルですから」と答える。それがなにかを訊ねるタイミングを逃したヨナは、ずっとパウルの外にいることを強いられる。ほかの人はみな意味を知っているパウルの外に。そして次第に疎外されていく。
ここまでに書いたことはすべて、全8章あるうちの最初「ジャングル」の章に書かれていることである。疎外される立場であることに耐えられなくなったヨナは退職願を出すが、キムに1月の休暇を取るように勧められ、旅行に出る。もちろん〈ジョンソン〉の販売する旅行商品リストから選んで。ヨナが足を向けたのは、ムイという済州島くらいの大きさの島国だった。飛行機でホーチミン空港へ、そこからバスで港湾都市であるファンティエットへ、港からさらに船で30分ほど行った先にムイはある。『夜間旅行者』はムイと、経由するヴェトナムでヨナが体験したことが中心の話題となる紀行小説である。
全体の8分の1に過ぎない第1章のことのみを延々と書いたのには意味がある。ヨナが〈ジャングル〉で味わう疎外は、その後のムイで体験することに通底しているからだ。人間が人間として扱われなくなる場面がさまざまな位相で描かれる小説であり、自分が不可視領域にどれほど多くのものを追いやっているかということを意識させられる。
ムイでヨナがどうなるかはあえて書かない。その代わりに、ヨナが訪れる前のムイで起きた出来事を書いて終りにしよう。9歳のチョリが3年前に死んだ。チョリはこどもだが体格がよかったので、観光客の荷物運びをして金を稼いでいた。
—-そうして仕事にしそしんでいたチョリは、観光客の荷物の下敷きになって死んでしまった。あっけない死だった。チョリがその日背負っていた荷物は六十キロにも及んだものの、それはチョリがそれまで背負ってきた荷に比べて軽いほうだった。チョリは圧力釜や鉄板、プロパンガスやらの下敷きになった。砂漠の真ん中でサムゲタンやサムギョプサルを作って食べようというプログラムの一環だった。チョリはそこで倒れ、ガイドはスケジュールに滞りが出たことを謝った。観光客が去ったあと、チョリはあえなく死んだ。
そのように訪れる死。意味を奪われた死。行き場もなく選ばざるを得なかった死。
(杉江松恋)
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